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不遇幼女に転生した私、悪役令嬢に拾われて何故か溺愛されてます 〜貴族生活楽しい!〜【1万PV感謝!】  作者: ペンギンの搾り汁
第三章 《ふしだらなバカンス編》

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第二十六話



 夜風が、湿った髪を揺らす。


 セシリア様は、遊び疲れて泥のように眠っていた。

 規則正しい寝息。

 月光に透ける銀髪は、昼間の騒ぎが嘘のように静謐で、私はその幸福な重みを隣に感じながら、どうしても目が冴えてしまっていた。


 喉が渇いた。

 私はベッドを抜け出し、テラスへと続くガラス戸を音もなく開けた。


 夜の海は、黒いインクを流したように暗い。

 波の音だけが、ザザァ……と世界を支配している。


「……あ」


 テラスの手すりに身を預けようとして、私は息を呑んだ。


 隣の岬。

 フレデリック殿下の「仮設執務室」がある敷地の境界線に、誰かが立っていた。


 あの「影の少女」だ。


 彼女は直立不動の姿勢で、海を見つめていた。

 夜中の二時だというのに、軍服のような制服を着崩すこともなく、微動だにしない。

 まるで、電源を切られた機械のように。


 目が合った。

 いや、彼女の「レンズ」が私を捕捉した、と言うべきか。


 私は気まずさを感じつつも、声をかけずにはいられなかった。


「……眠らないの?」


 波音にかき消されそうな私の声を、彼女は正確に拾ったらしい。

 無表情のまま、首だけがこちらに回る。


「……睡眠学習スリープ・ラーニングの待機時間です」


 機械的な声。

 抑揚がない。


「殿下は、効率的な睡眠導入のために特殊な周波数の音源を使用されています。

 私は、その間、外部警戒と自身のメンタル・リセットを行います」


「メンタル……リセット?」


「はい。

 日中に蓄積された不要な情報ノイズを削除し、明日の業務遂行能力を最適化します」


 彼女は淡々と言った。


「今日の『ノイズ』は、貴女たちの行動でした」


 ドキリとした。

 

 彼女は、昼間の私たちを見ていた。

 あの浮き輪の上でのキスも、海に落ちた無様な姿も。


「……理解できません」


 彼女が、フェンス越しに一歩近づいてきた。

 月明かりの下、彼女の瞳はガラス玉のように澄んでいて、底知れない「問い」を孕んでいた。


「なぜ、あのような非効率な行為を?

 海流は不安定。落水の危険性大。紫外線による皮膚ダメージ。

 メリットが、計算できません」


 彼女は本気で困惑しているようだった。

 殿下の「効率」というOSで動く彼女にとって、私たちの行動は処理落ち(エラー)の原因でしかないのだ。


 私は、手すりに頬杖をついて苦笑した。


「……気持ちいいからだよ」


「キモチイイ?」


「うん。

 波に揺られるのも、太陽が熱いのも、好きな人に触れられるのも。

 意味なんてない。ただ、心が溶けるみたいに……気持ちいいの」


 彼女は小首を傾げた。

 その仕草は、壊れかけたオルゴールのようにぎこちない。


「……殿下は、仰いました。

 快楽は、脳内物質の誤作動だと。

 制御すべきバグであり、排除すべきノイズだと」


「そうかもね。

 でも、そのバグが……生きる理由になることもあるんだよ」


 私がそう言うと、彼女は黙り込んだ。

 

 沈黙が落ちる。

 ただ、波の音だけが二人の間を満たしていく。


 ふと、彼女の手が動いた。

 

 彼女は自分の唇に、そっと指先を触れた。

 昼間、私たちが口付けを交わしていた、その場所を確かめるように。


「……味」


 小さな、掠れた声。


「え?」


「あの時……貴女たちは、何を摂取していたのですか?

 栄養剤? 水分?

 それとも……」


 彼女の指が、唇を強く押しすり潰す。

 

 無機質だった瞳に、微かな揺らぎが見えた。

 それは「渇き」だった。

 効率的な給水では決して癒えない、魂の渇き。


「……甘い、味がするのですか?」


 その問いかけは、あまりにも切実で、そして無防備だった。


 私は答えようとした。

 けれど、その前に――。


『――おい、何をしている』


 冷徹な声が、闇を切り裂いた。


 フレデリック殿下が、テントの入り口に立っていた。

 寝間着ではなく、完璧に着こなしたガウン姿。

 手にはタブレット端末が光っている。


設定時間タイムオーバーだ。

 明日六時からのタスク確認がまだ終わっていないぞ」


 ビクリ、と少女の肩が跳ねた。

 一瞬で、彼女の顔から「迷い」が消え、能面のような「従者」の顔に戻る。


「……申し訳ありません、マスター。

 直ちに復帰します」


 彼女は私に一瞥もくれず、踵を返した。

 

 その背中は、あまりにも細く、そして冷たそうだった。

 

 彼女は「整備」されている。

 完璧な食事、完璧なスケジュール、完璧な教育で。

 でも、そこには「愛撫」がない。

 無駄で、非効率で、温かい……体温のやり取りがない。


 私は自分の胸に手を当てた。

 そこには、セシリア様に触れられた熱が、まだ微かに残っている。


 (……かわいそうに)


 同情なんて、おこがましいかもしれない。

 でも、私は確かに見たのだ。


 去り際、彼女がもう一度だけ、自分の唇を舐めたのを。

 

 完璧な機械人形に、小さな、けれど致命的な「バグ」が生まれた瞬間を。


 私は部屋に戻り、眠るセシリア様の背中に抱きついた。

 その温かさが、今はどうしようもなく愛おしかった。

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