第八話
図書室での「強制・絵本読み聞かせタイム」が終わると、セシリア様はパタンと本を閉じた。
窓の外は、午後の日差しが柔らかく降り注いでいる。
「さて、頭を使った後は『肉体改造』の時間ね」
彼女は不敵に笑い、私の腕を引いて立ち上がらせた。
肉体改造。
その不穏な響きに、私の心臓が早鐘を打つ。
来た。ついに来た。
ここまで甘やかして、知識を与えて、太らせた理由。
それは、私を最強の兵器(あるいは合成獣)に作り変えるためだったのだ。
「つ、ついていきます……」
拒否権はない。
私は震える足で、セシリア様の後ろをついていく。
連れて行かれたのは、薬品の匂いが漂う、白い部屋だった。
部屋の中央には、革張りの診察台のような椅子。
そして、その傍らには、白衣を着た初老の男が立っていた。
片眼鏡をかけ、無愛想に口ひげを撫でている。
「お待たせしました、クラウス先生」
「ほう……これが例の『検体』ですかな?」
検体。
今、はっきりとそう言った。
患者でも客でもなく、検体。
「ええ。見ての通り、ボロボロの欠陥品よ。
徹底的に『修理』してちょうだい」
セシリア様の冷酷なオーダーに、クラウス先生と呼ばれたマッドサイエンティスト(推定)は、冷ややかな瞳で私をジロリと見下ろした。
「ふむ……酷いものですな。骨格は歪み、内臓機能は低下、栄養失調に極度のストレス障害……。
これでは、使い物になりませんな」
彼は私の腕を掴み、脈を測り、瞼を裏返して瞳孔を確認する。
その手つきは、まるで故障した機械を検品するエンジニアのようだ。
「……やはり、普通の手段では治りませんな。
『アレ』を使うしかありません」
「許可するわ。一番高いやつを使って」
アレ?
一番高いやつ?
なにそれ怖い。
禁断の秘薬か? それとも、魔物の血か?
クラウス先生は鞄から、毒々しい緑色をした小瓶を取り出した。
ドロリとした液体が、瓶の中で怪しく揺れている。
「さあ、飲みなさい」
「ひっ……!」
差し出されたそれを前に、私は後ずさりした。
無理だ。あれを飲んだら、人間じゃなくなる。
筋肉が膨れ上がり、理性を失ったバーサーカーになってしまう。
「何をしているの? 口を開けなさい」
セシリア様が背後から私の両肩をガシリと掴む。
逃げられない。
「嫌です! やめてください! 私、まだ人間でいたいです!」
「うるさいわね! 貴女のためを思って用意した特注品よ!
さっさと飲み干して、楽になりなさい!」
楽になる=死、あるいは自我の崩壊。
その図式が脳裏をよぎる。
しかし、抵抗虚しく、私の口に小瓶が押し当てられた。
コクリ。
冷たい液体が、喉を通り過ぎていく。
――ん?
身構えていた激痛や、焼けつくような感覚はなかった。
代わりに広がったのは、爽やかなマスカットの香りと、濃厚な蜂蜜のような甘さ。
そして、胃に落ちた瞬間、カッと身体の内側から熱が湧き上がってくるような力強さ。
「……あれ? 美味しい?」
「当たり前でしょう」
空になった小瓶を取り上げ、セシリア様が呆れたように鼻を鳴らした。
「それは、王室御用達の最高級エリクサー(栄養ドリンク)よ。
一本で平民の年収が吹き飛ぶくらいの値段がするんだから、一滴たりとも残すんじゃないわよ」
エリクサー……?
あの、ゲームとかでよく見る、万能薬?
飲み干した直後から、鉛のように重かった身体が、羽が生えたように軽くなっていくのを感じる。
視界がクリアになり、指先まで血が巡っていく。
慢性的な肩こりも、腰痛も、頭のモヤモヤも、すべてが嘘のように消え去った。
「す、すごいです……! 身体が、軽い……!」
「ふん、単純な作りね」
セシリア様は満足げに腕を組んだ。
「これで基礎代謝は上がったはずよ。
クラウス、次はどうするの?」
「はい。次は『針』を使います」
先生が取り出したのは、キラリと光る長い銀針だった。
「ひぃっ!?」
「暴れるな。ツボを刺激して、自律神経を強制的に整えるのです」
ブスリ。
ブスリ。
「痛っ! ……くない?」
針が刺さった瞬間、電流が走るような心地よさが背筋を駆け抜けた。
凝り固まっていた筋肉が、みるみる解れていく。
これは……極上の鍼治療!?
ブラック企業時代、整体に行く時間も金も惜しんで湿布まみれだった私の背中が、新品のように生まれ変わっていく。
治療が終わる頃には、私はあまりの快感にトロトロになっていた。
診察台の上で、放心状態で天井を見上げる。
生きてるって、こんなに身体が楽なものだったんだ。
今まで私が背負っていた重りは何だったんだろう。
「……どう? 少しはマシになったかしら」
セシリア様が覗き込んでくる。
その顔は相変わらず高圧的で、意地悪そうだ。
「勘違いしないでちょうだい。
貴女が病気で倒れたら、私の看病の手間が増えるでしょう?
これはリスク管理よ。故障する前にメンテナンスするのは、所有者の義務だもの」
所有者の義務。
前世の社長に聞かせてやりたい言葉ナンバーワンだ。
「代わりはいくらでもいる」と言って使い捨てにするのではなく、「壊れないように金をかけて直す」のが、この悪役令嬢の流儀らしい。
「ありがとうございます……セシリア様……」
「お礼なんていらないわ。その代わり」
彼女はニヤリと笑い、私の鼻先を指で弾いた。
「元気になった分、明日はもっとハードな『遊び』に付き合ってもらうわよ。
覚悟しておきなさい」
ハードな遊び。
今度こそ、猛獣狩りか、あるいはデスゲームか。
でも、今の健康になった身体なら、多少の無茶には耐えられるかもしれない。
私は、恐ろしい予感と、それ以上の全能感に包まれながら、診察台の上で深く頷いた。
まさかその「遊び」が、街一番の高級ブティックを貸し切っての、地獄の着せ替えマラソン大会だとは知らずに。




