89.魔獣災害の使い方
キスルの市街は、空爆にでもあったのではないかと思わせるような、そんな惨憺たる有様であった。
街の西側は近代の市街戦の跡地さながらだ。
焦げ付いた臭い、咽返るような熱気が、ロムニスを襲った2度の大火を思い出させる。
高く低く重なり合うように響き渡る鳴唱。
散発的に、腹にずしりと響く爆音が、焼けた風を伴い去来する。
表通りの石畳は至るところで砕け散り、すり鉢状の穴を別の穴が埋めていた。
建物は悉く全半壊し、人々は瓦礫に紛れるようにして奥に鎮座する獅子に似た2体の巨獣に、儚い抵抗を続けている。
火災旋風に似た巨大な火柱が、突如として湧き起こった。
轟々と猛る焔の渦は生き物のようにうねり、そんな彼らを瓦礫ごとひと口に平らげていく。
苦痛の呻き、助けを求める悲鳴、断末魔の叫び。
方々から聞こえる絶望の声は、どれもこれも亜人奴隷の喉から溢れたものだった。
よくよく魔獣の近くで逃げ惑う者たちの姿を見れば、そこに人間はひとりとしてない。
では人間はどこに居るのかといえば、倒壊を免れた家屋の屋根や、遠く内壁の上に身を伏せている。
構えているのは弩や弩砲であろう。
奴隷を囮に使って、兵は弩による遠距離攻撃。
決め手に欠けるな。
目的は遅滞か。
消魔結界を持つ黒の民は意識すらしないが、魔法に長けた魔獣は往々にして、身を守るための魔法を周囲に展開しているものだ。
ロムニスを襲った個体はそうした魔法を用いてはいなかったようだが、あれには8型の再生魔法があった。それこそがあれの防衛手段だったと見ることもできる。
この地を襲った2体のキマイラは、風と炎の魔法で強固に身を守っている。
それも連携して。
投射武器でこれを討つのは……ふむ、鳴唱がひとつ足りない。3型の首――爬虫類型のものがひとつ潰れているな。
思ったよりも上手く戦っている。
はずなのだが……手傷を与えているにもかかわらず、兵の士気が異様に低い。
援軍が来ないことに気づいているのかもしれない。
泣き喚く獣人の子供が、魔獣から逃げるように駆けだした。
直後、4本の太矢が子供の周囲に降り注ぐ。内2本がその体を射抜いていた。
子供は派手に転倒し、それっきり動かなくなる。
少し離れた別の場所では、これまた獣人が奇声をあげ、正面からキマイラに突っ込んでいった。
3型を取り巻く炎の領域に足を踏み入れた途端、火達磨となって転がり、間もなく蹲るような形で絶命した。
これは、ダメだな。
戦況を分析しながら焼けた石畳を踏みしめる。
酷い戦場だった。
この戦力でよくここまでもたせたものだと感心するが、それだけにもはや限界だった。
よしんば囮にと思っていたが、奴隷も兵隊もかえって戦いの邪魔になる。
動きを決めた私は後ろのふたりに臨戦の合図を出す。
そして結界の操作を取り払い、高めた運動能力で、一息に兵士が作る戦線のその先へと躍り出る。
抜刀の構えを取るキースと、解放により漆黒の魔人と化したクゥが両脇を固めた。
兵士から誰何の声が飛ぶ。
私は声の方を一瞥した後、魔力で強化した声を張り上げた。
「今よりこの場は我ら白の教派が預かる!」
腕の聖章を掲げる。
遠目では分かるはずもないが、一部がそうと信じればそれで良い。
「魔獣の討滅は我が配下の黒の兵が引き受けた。戦闘の邪魔だ、兵は矢を下げろ!」
兵からは困惑が見て取れる。
当然であろう。
どこの馬の骨とも分からぬ小僧が、唐突に指揮権を主張し始めたのだ。
「我らの戦を妨げる者はすべて、この惨状を招いた青月や闇月ら、私欲に塗れた怠慢の輩の同類と見なし切り捨てる」
クゥが無言で斧槍の石突を振り下ろした。
石畳が微塵に砕け、破片を辺りに散らす。
「異論は認めん。名が欲しい者だけ前に出ろ。命を賭してこそ誉れは与えられると知れ。その覚悟なき者は、即刻この場から立ち去るが良い。巻き込まれて死んだとしても、我らにその責を負う気はないぞ!」
キースが脅すようにゆっくりと剣を引き抜く。
いや、事実これは脅しか。
「奴隷共も失せろ。戦う力も意思もない者に、我らの戦場を這いまわられていては目障りだ」
酷薄に言い放つと、亜人たちの統率が大きく乱れた。
途端に逃げ腰になったと言うべきか。
だが壊走には至らない。兵の目を気にしているのだろう。
まあ良いさ。じきに崩れる。
「我が白陽の輩よ、やるぞ」
「おう」「はいよ」
諾の声と共に、クゥが先陣を切り2匹のキマイラに突っ込んでいく。
少し遅れる形でキースが。
その更に後方を私が駆ける。
相殺と逆の要領で消魔結界を広域に拡散させると、2型の放った空気球がクゥの前方で立て続けに爆発を起こした。
私の消魔結界に触れ、魔法による形状維持が解けたことで、圧縮された空気が開放されたのだ。
高く厚い市壁すら突き崩す風の暴威。
まともに結界で受ければ、黒の民とて軽く腕の1本や2本持っていかれるだけの破壊力がある。
赤の魔法種たる妖精族が、黒の民を狩る時に多用するとされる類の魔法だ。
つまり、呪毒や炎熱に匹敵する黒の民の大敵。
進行方向を巧みにずらし被害を抑えたクゥが、2型に取りついたのを確認し、キースが3型との距離を詰める。
私もそれに続く形で3型に一太刀浴びせると、すぐさま適度に距離を取り2型との中間地点に移動する。
剣を振るうのは私の仕事ではないのだ。
2匹のキマイラの鳴唱の音域が変わり、魔法が間断なく現出する。
生成される空気球を、私は大出力の結界の散発的な展開で叩き潰していく。
こいつら、今の今まで人を嬲って遊んでいたな。
強者ゆえの傲慢か。
3型の副頭が潰されたのは、どうもこの街でのことではなさそうだ。
その3型であるが、2型と比べればどうということはない相手だった。
ふたつある副頭の片方を失っているのが、想像以上に大きいのかもしれない。
魔法は火炎の放射系で、副頭が口から炎を吐き出す他、放射した魔力で周囲を一瞬のうちに火の海にしたりもできるようだ。空間発火能力とでも言うべきかな。
まあ前者はともかく、後者は黒の民を相手にしてはなんの役にも立たない。
広域に作用する類の魔術は、その魔術の大きさゆえに消魔結界によって無力化されやすい。
が、流石に2体の魔法を完全に打ち消すのは難しい。
私は早々に危険度の高い2型を優先するように立ち位置をずらし、加えてクゥが避けられる魔法は放置し、魔力の消耗を抑える戦い方に切り替える。
キースが押された時にだけ、剣も使って3型を抑え込む。
流れ弾で辺りの更地化が加速しているが、見なかったことにする。
警告はしましたよ。
我々が戦闘に入り、魔法による攻撃が苛烈さを増したことで、兵士も奴隷も蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
優勢に過ぎても劣勢に過ぎても彼らが動くことはないだろう、などと考えていたのだが、まるで手に負えぬとなると話も違ってくるらしい。
クゥには適度に時間を稼ぐように言っておいたのだが、不要だったかな。
指示を出すべきかとも悩んだが、当人の判断に任せるのも良いな。
2型の副頭については、安全を考えて早々に刈ってもいいと伝えてある。
クゥの能力を考えれば討てる機会は幾度かあった。
それが未だ健在ということは、余裕があるのだろう。
危うい魔法はこちらですべて処理しているしな。
イシェルセナの援護射撃もまだない。
……もう少し場を盛り上げろという意思表示ですかね。
ちなみに彼女とは街に入った時点から別行動だ。
身を隠し援護することで話が通っている。
活躍したのは黒の民が2人と、白の教派の人間が1人。
後々噂が出回った時、ケッゼイ殿が我々に懐疑を抱かぬ様に、ちょっとした偽装を施したのだ。
私としては不安が拭えぬのだが、イシェルセナが太鼓判を押したのでこれで事足りるのであろう。
信仰まわりにおいて、私の認識はついぞ役に立たない。
そうした判断は、その道の人に任せた方が良い。
いずれ身に付けねばならないとは思うのだが、こればかりは中々、な。
にしても、帝式狙撃杖とかいう名称で、言った当人も長距離射撃の有用性を意識していそうだったのに、えらく近くまで来ている。
イシェルセナは別れてからと言うもの、私がその気配を察知できる距離から出ていない。
場所が動かないことから、機を窺っているのだとは読めるが。
おおよそ人が退いた頃、クゥが2型の副頭を半ば切り落とした。
遠巻きに歓声が湧き起こる。
残ったのは1割ほどだろうか。
大部分は兵士だが、3組ばかり奴隷が混じっている。
逃げ損ねたと思しき痩せこけた女子供。
死を恐れぬというよりは、生を諦めたかの如き蛮勇な女たち。
時折、遠くから思い出したように投石に励む奇矯な男や女。
兵士の方はと言えば、魔法の射程外から勇壮な声を張り上げるばかり。
ちらほらと前に出ようとする動きは見えるが、空気球の爆発を間近にすると、悲鳴すら漏らし逃げ去ってしまう。
中には魔導器で掩護をしようとした者も居たが、壊れて使い物にならなかったようだ。
思えば魔術頼みの青の民を、黒の民の居る戦場に引っ張り出すのは無謀だった。
果敢にも前に出てきた者の多くが、武具に備わる付与魔術を悉く損ねているはずだ。
悪いことをした。
魔獣の周囲はすなわち、私の結界の影響圏内だ。
金の代わりに街の勇者の称号を得られるだろうから、それで勘弁してくれ。
立ち位置を変え前に出て、キースに視線で合図をする。
2型の抑えが不要になったため、守勢から攻勢に転じるという合図だ。
キースが3型の前に立ち、私は後ろに回り尻尾――蛇頭の相手をする。
魔法を打ち消しながら幾度か牙による攻撃を躱し、剣で地道に鱗を削いでいる時だった。
なにかが視界の端をかすめたと思うのとほぼ同時、蛇の胴が半ばから弾ける。
間髪おかず付近の石畳が筋状に割れ、破砕音と破片を撒き散らす。
ひえぇ、こいつは心臓に悪い。
援護射撃があるって知っていたはずなのに、思わず動きが止まってしまいましたわ。
切れたミミズの様にのたうつ蛇から、落ち着いた風を装い距離を取る。
大人でひと抱え以上ある蛇の胴を、それも鋼が弾かれる硬度の鱗と強靭な筋繊維を持つ文字通りの怪物を、一刀両断ならぬ一矢破断ですか。
戦闘状態でまともに攻撃を察知できなかったし、えげつないな。
あのご大層な形は張子の虎ではなかったわけだ。
しかし要りますかね、ここまでの火力。
いくら解放を使っていようと、こんなものが当たれば木端微塵だぞ。
……ああ、そうか。
当たらないからこうなったのか。
私が多少なりとも気づけたように、魔法により強化された感覚というものは、地球の物理法則を容易く突破する。
銃弾すら知覚できる者たちが標的なのだ。
察知されても避けられぬよう弾速を追求していった結果、破壊力が過剰な域まで達したと。そういうことなのだろう。
涙が出て来るね。
投射武器こそ正義みたいな地球の戦の常識が、塵屑ほどの役にも立たなくて。
機関銃に匹敵する連射速度があれば話も別なのだろうが、技術力が足りんか。
そんな思考の片手間に、傷に暴れ狂う3型の後肢を削ぎ動きを鈍らせる。
それから観衆の目を盗み、着弾地点の砂礫から鋼鉄の太矢だったものを回収しておく。
衆目が前方のキースに戻った頃、私の攻勢に合わせて第2射が放たれた。
後肢が吹き飛びキマイラの体勢が崩れる。
弩砲の名が示すように、発砲音はない。
キースが倒れる巨体に潜り込むようにして、獅子の首に剣の切っ先を突き立てた。
無茶をする。が、これでこちらは終いか。
即死はしていないようなので、私は太矢を回収してから副首の喉を切り裂きに動く。
必死こいて副首を捌いていると、クゥの戦っていた辺りで盛大に歓声が上がった。
どうやらあちらも片を付けたらしい。
キースが止めを刺そうとするのに待ったをかける。
運よくまだ生きているのだ、有効活用しなくてどうする。
「強大な魔獣を前に逃げずにこの場に留まった兵たちよ。力は及ばずとも、民のために己の誇りのために戦う意思を示した諸君らの勇気を、俺はしかとこの目で見た。剣を持て、槍を持て。諸君らの手で、自らの手にする刃によって、キスルに惨劇をもたらした悪しき魔獣に死を与えるのだ! 誉れを己の手で掴み取れ! 奴隷たちもだ、さあ」
逃げる際に放り出された槍を拾い、その持ち主である兵士に差し出す。
何度か突撃を試みた男だ。
無様に逃げはしたが、その心意気は誇るに足る。
武具の魔術は間違いなく損壊しているだろうし、名誉くらいは手にしてもらわねば、こちらとしても後味が悪い。
「ああ。ただその、気は抜くなよ。もはや虫の息、魔法も使えぬとは言え魔獣は未だ生きている。ここで命を落としては台無しになってしまうからな」
槍をしっかりと握りしめた兵士に、緊張をほぐすように声を掛け道を開ける。
兵士が足を踏み出す。
一歩二歩と瀕死のキマイラとの距離を詰めていく。
彼に触発された兵たちが、その手に手に武器を持ち、苦しみ悶える魔獣ににじり寄っていく。
そう。それで良い。
観衆の意識が目の前の魔獣と、その先にある栄誉に向かうのを確認し、私はキースとクゥを連れひっそりとその場を後にした。




