第二十三話
夜になっても、熱気は引かなかった。
窓を開け放った寝室には、湿った潮風が入り込み、白いレースのカーテンを幽霊のように揺らしている。
波の音は、昼間よりも近く、重く聞こえる。
「……あつい」
私はシーツの上で寝返りを打った。
身体が芯から熱い。
昼間のサンオイルのマッサージのせいだ。セシリア様の指が這った場所が、数時間経ってもまだ痺れるように疼いている。
喉が渇いた。
水を飲もうと起き上がりかけた時、サイドテーブルのカチリという音に動きを止めた。
「……眠れないの?」
闇の中で、セシリア様がグラスを傾けていた。
月明かりだけが、彼女の輪郭を青白く照らし出している。
氷の入ったグラスが、カラン、と涼やかな音を立てた。
「セシリア様こそ……」
「暑くて目が覚めたの。この国の夜は、少し情熱的すぎるわね」
彼女は気だるげに笑い、グラスの中の氷を指先で弄んだ。
薄いネグリジェの胸元には、じっとりと汗が滲んでいる。
その乱れた姿は、昼間の「女神」というより、夜の海から現れた「魔性」のようだった。
「貴女、顔が真っ赤よ。
……昼間の興奮が、まだ冷めない?」
「そ、それは……日焼けのせいです」
「嘘つき」
セシリア様はベッドに腰掛け、私の額に手を当てた。
「ひゃっ……!」
冷たい。
グラスを持っていた彼女の手は、氷のように冷え切っていて、私の火照った肌には刺激が強すぎた。
「ふふ。こんなに熱い」
彼女は悪戯っぽく瞳を細めると、グラスから氷の欠片を一つ、指でつまみ上げた。
「可哀想なペットちゃん。
ご主人様が、涼しくしてあげる」
彼女は、その氷を私の鎖骨に押し当てた。
「んぅっ……!?」
ジュッ、と音がしそうなほどの温度差。
冷たさが痛みのような快感に変わり、背筋を駆け抜ける。
氷は私の体温ですぐに溶け始め、冷たい雫となって胸の谷間へと滑り落ちていく。
「あ……冷た、いです……」
「我慢して。治療中よ」
セシリア様の指が、氷を滑らせる。
鎖骨から首筋へ。
そして、脈打つ頸動脈の上へ。
冷たい。熱い。冷たい。
感覚が混ざり合って、頭が真っ白になる。
氷が溶けた水滴が、肌の上を伝う感触。
それを追うように、セシリア様の指がなぞる。
「……すごい汗」
彼女は氷を私の唇に押し当て、強引に口を開かせた。
「ほら、含んで」
言われるがままに、口の中に氷を含まされる。
冷気が口いっぱいに広がり、麻痺していた思考が少しだけクリアになる。
ガリ、と氷を噛もうとした瞬間。
「ん……」
セシリア様が覆いかぶさってきた。
逃げる間もなく、唇が塞がれる。
私の口の中にあった氷が、彼女の舌によって転がされ、奪われた。
口移し。
冷たい氷が、二人の舌の間を行き来する。
チュッ、クチュッ……。
水音が、波音に混じって響く。
冷たいはずの氷が、どうしようもなく熱い。
溶け出した水が、どちらの唾液かも分からないまま、喉の奥へと流れ込んでくる。
やがて、氷は完全に溶けてなくなった。
けれど、唇は離れない。
酸素が足りない。
視界がチカチカする。
「……ぷはっ」
ようやく解放された時、私は荒い息をついてシーツにしがみついた。
銀の糸を引く唇を、セシリア様が艶めかしく舐める。
「……ごちそうさま」
彼女は濡れた瞳で私を見下ろし、私の汗ばんだ首筋に顔を埋めた。
「まだ熱いわね。
氷、あと三つあるけれど……どうする?」
それは、質問ではなかった。
拒否権のない、甘美な誘い。
私は朦朧とする頭で、彼女の首に腕を回した。
「……全部、ください」
セシリア様が、満足げに喉を鳴らして笑った。
夜風がカーテンを煽る。
けれど、この部屋の熱帯夜は、明け方まで終わりそうになかった。




