79.魔獣災害にかこつけて
街をひとつ東に移ったところで、早くも我々の旅は、立ち込める暗雲に行く手を遮られることとなった。
その日、門前の宿営地は早朝から、緊張を孕んだ静かなざわめきに包まれていた。
次の街へと発つという話であったはずだが、少し離れた所にある隊商の本陣にそれらしい動きも見られない。
なにかあったなと結界の閉鎖を解き、強化した聴覚で辺りの声を探ってみれば、『魔獣』『街道』『避難』といった単語が飛び交っている。
それだけで凡その事情は察せられようというもの。
魔獣災害が起きたのだ。それも、我々が進もうとする道の先で。
見解をキースに伝え、私はより詳細な状況を知るべく隊商の陣を目指す。
ケッゼイ殿の天幕の前に人だかりができていた。
「オースさん、この集まりは? 問題でも起きましたか?」
顔見知りとなった護衛のおっちゃんを見つけたので、不安げに状況を尋ねる。
「おう坊主。遅い登場だな、寝坊助か」
うぐ。確かにちっとばかし警戒が足りていなかった。
こういう事態にこそ、誰よりも早く気づき備えをせねばならないというのに。
言い訳をさせて貰えば、隊に属してからというもの、色々と魔力を使った実験をしているのだ。
黒の民である私を人間たらしめている消魔結界の相殺は、かなりの力技だ。
私は体内を流れる魔力のほぼすべてを意のままに捻じ曲げることができる。
だが極一部、私がどうやってもその動きに干渉できない魔力の流れがあった。
それらは思うに、私のものとは異なる魔力によって構築されている――魔法だ。
消魔結界は、そうした体の内に存在している魔法の中のひとつだった。
複雑で精緻なその魔力流のある箇所を、複写し、逆流させ、同じ箇所に重ね合わせる。等量の魔力をまったく同じ速さまったく同じ圧で。
そうすることで私は消魔結界の作用する方向を歪め、効果を打ち消している。
操作が弱ければ体表に消魔結界が残り、強ければ結界が体内の魔力を食い荒らす。酷く精密さを要求される技だ。
もうね、しんどいんですわ。
想定よりもだいぶ早く人間に混じって生活することになった。
急ぎ改良が必要であった。
最終的には、睡眠との両立は無理でも、せめて半覚醒まで意識レベルを落とせるようにはなりたい。
そんなこんなで己の内側にばかり意識が向いていたため、この度、醜態を晒すハメになった。
「出発の準備をしていたんですよ。そうしたら皆さん、まるで撤収する様子がないじゃないですか。もう、ひと言くださいよ。私たちの天幕が離れてるのは知っているでしょう。それから子供扱いしないでください。これでももう成人してるんですから!」
「坊主扱いされたくなけりゃ、もっと食え。でかくなりゃ誰も言わなくなるだろうよ」
体格に恵まれた人がそう言うと説得力あるね。
まあ私も食ってはいるんですよ。人並み以上に。
ただどうもこの身体は燃費が悪いようでね。魔力が成長に回らんのだわ。
ここで止まらないことを祈る毎日よ。
「横にしか大きくならなかったらどうしてくれるんですか。それに、オースさんが坊主坊主連呼するから、他の人たちまでそう呼ぶようになっちゃったんですよ。それでどうしたんですか、これ。魔獣がどうのって物騒な言葉が聞こえてくるんですけど」
一転して表情を険しいものに変えたオースさんは。
「ああ、実はな」
そう言って私に騒ぎの理由を説明してくれた。
魔獣が街道を数日進んだ先で暴れているという情報が入ったこと。
隊は情報の収集の必要性から、出立を先延ばしにしたこと。
街の反対側には、夜通し逃げてきた避難民が集まり始めているらしいこと。
さして驚くような話ではない。
収穫はと言えば、情報の伝達が遅く、量も質も不十分であるということか。
辺りの他の隊商の陣を窺えば、ここと似たり寄ったりの塩梅である。
解せんね。なんとも腑に落ちない。
あまりに対応が平凡に過ぎるのだ。
……いや、これが対応としては正しいのか。
おそらくは事が周知されるのを待っていたのだ。
危機に大きく先んじて動けば、それは他の与り知らぬ情報源を有していると示すことになる。
眼前の危険を避けて別の危険を招いていては意味がない。
だから目立たぬよう半歩だけ、他の動きに先んじるつもりでいるのだろう。
ならば、今しばらくはこのままか。
しかしだな、黙って待つというのも芸がない。
それに私は振り回される側でいたくはないのだよ。
……当たってみるか。
今ならば、隊における私の立ち位置を思うように誘導できる気がする。
「彼女には伝えてあるんですか?」
天幕群の外れを見やる。
「あー、どうだろうな。護衛長が直に伝えてるかもしれねえけど……」
頭をぼりぼりと掻きながら、オースは護衛仲間に目を遣る。
私もそれを追ったのだが……。
今のやり取りを聞いていたであろう誰も彼もが、わずかの間に視線を逸らしていた。
「おれたちは、なあ。触らぬなんとかにって言うだろ」
鬼ですね。触らぬ鬼に災いなし。
似たような諺が長耳族と光翼族にもあったはずだ。
気持ちはよくわかる。
いくら奴隷の身分で人間に対し従順に振る舞っていようと、鬼族は鬼族。生き物としての次元の違う相手である。
当人にその意思がなくとも、手が滑ったで殺されてもおかしくない。
そんな完全なる力の権化。
避けられるのなら避けるのが当然だろう。
私だって、関わらずに生きて行けるならそうしていたい。
「まあそういうわけだ。誰も行ってねえだろうから……イラ殿、頼んだぞ」
「え、私が行くんですか? と言うかこういう時だけ名前で呼ぶの止めてくださいよっ! それに、そうです。きっとケッゼイ殿が話に向かわれます」
「イラ殿。この様に話を交わしてしまった以上、もはや知らぬでは通せなくなったと思うのだが、いかが考える?」
「カェスさん、私の名前覚えていたんですね……ではなくてですよ! 外野の私でいいんですか、これまではどうしていたんですか」
おぉ、誰も目を合わせてくれません。
護衛の人たちだけじゃなくて隊員の人も。
「は、嵌めましたね」
「人聞きの悪いことを言うな。坊主が勝手に嵌っただけだろうが」
「ぐっ……これも闇の月の試練でしょうか。そうですね、鬼族ごときに臆していては十戒の僕になど到底なれません……。行ってきます」
その意気だ。僕の鑑だ。真似できねえぜ。カッコいいぞ兄ちゃん。漢だ。
そんな声援が方々から投げられる。
なんだか楽しそうですね皆さん。
立ち止まって振り返る。
「なんなら代わってくれても……」
声援がぴたりと止み、示し合せたように皆が一斉に背を向けた。
いやあ無駄に統率された動きに私、若干引いております。
言うてどちらも軍隊みたいなものだからな。出来ても不思議ではなかろう。ひと月以上共に旅をしているようだし。
元々有能ではあるのだろう。仮にもイシェルセナの同行者だ。
なにもこんな場面でその能力の高さを発揮することはないだろうに、とは思う。
娯楽が少ないのは承知しているが、小僧をつかって火遊びは感心しないぞ。
気づいていないのだろうが、な。
だがそれは、私にとっては好都合だった。
お陰で私は彼らの意思によって、あれと会う機会を得ることができたのだ。
胸の内でほくそ笑む。
そして盛大に溜息を吐き、イシェルセナの天幕へと力なく歩みを進める。
隊でのイシェルセナの扱いはかなり特殊だ。
獣人の奴隷が居ることで扱いの差が際立っている。
イシェルセナは人として扱われていない。兵器、つまるところ物として扱われている。それも爆弾かなにか危険物の様に。
物静かで従順、けれどなにを考えているのか分からない。得体の知れないモノ。
以前ケッゼイ殿は護衛として連携を取るため、身分を不問にしているようなことを話していたが、あれは間違いなく場当たり的な回答だったな。
隊の者達は扱いに困り果てた末、人として相手をするのを諦めた感がある。
しかしそれでは、彼らは心の奥底に燻る怖れを完全に拭い去ることができない。
そして、そんなところに獣人という組しやすい奴隷が加わった。
比較対象を得たことで、怖れからくる後ろめたさは強まる。
かといって、今更その扱いを変えることも難しかったのだろう。
たった数日を共にしただけであるが、彼らがイシェルセナを持て余しているのは明らかだった。
だから生贄を用意してやったのだ。
結果はご覧の通り。
あとはこれを取っ掛かりに、彼らを安心させつつ、同時に納得させられる口実を揃えてやればよい。
そうすれば、私がイシェルセナと接触することに不審を抱く者はなくなるに違いなかろう。




