76.世界の高きを垣間見る
ラクハサ――本名をイシェルセナと言うようだが――との模擬戦闘による能力の確認を終え、私たちは天幕へと戻っていた。
隊商と行動を共にすることに決まったわけだが、天幕は元の場所のままだ。
黒の民の使う天幕だからな、迂闊な場所には移動できない。
「熟練の戦士と戦ってみてどうでしたか?」
「己の未熟さと人間の脆弱さを知ったよ。あれだけ技量に差があっても、戦場で出会えば勝つのはオレだ」
「群れていようと?」
「ああ。こっちも集団だろ。数的劣勢でも倍程度は余裕だろう」
「言いますね。では……夜叉族と戦ってみてどうでしたか?」
「最悪。最低。なにあれ死ねばいいのに。ホントやだ。あれと仕事するとか冗談。同じ空気を吸いたくもない」
脇からクゥが早口で捲し立てた。
「なんだか懐かしいですね。私もよく似たようなことを言われました」
「言わないだけで今も思ってるから」
「これは余計なことを言ってしまいましたね」
クゥが敵意を抱くのも、まあ分からないではない。
昼間行われた模擬戦。結果はクゥの惜敗だった。
一見すると。
あまりに次元の異なる戦いぶりに、ケッゼイから離れ結界の抑えを外し、魔力操作を総動員して成り行きをつぶさに観察した。
人間程度の感覚のままでは、まともに状況を掴めなかったからだ。
だがその甲斐あって断言できる。
クゥは必死に食い下がってはいたが、展開は終始イシェルセナが主導権を握っていた。
ばかりか、彼女はなにか試す様な、そんな素振りで模擬戦に臨んでいた。
圧倒することはないが、窮地に陥ることもない。
解放を使うクゥを相手にして、明らかに実力を伏せていた。
人の目を意識してのことかもしれない。
見せるべき程度を推し量っていたのかもしれない。
ただそれは、相手をしていたクゥにしてみれば酷い屈辱であろう。
戦いにおけるそうした感情の動きに、イシェルセナが気づいていないというのが意外であったが、卓越した実力とは裏腹に実戦には慣れていないのかもしれない。
それにしても、種族の格の違いと言うものを思い知らされる。
あるいはだからこそ、戦いに価値を見出していないと見ることもできるな。
「自信失くすぜ、あの夜叉族とやると。ケッゼイのおっさんにやったのを数倍にして返された気分だ」
「折れないでくださいよ」
「くく。折れねえよ。それに、あのおっさんとやれたのは良かった。純粋に剣の技量で負けたのはいつ以来だろうな。なあヤ……イラ」
「なんですか、予想はついてますけど聞きますよ」
「おっさんとまた手合せしてもらえるよう上手く運んでくれねえか?」
「まあ、期待せず待っていてください」
「2人ともなにも分かってない」
そんな私たちの軽口をクゥは切り捨てる。
声に混じるのはやはり焦り、だろうか。
「あの女、絶対におかしい。普通じゃない。だってあたし、思い出しただけでこんな、手が震えるほど……怖い」
まさかと絶句してしまう。
それほど奇異な光景だった。
「……悪い、フーリ。気づいてやれなかった」
小さな肩を抱きしめる。
キースの腕の中で震えるクゥは、歳相応のか弱い少女に見えた。
「ごめん。あたし弱くて」
今にも泣き出しそうな声。
しかし悪いが、そういうのは後で2人でやってくれ。先に確かめなければならないことがあるんでね。
「クゥ。なにがそれほど怖いのですか。あなたを追い詰めたザイネルに対しても、それほどまでの怖れは見せていなかったでしょう」
「あの火傷顔は強かった。動きに無駄がなかった。剣の腕はあたし以上だし、消魔結界の中で魔法まで使ってみせる化け物だった。あたしよりもずっと黒の民のことをよく知ってる。だからあたしは勝てなかった。でもあの女は違う。動きはあたしの方が早かったよ。剣筋は適当だし、力だって足りてない。魔法だってロクに使ってない。それなのに、あたしの剣はまるで届かなかった。意味分かんない」
そういうことか。
やはり、あの娘は変わっていないな。
と同時に恐ろしさも感じる。
私の想像とは異なり、クゥは屈辱を感じているわけではなかった。手を抜かれたという認識すらない。
故に理解できないものとして恐れている。
その恐怖はよく分かる。
だがそれを私の口から告げることは出来ない。
私が気づけたのは、初めからそうした可能性を念頭に置いていたからに違いない。
戦いに慣れていないなどと勝手な解釈をしてしまったことは、猛省せねばなるまい。
「世界は広く、未だ我々の知らぬ暴威が犇めいているのですね。クゥ。あの娘も私と同じように仕方のないものと諦め、耐えてみてはくれませんか? これから先、どれほどの強者と出会うとも知れません。高みにある彼らと間近に接するこの時間は好機と、そう捉えることは出来ませんか?」
「そうしないとあの火傷野郎には勝てないって言うんだ。嫌な奴」
「オレも良い機会だと考えてる。戦場に立ってから後悔しても遅いからな」
「分かってるよ」
「承知のこととは思いますが、あの娘はムドヤハサの手の者です。それに指示を出す立場にあるケッゼイも間違いないでしょう。あの2人にはくれぐれも注意してください。他は中央と繋がりを持たない雑兵と思って良いかと」
「昨晩言ってた監視は?」
「それあたしも気になった。紹介された中に居たの?」
別方向に意識が向いたお陰か、いくらか冷静さを取り戻したようだ。
「イシェルセナさんと同じく、裏の護衛と考えておけばよいと思います。どうも人間ではなさそうでしたから……というかですね、もしかして2人は」
「気づけなくてすみませんねえ」
「こっち見んな矮小」
人様を短小みたいに言うんじゃねえよ。せめて顔を見ろ顔を。
しかしそうか。思ったより優秀な手駒を持っている。
それでもエムリなら気づけただろう。
あの子は、フィオ以上に私の弟子らしい弟子だったからな。
戦って死ぬなんてらしくないことしやがって。送ってやることすらできなかったじゃねえか。
……心残り、か。
いかん。いかんな。雑念に惑わされるとは。
雑念だ。私たちが生き延びる上で不要のものだ。
にしても、さっきからちらちらと悪寒が感覚を掻き乱す。
イシェルセナだ。こんなおぞましい気を垂れ流す者が、あの娘の他に早々居てたまるか。
あんなのが跋扈する世界だとしたら、私は本気で辺境に逃げるぞ。
いやもう魔境に逃げ込んだっていい。
しかし……居るのは分かっているのに、まるで索敵に引っ掛からない。
魔法による隠蔽か?
素で気づけないとしたら、能力の差が大きすぎて厄介だな。
この気配がある限り、私から身を隠すのは不可能であろうが。
威力偵察でもしてみるか。
「仕方ありません。私が挨拶をしてきましょう」
「本気か? と言うか今も居るのかよ」
「居ると言えば居る。居ないと言えば居ない。といったところです。ふふ……そう気を悪くしないでください。昨晩の感じからして、深く探りを入れる気はないと思いますよ。ただあちらとしてみれば私たちは素性の分からぬ浪人ですから、得られる情報があれば得ておきたいのでしょう」
「オレで足りるか? クゥも?」
「1人で十分ですよ。黒の民が出ては警戒されてしまいます。そうですね、名前だけ借りることにしましょう」
「まーたお前はそうやって。……危険はないんだな?」
「クゥが暴れれば、イシェルセナさんが動く頃には隊商は壊滅です」
「そいつは、くく。なんとも丈夫な命綱だ」
「でしょう?」
「行ってこい。もしもの時は骨に祈ってやる」
「お気遣いどうも。でも肉も皮も付けたまま帰ってきますよ」
「そいつは残念」
立ち上がり軽く蹴りを見舞ってから、私は天幕を後にした。




