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第七話 水守の老人


チャリン……。


鈴の音は洞窟の湿った空気を震わせながら近づいてくる。


懐中電灯の光が岩壁を照らし、その奥にゆっくりと人影が浮かび上がった。


老人だった。


白髪は肩まで伸び、濡れた作務衣のような服を着ている。


首から古びた神楽鈴を提げ、痩せた指でそれを揺らしていた。


目だけが異様に若く、ぎらついている。


黒田が後ずさる。


「久代……」


老人は笑った。


歯の抜けた口元から、生臭い息が漏れる。


「慎一くん。逃げ出したと思ったら、また戻ってきたのか」


修司は玲奈を背後へかばった。


「久代隆三か」


老人はゆっくり頷く。


「父はもう死んだ。だが“水守”は終わらんよ」


玲奈が震える声で尋ねた。


「母を知っているんですか?」


その瞬間、老人の目が細くなった。


「高槻先生の娘か。大きくなったな」


玲奈の肩がびくりと震える。


老人は懐かしむように続けた。


「お前の母親は余計なことを知りすぎた。子供たちを逃がそうとしたんだ」


「逃がそうと……?」


「この村には昔から“水乞い女”がいる。洪水で我が子を失い、以来、子供を求め続ける怨霊だ」


老人は鈴を鳴らした。


チャリン……。


「供物を絶やせば、川は暴れる。人が死ぬ。だから我々は鎮めてきた」


修司は怒りを抑えきれなかった。


「子供を殺してまでか?」


老人は平然としていた。


「殺したのではない。選ばれたのだ」


その言葉に、玲奈の目に憎しみが宿る。


「母はどうしたんです!」


久代はしばらく沈黙し、洞窟の奥へ視線を向けた。


「高槻先生は最後まで娘を守ろうとした。だから――女に連れて行かれた」


霊のせいなのか。


それとも、この老人が殺したのか。


修司には判断がつかなかった。


だが、どちらにせよ目の前の男が事件の中心にいることだけは確かだった。


黒田が小声で言った。


「修司、こいつの話を全部信じるな。俺は奥で見たんだ」


「何を?」


黒田は唾を飲み込む。


「洞窟のさらに奥に、古い水路がある。そこに……白骨が積まれてる」


玲奈が息を呑む。


久代の表情がわずかに歪んだ。


「余計な場所まで入り込んだか」


次の瞬間、老人は鈴を激しく振った。


チャリン! チャリン! チャリン!


洞窟の奥から、突然大量の水音が響く。


ゴォォォ……!


地下水路から濁流が流れ込み始めた。


「走れ!」


修司は玲奈の手を掴み、入口へ向かって駆け出す。


黒田も後に続く。


だが足元に冷たい水が一気に押し寄せ、洞窟の床を覆っていく。


背後で久代の笑い声が響いた。


「女が目を覚ますぞ!」


狭い通路を必死に走る。


水位はみるみる上がり、膝まで達していた。


玲奈が足を滑らせる。


「きゃっ!」


修司はとっさに抱き止めた。


濡れた身体が胸に強くぶつかる。


玲奈は恐怖で修司の服にしがみついた。


「離れるな!」


その時、背後の水面に白いものが浮かび上がった。


長い黒髪。


白い腕。


水の中を這うように、あの女が追ってきていた。


玲奈が悲鳴を上げる。


女は異様な速さで距離を詰め、黒田の足首を掴んだ。


「うわっ!」


黒田が水中へ引き倒される。


修司は振り返り、必死に黒田の腕を掴んだ。


冷たい水の中から伸びる女の手は、人間とは思えない力で黒田を引き込もうとする。


その瞬間、玲奈が叫んだ。


「お母さん、やめて!」


女の動きが一瞬止まった。


黒髪の隙間から、青白い顔がこちらを向く。


その表情には、苦しみと悲しみが入り混じっていた。


玲奈は涙を流しながら叫び続ける。


「私はここにいる! もう連れて行かないで!」


水が震えた。


女の黒い瞳が、ほんの一瞬だけ人間らしい光を取り戻す。


そして女は黒田の足を離した。


「今だ!」


修司は黒田を引き上げ、三人は出口へ向かって駆け抜けた。


背後で女の絶叫が洞窟を揺らす。


それは怨霊の叫びというより、母親が何かを奪われた時の悲鳴のようだった。


外へ飛び出した瞬間、三人は岩場に倒れ込んだ。


洞窟の奥から濁流が噴き出し、黒い水が川へ流れ込んでいく。


久代の姿は見えない。


黒田は激しく咳き込みながら震えていた。


「助かった……」


玲奈はまだ涙を流している。


修司は彼女の肩を抱いた。


その細い身体は冷え切っていたが、確かに生きている温もりがあった。


しばらくして黒田が掠れた声で言う。


「終わってない」


修司は顔を上げた。


黒田は洞窟の奥を睨んでいる。


「久代は逃げた。しかも、あの女は玲奈に反応した」


玲奈が唇を震わせる。


「どういうこと……?」


黒田はためらいながら答えた。


「久代が言ってたんだ。“残された子”って」


修司の脳裏に、昨夜玲奈が語った悪夢が蘇る。


『あなたは残された子』


黒田はさらに続けた。


「昭和五十六年に失踪した子供は二人だけじゃない。もう一人、記録から消された女の子がいた」


玲奈の顔色が変わる。


黒田は震える声で、その名前を口にした。


「その子の名前は――高槻 … 玲奈だ…」




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