82.魔獣災害への対応策
信仰を軸に鬼族の慣習や、奴隷として雇った獣人たちの話をしていると、やがてケッゼイ殿が天幕を訪れた。
その後に続いて、キースとクゥが入り口を潜って入ってくる。
うむ。これは、あれだな……謝った方がいいのか?
「もしやとは思ったが、イラ殿はこちらであったか」
「探させてしまいましたか」
「いや、俺は他の者から話を聞いていたのでな。探していたというなら」
ケッゼイ殿は振り返る素振りで背後を示す。
そのがっしりとした体躯の脇から、呆れたような目が私を睨んでいる。
確認してくると言ったきり、キースになにも告げずこちらに来てしまった。
目先の利益に飛びつくとか考えが甘いな、私は。
キースに不審を抱かれるのも不味いというのに。
「彼女にも状況を伝えた方が良いかと思い訪ねたのですが、方々を旅されてきただけあって、実に多くの興味深い話を知っておられて。ふたりには手間を掛けさせてしまいましたね」
謝罪は小さく頭を傾けるに留める。
イシェルセナは気にしないでもよいだろうが、ここにはケッゼイ殿が居るからな。
意識して距離は取らないといけない。
「ふたりを連れて来られたということは、私たちに仕事でしょうか?」
「騒ぎついてはどこまで聞いている?」
ほんの寸時、そう口にするケッゼイ殿の視線がイシェルセナに移った。
なにかあるのか?
まあ私は殆どなにも知らぬので、知らぬと答えるだけだが。
「朝にオースさんから軽く教えて頂いた程度なので詳しくは。街道の先に魔獣が現れて、避難してきている人たちがいるとだけですね」
「そうか……ああすまない。イラ殿も座ってくれ」
イシェルセナがさも当然といった様子で椅子を並べていた。
ケッゼイ殿も特に気にした風もなくそれに座る。
この隊の最上位指揮権はイシェルセナが握っているらしいことは、以前に当人から聞いている。
交渉の席では彼女の意向を気にする素振りも見せた。
顔合わせの時は、奴隷然とした振る舞いを取ることに抵抗も示していた。
なのに椅子を用意するのは当然のような態度。
おおお、なんか気持ち悪い。
論理的に考えれば、地位に基づく理性的なあるべき言動に対し、意識的に行動しないと染みついた習慣が表面に出てしまうとかそんな感じなのだろうが。
植え付けられた、身分という信仰の根の深さを垣間見た気分だ。
これは他人事ではない。
ケッゼイ殿との定めがあるからと身分を軽視した言動を続ければ、間違いなく隊の者に目を付けられる。
イシェルセナとの距離を詰めるのであれば、他でバランスを取る必要があるのだ。
ウルリムに働いてもらうのも手か。
とは言え、今はこちらをどうするかだ。
向かい合わせの椅子の間に木箱が置かれ、その上に地図が広げられる。
「手の者が得た情報によると」
そう言ってケッゼイ殿は仔細に状況を語ってくれた。
魔獣災害の元凶は番いのキマイラ。
2型と3型で、主要な魔法はそれぞれ暴風と火炎。
確認されたのはもう3日も前のことだという。
魔境に生じた火災の調査に出た部隊が現場にて発見した。
その際の遭遇戦で調査隊は壊滅。
生き残りが付近の街に逃げ込み、魔獣出現の報がもたらされたわけだが、同時にキマイラを街に誘導する結果にもなった。
まともに備えもできていなかったその街は、わずか一晩で焼け落ちた。
猛り狂ったキマイラはその後も、街道から少し逸れた位置を東進し続けている。
現在位置はここから街道沿いに西へ5日ほど。
遠からぬ内に3つ先の街に達するだろうとのこと。
軍の対応は遅い。
体勢を整え迎撃に乗り出すまでに、悪ければ街があと3つほど落ちる。ケッゼイ殿はそう見解を述べた。
理由は分かっている。戦力が揃わないのだ。
内戦からこちら、国内に不満が高まり続けている。
その抑えとして、ヘンビクフラは軍を各街に分散して配置していた。
領民の反乱に対する警戒と、魔獣の警戒とに振り分ける兵力を誤ったのだ。
それが防衛線の構築を遅らせ、人界深くへの魔獣の侵入という事態を許すことになった。
だが、ただ動ける部隊を出していったのでは、各個撃破の憂き目に合う。
だから動けない。
事態の悪化に歯止めが効かないところを見ると、本来であれば魔獣迎撃の最前線となるはずの亜人の村との連携も、おそらくはできていないのだろう。
もしくは火災とやらが、亜人の村々を焼いた跡であったか。
一通りの状況説明を聞き終えると、沈黙が天幕の中を支配した。
状況は極めて悪い。
軍の失策は、支配者たる少数民族の危機対応能力のなさを露呈させる事態であり、そうなれば闇の教派への恭順の流れは加速することになる。
先に待つのは青と闇による内乱だ。
闇の教派が討伐隊を派遣すれば、多数派の消耗は避けられる。
だがこれはただでさえ危うい勢力間のバランスを崩す危険がある。
結末は変わらない。
故に青の教派はこの討伐隊の派遣を、中央を無視した独断専行として、謀反の疑いをかけ処断する公算が高かった。
支配者がその実無能であれ、大衆に無能であると公言するような事態はなんとしても避けねばならないのだ。
民は自分たちが生きていくに足る支配者であれば、彼らに多くを求めはしない。
だがそれが叶わぬことと知り、より力ある支配者がすぐ目の前に居るとなれば、話も変わってこよう。
本来なら闇月への悔宗には強い抵抗があるはずだが、古典派の敵となっているのは、同じ青の教派の正統派だからな。
青の月が庇護を示さないのでは、生き延びるためには逃げ道を探す他ない。
それに、闇の教派は言葉巧みに古典派を唆して回っているようであるし。
多数派が独力で亜人を集結させ、魔獣の討伐を成功させれば、あるいは今の緊張状態を維持できるかもしれない。
しかしそれを選ぶには、人は神に縛られ過ぎている。
どう足掻いても内戦への流れは避けられない。
だというのに……イシェルセナさんや、なぜお前さんはそんなに落ち着いていられるんだい。
私の視線に気づいたのか、イシェルセナはかすかに目を細めた。
知っていてこの状況を放置していたことと言い、なにを企んでいるんだこの娘は。
「護衛の立場から今後の隊商の身の振りようについて意見をまとめたい」
ケッゼイが重い空気を割るように声を張った。
「まとめる、ですか。我々は行きずりの者に過ぎませんよ。他の護衛の方々の意見を聞いた方がよろしいのではないですか?」
「であればこそ、我々には思いもよらぬ意見も浮かぼうと言うものではないかな? それに言い辛いのだが、俺たちは兵士に過ぎんのだ。軍の動きは読める。しかしだな、市井の臭いにはイラ殿の方が敏感であろう」
「そうまで言われるのでしたら」
まずケッゼイ殿の考えを聞いて、それから適当に望まれそうな考えを返せばよかろう。
あの様子では、どうせイシェルセナが答えを出しているのだろうしな。
「俺が先に考えを述べては意見を出しづらいだろう。ぜひイラ殿の意見を先に聞かせてほしい」
……は?
はぁっ!?
あっぶねえ。思わずイシェルセナを睨みそうになった。
表情は、変わって……いないな。修練の成果が出ている。
腕を組んで神妙な表情をしているが、この小賢しい感じ、ケッゼイ殿の発想ではなかろう。
イシェルセナの入れ知恵なのは間違いない。
しかし、くっそ。汚い真似をしてくれる。
いや落ち着け。そんな考えは持つべきではない。退路を断って獲物を追いつめるのは当然の策だ。
そう、私はイシェルセナにとってみれば獲物に過ぎない。
元々己の価値は示すつもりでいたのだ。
静かに深呼吸をする。
「様子見という選択肢はないと考えています。理由は……これからこの国が大きく乱れるからです」
明言はしない。しないことが答えとも言える。
ケッゼイ殿は、まあ都合の良いように受け取ってくれるだろう。
「この国から出るべきと、そういうことか」
案の定の言葉に私は沈黙で答える。
多少この国の内情に通じている人間なら、国内に漂う緊張には気づく。
軍人ならばそれが戦争の火種となり得ると、そうした結論に行き着くのは容易に読める。
隊商にとっての最善を考えるのであればそれで構わないはずだ。
「それは困りましたね」
ケッゼイ殿が肩をびくりと震わせた。
私も似たような動きをしてしまったかもしれない。
よもや当人が口を挟むとは思っていなかった。
「代案はありませんか?」
ある。あるが、口に出来る訳なかろう。
それを口にするということは、ムドヤハサの企みを私が嗅ぎ付けていると公言するようなものだ。
私を殺す気か。
それともなにか、ここで迂闊なことを口走る様なら死ねということか。
「手前の様な庶人にはこれ以上は過ぎた世界のことですので」
「それは残念です」
大仰に落胆を示したイシェルセナは、それから魔獣討伐を私たちに提案した。
驚愕を示すケッゼイらに合わせ、私も顔に驚愕を張り付ける。
口では「それは軍の仕事で、私たちの領分ではないのではないでしょうか」などともっともらしいことを言っておく。
茶番だ。
ケッゼイ殿はもちろん、キースもそのことに気づいてはいないようだが。
様子見という選択肢はない。
私はケッゼイ殿にそう答えた。
だがそれは国を脱するという一案のみを示しているわけではなかった。
本命はこちらだ。
ムドヤハサの暗躍の真意を酌むのであれば、各勢力の均衡を崩す訳にはいかない。
そのためには天秤に乗せられた想定外の錘を速やかに除く必要がある。
つまるところ、魔獣を始末せねばならんのだ。
それで事態が収束するかは定かではない。
魔獣を討ったとて、残る混乱を放置すれば、それが新たな火種となるのは想像に難くない。
けれどイシェルセナの余裕のある態度からすると、そちらはすでに手配済みと考えてよさそうだ。
あの書簡と報告書が怪しいな。
即座に行動に移らなかったのは、場が整うのを待っていたのかね。
材料は揃っていたというのに、思い至るのが遅い。
「闇月の僕たる我々が、無辜の民が無残に殺されていく様を見て見ぬ振りができましょうか」
などとイシェルセナがのたまう。
挙句、冗談ですと結んだ。
そうやって聞く者たちの心中を掻き回すだけ掻き回し、そしてついに本当の理由は口にせぬまま、イシェルセナは討伐を決定事項として話を進め始めた。




