第三話
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は死んだ魚のような目をして揺られていた。
向かいの席には、あの恐ろしい美女――セシリア様が優雅に足を組んで座っている。
窓の外を流れる景色は、薄汚いスラム街から、整然とした石畳の街並みへ、そして緑豊かな貴族街へと変わっていった。
けれど、私の心は絶望で塗りつぶされていた。
魔女。あるいは吸血鬼。
きっとこの人は、若さを保つために子供の生き血をすするとか、そういう類の人外に違いない。
でなければ、あんな汚物まみれの私を、大金を払って買うはずがないもの。
やがて馬車が止まったのは、とてつもなく巨大な屋敷の前だった。
鉄柵の門が重々しい音を立てて開く。
まるで、魔王城だ。一度入ったら二度と生きては出られない。
「降りなさい」
短く命じられ、私は震える足で地面に降り立つ。
すると、屋敷の中から大勢のメイドたちが一斉に飛び出してきた。
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
「ああ、うるさいわね。……おい、お前たち」
セシリア様が顎で私を指す。
「この汚らしいゴミを、今すぐ『処理』してきなさい」
「かしこまりました」
処理。
その言葉を聞いた瞬間、私の視界が真っ白になった。
ああ、やっぱり。食べる前の下処理だ。内臓を抜かれるんだ。
「ひっ、いや……!」
「あら、生意気に抵抗するの?」
セシリア様の冷ややかな視線に射抜かれ、私は石のように固まる。
無表情なメイドたちに両脇を抱えられ、私はズルズルと屋敷の奥へと連れ去られた。
廊下の壁に飾られた絵画も、高そうな壺も目に入らない。
連れて行かれたのは、真っ白な湯気が立ち込める広い部屋だった。
そこにあったのは、巨大な白い器。
そして、並々とお湯が注がれている。
……釜茹でだ。
間違いない。私をここで茹でて、出汁を取るつもりなんだ。
「さあ、脱いで」
メイドたちによって、ボロ布があっという間に剥ぎ取られる。
あばらの浮いた貧相な身体が露わになる。
そして、私はそのままドボンと、その巨大な器の中へ放り込まれた。
「ぶくぶくぶくっ……!」
熱い! 死ぬ!
……あれ?
身構えていた激痛は、やってこなかった。
代わりに全身を包み込んだのは、とろけるような温かさと、甘い花の香り。
「ぷはっ!」
慌てて顔を出すと、水面には真っ白な泡が山のように浮かんでいた。
釜茹での煮汁じゃない。
これ、お風呂……?
呆然とする私の頭上から、呆れたような声が降ってくる。
「……本当に、見れば見るほど貧相で汚らしいわね」
湯気の中から現れたのは、腕組みをしたセシリア様だった。
彼女は私の不潔さをあざ笑うように、フンと鼻を鳴らす。
「勘違いしないでちょうだい。貴女が心配でお風呂に入れたわけじゃないわ」
彼女は浴槽の縁にカツンとヒールを乗せ、傲慢に言い放った。
「今日から貴女は私のモノ。所有物が汚れているのは、私の恥よ」
セシリア様が指を鳴らすと、メイドたちが最高級のスポンジと石鹸を持って近づいてくる。
「隅々まで磨きなさい。私の持ち物として恥ずかしくないように、ピカピカにね」
「は、はいっ!」
そこからは、怒涛の洗浄タイムだった。
前世で使っていた安物のボディソープとは比べ物にならない、きめ細かい泡。
バラの香りのするシャンプー。
メイドたちの手つきは容赦なかったけれど、こびりついた汚れがみるみる落ちていく感覚は、涙が出るほど気持ちよかった。
(……温かい)
お風呂なんて、いつぶりだろう。
前世では、シャワーを浴びる気力すらなくて、蒸しタオルで身体を拭くだけの日々だった。
こんなにたっぷりの温かいお湯に浸かるなんて、夢のまた夢で。
気づけば、お湯の温かさに包まれて、私の意識はトロトロと溶けそうになっていた。
殺されるかもしれない恐怖よりも、今この瞬間の極楽が勝ってしまう。
ああ、もう、茹でられて食べられてもいいかもしれない。
そう思えるほど、そのお風呂は最高だった。
◇ ◇ ◇ ◇
一時間後。
お風呂から上がった私は、フカフカのタオルに包まれていた。
鏡に映った自分を見て、驚いた。
ガリガリなのは変わらないけれど、肌は白く輝き、髪はサラサラになっている。
さっきまでの薄汚れたドブネズミと同一人物とは思えない。
「ふん、まあ少しは見られるようになったかしら」
着替え終わった私を見て、セシリア様が満足げに頷く。
そして、彼女はニヤリと意地悪そうに笑った。
「綺麗になったところで、次は『中身』をいじらせてもらうわよ」
……中身?
まさか、今度こそ内臓を!?
戦慄する私を置いて、彼女はスタスタと歩き出す。
「ついてきなさい。痩せっぽちじゃ、虐め甲斐がないもの」
そう言って連れて行かれたのは、長いテーブルのある食堂だった。
そして私の目の前に、ドン! と巨大な皿が置かれた。
そこに乗っていたのは、焼きたての、分厚いステーキだった。




