86.示すべき価値
食事を終えて早々に、キースとクゥは後半の夜警に備えて眠りについた。
春になったとは言え夜はまだ冷える。
嵩張る寝具は数を持ってきておらず、ふたりは1枚の毛布の中で身を寄せ合っている。
相変わらず仲の良いことだ。
来年にはキースも成人。義兄妹だからなんて言い訳も、そろそろ厳しかろうよ。
どうせ収まるところに収まるのだろうが。
クゥとはまるで反りが合わないが、別に嫌っているわけでもなければ、邪魔に思っているわけでもない。
逆に、キースにとって必要な人間だとすら考えている。
黒の民である限り、生きようと足掻けば足掻くほどに、進む先は茨の道しか有り得ない。
そこを共に歩む者として見た時、あれほど心強い者は早々いないであろう。
例え魔法種という上位者が存在するとしても。
そう、打算だ。私は損得からクゥに価値を見出している。
キースが聞けば苦い顔をすることは間違いない。
だが、なに。それだけだ。
私のクゥに対するこの考えは昔からのものだし、あいつは私がそういう人間であることを承知している。
今更、考えを改める必要性も感じない。
精々価値を損ねた際に、キースにどう諦めさせるかと頭を悩ませる程度だ。
梢をざわめかせながら風が木々の間を抜ける。
炎を乱し火の粉を散らし、体から熱を攫って行く。
ぶるりと震えそうになる肩を身を縮ませるようにして黙らせ、そっと炎に焚き木をくべる。
もう1枚ある毛布はイシェルセナに渡してしまった。
例の『門』とか言う魔法で、自身の使う分は用意するだろうと気軽に考えていたのだが。
魔法の苦手というのはかなり厄介なものらしい。
あるいは寝る直前に出せばよいと考えていたのかもしれない。
ただこの娘は見ていてどうにも寒々しいし、なにより私だけが使っている状況というのは、体は温まっても心が凍りかねない。
寝る時には、ふたりが使っている物を借りるつもりだ。
イシェルセナに魔法で取り寄せてくれなんて頼んだりはしませんよ。
本人が嫌がっていることを強要するなんて、ねえ。
このお嬢さんの不興は買いたくありません。
そうして夜半。
炎の中でぱちぱちと小枝の爆ぜる音を脇に、私はこれからの動きをイシェルセナに確認していた。
「隊は真っ直ぐ北に進路を取り、ペルタに抜けると聞いています。それから、こちらを渡すようにとケッゼイ様から仰せつかっております」
「これは街道図でしょうか。ふむ、やはりドートレンに向かうには遠回りになりますね。ヘンビクフラに留まるよりは良いかと思われますが。魔獣を討伐した後は当初の隊の予定通り、そのまま西に向かい、それから北上しペルタに入るという形でよろしいでしょうか。隊を待つことになりますが」
「はい。ケッゼイ様ともその様な手筈となっております」
「ケッゼイ殿が了解されたのですか。守りが手薄な期間が長くなりますが……」
「ペルタでは協力者が護衛につくと」
主語を伏せてきたな。
ケッゼイ殿が言ったのではないだろう。言って承服させたに違いない。
「なるほど……。そろそろ、魔獣が次の街に辿り着く頃でしょうか」
「早ければ。ですが、もう1日ほど猶予があると見ています」
見ている、ねえ。
やはり、我々の外にも動いている連中は居ると考えてよいだろう。
誰の思惑で動いているのかは、定かではないが。
……さて。
ここにはイシェルセナしか居ない。
売り込むなら、今この時に売り込まずしていつ売り込むと言うのか。
いやまあキースとクゥも居るには居るが、さして問題はない。
「できることなら市街戦が良いですね。生き残りもそれなりに居ると望ましいです」
「なにか考えがおありの様ですね」
「そんな大層なものではありませんよ。ところでイシェルセナさん。我々の外に魔獣の討伐に動いている者たちが居ると仮定して、彼らが闇月の僕であった場合、その足止めは必要だと思いますか?」
イシェルセナの目が寸時思案に伏せられ、そして笑んだ。
炎を映す黄金の瞳が愉快気に。
お気に召していただけたようでなによりです。
「そうですね、ふふ。その様な者達が居るのだとしたら、表に出てきてほしくはありませんね」
「では逆に、どの月の僕であればお任せしてしまった方がよろしいでしょう?」
「実は、イラ殿にお見せしたい物があるのです。魔法を使わねばならないので少し場所を移したいのですが、よろしいでしょうか?」
「近辺に魔物は居ないようなので、少しの時間であれば離れても問題はないでしょう」
改めて辺りの音を探り、それから消魔結界を閉ざし立ち上がった。
イシェルセナの先導で、野営場所から少し離れたところにある沢へとやってきた。
ちょっとした落差があって、流れる水音を際立たせている。
「それで、見せたいものとはなんでしょうか?」
「こちらです」
そう言ってイシェルセナは、魔法によって門を現出させる。
そして腰に差した短剣を鞘ごと外すと、その先に引っ掻けるようにして門から包みを取り出した。
初見は驚きっぱなしだったが、いやあ、この魔法いいな。
私も欲しい。
魔法を使えぬこの身がなんとも憎らしい。
いや、鬼族でなければ使えぬのだったか。
悔しいねえ。
戦いに用いる類の魔法はどうでも良いのだが、こういう魔法は使ってみたかった。
「鬼族の使う魔法とはなんとも便利なものですね」
「そうかもしれませんね」
そんな私の胸の内とは反対に、イシェルセナの声は陰りが強い。
やはり負担が大きいのだろうか。
「体は大丈夫なのですか?」
「朝はお見苦しい姿をお見せしました。この程度でしたら備えておけば然程。全くとはいきませんが。見せたい物と申しますか、お渡ししたい物はこちらになります」
包みが解かれ木箱が顕わになる。
細い指が蓋をずらすと、無造作に詰め込まれた聖章が月明かりに照らし出された。
あらゆる教派の、多様な戒の聖章が箱の中にはある。
イシェルセナの指先が聖章の山をかき混ぜ、やがて指先に掛けて取り上げて見せたのは、白の月の十戒だった。
正統派を装って傾いた天秤を元に戻すだけかと思ったが、白を使うか。
それも、聖地で戒を得たことを示す条贄の十戒である。
感覚的に説明すると、十戒がカトリックで言うところの司祭から助祭に当たるならば、権威だけで言えば条贄十戒は司教に近い。
なぜこんな物を、しかもこれほどの量所持しているのか。
気になるところではあるが、真に気にかけるべきはそこではない。
果たしてこれはムドヤハサの意向に則ったものかな。
混乱を拡大させる一助にはなる。
ただ同時にこいつは、小さな英雄を産み落とす。
虚構の英雄と伝説を。
それは少数民族を支援する青の教派への憤懣を煽り、新たな流れを作ることに他ならない。
白の教派を誘引するだけの力を持つかは、疑問の残るところではある。
だが火種としては十分だ。
慎重に言葉を探す。
辺りに人の気配がないのはもう何度も確かめている。
それでも、直接的な表現を用いるのが怖かった。
「風向きが変わりそうですね」
無論、天候を指して言っているのではない。
勢力図が塗り替わることを示唆しているのだ。
「銀吹もひと月が過ぎていますからね。北風の気まぐれに煩わされる日々も、じきに終わるでしょう」
北が隊商の目的地であるハフィスカルネア、そこで戦乱の火種を振りまくムドヤハサを指しているのは間違いない。
父であり主でもあろうその人物を蔑にするがごとき言。
冷汗が頬を伝う。
やはりこの娘、ムドヤハサとは別の思惑で動いているな。
野心か叛意か。
にしても、はは。それを明かすか、この私に。
武力も知性も財貨も権威も持たぬただの凡愚、異物なだけのこの私に。
存外決断が速い。
先の僕のくだりは殊の外、高く買って貰えたということか。
知恵を振り絞った甲斐があるというもの。
だが、今しばらくは大人しくしていてほしいものだ。
あなたがどこまでを望んでいるのかは知りませんけどね、こちらにも備えというものが必要なのですよ。
「旅の身としては黒幽の寒さから解放されるのは助かります。ですが、白成の暑さはあれはあれで身に堪えるのですよ」
「我々人に与えられた試練と承知してはおりますが、私も好むところではありません。ハフィスカルネアには白成季でも冷涼な地域があります。ひと時留まり旅の疲れを落とすには良い土地ですよ」
「それは良いお話を聞きました。考えておきましょう」
ひと時、ね。
まったくなにを考えているのやら。
「ですがイシェルセナさん、少し気が早くはありませんか。まだ我々は魔獣も倒していないのです」
「それはごもっともなお言葉です。すでに討ち取った気になっていました」
頼りになる方ばかりなので、などと嘯いている。
さいですか。
あなたほど頼りになる者は居ないと思いますがね。
とは言え白の僕を演じるなら、この娘に派手に動かれても困るのか。
策を練らねばなるまい。
退屈な見張りの時間も、どうやら暇を持て余さずに済みそうだ。
「これは確かにお預かりしました。さて、戻りましょうか」
「はい」
イシェルセナは更にひとつ聖章を抜き取ると、包みを縛り直し門へと戻す。
どうせ魔法を使うなら、ついでに寝具を用意させれば良かったと気づいたのは、野営地に戻って間もなくのことであった。




