第三十九話
午後。
陽射しはまだ強いけれど、パラソルの下は快適だった。
私たちはプールサイドのデッキチェアで、気だるい時間を過ごしていた。
セシリア様は優雅に読書。
私は、その隣でフルーツの盛り合わせをつまんでいた。
「あーん」
セシリア様が、視線を本から外さずに、フォークに刺したカットメロンを私の口元に差し出した。
「えっ、私ですか?」
「手が汚れるでしょう?
ほら、食べさせてあげるから口を開けなさい」
私は恐縮しつつも、その甘い果実をパクリと頂いた。
冷たくて甘い。最高だ。
「……む」
視線を感じた。
プールから上がってきたアイリスが、タオルを被ったまま、じっとこちらを見つめている。
その瞳は、獲物を狙うスナイパーのようであり……同時に、おやつを待つ捨て犬のようでもあった。
「どうしたの、アイリス?
メロン、食べる?」
私が皿を差し出すと、彼女は首を横に振った。
「食欲データはありません。
……ただ、解せません」
彼女は、濡れた髪を拭こうともせず、私の隣にドカッとお尻を下ろした。
冷たい水滴が私の腕にかかる。
「冷たっ!
ちょっと、タオル使いなよ」
「先輩だけ、ズルイです」
アイリスが、ぽつりと呟いた。
「え?」
「セシリア様に『あーん』をしてもらう権利。
それは、労働対価として公平に分配されるべきです」
彼女は頬を膨らませた。
以前なら「資源の不均衡」と表現していただろう状況を、今ははっきりと「ズルイ」と言った。
そして、拗ねている。
「あら、妬いてるの?」
セシリア様が本を閉じ、面白そうにアイリスを見た。
「妬いて……います。たぶん」
アイリスは認め、少し顔を赤らめた。
「胸の奥がチリチリします。
先輩がメロンを食べているのが羨ましいのではなく、セシリア様の手が先輩に向いているのが……嫌です」
なんという直球。
以前の鉄仮面からは想像もできない、ド直球な嫉妬宣言だ。
「ふふっ。正直で可愛いわね」
セシリア様はフォークを置き、空いた両手を広げた。
「おいで。
アイリスも甘やかしてあげる」
その言葉を聞くや否や、アイリスは迷うことなくセシリア様の膝元へ飛び込んだ。
猫が飼い主の腹にダイブするような勢いだ。
「……んぅ」
セシリア様が、湿ったアイリスの髪を優しく撫でる。
アイリスは目を細め、喉を鳴らすような吐息を漏らした。
「……これです。
このポジションが、最適解です」
彼女は私のほうをチラリと見て、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「先輩、どいてください。
今は私のターンです」
「はあ?
何よそのマウント」
私も対抗心が湧いてきた。
元社畜として、上司(今は飼い主だが)の寵愛を奪われるのは癪だ。
「セシリア様、私の髪も乾いてません!
ドライヤーしてください!」
私は反対側からセシリア様の肩に頭を乗せた。
「ちょっと先輩!
重量過多です!
セシリア様が重いでしょう!」
「あんたこそ、濡れたままくっつくんじゃないわよ!
服が濡れるでしょ!」
私とアイリスは、セシリア様を挟んでギャーギャーと言い合いを始めた。
右から左から、引っ張りだこ状態だ。
普通なら「うるさい!」と一喝されそうなものだが、当のセシリア様はケラケラと笑っていた。
「あはは!
いいわね、もっと争いなさい。
私のために必死になる女の子を見るのは、最高の娯楽だわ」
彼女は両手で、私とアイリスの頭を同時に鷲掴みにし、ぐりぐりと撫で回した。
「痛い痛い!
髪がぐしゃぐしゃになります!」
「くっ……!
でも……悪くない、です……!」
アイリスは抵抗しながらも、嬉しそうに目を潤ませていた。
嫉妬。独占欲。競争心。
どれも「機械」には必要のない、非効率なノイズだ。
でも、そのノイズこそが、今の彼女を突き動かす燃料になっている。
「……ふふ」
ひとしきり撫で回された後、アイリスはボサボサになった頭で、満足そうに笑った。
「先輩の負けです。
私の方が、三秒長く撫でられました」
「子供か!」
「子供です。
生まれたばかりですから」
彼女は胸を張って言い切った。
その顔には、もう迷いも影もない。
ただ、大好きな人に愛されたいという、純粋で貪欲な「エゴ」だけが輝いていた。




