75.偽りに彩られた対面
ケッゼイとキースたちとの顔合わせは波乱もなく終わった。
私たちはゴドルの隊商に護衛として雇われることが決まり、私は雑用兼護衛のような形だが、他の護衛や隊員たちへの挨拶に回っていた。
そして再び街の外へと戻り、最後にと、隊商の天幕の1つに案内される。
どうやらそれは、ラクハサに宛がわれた天幕であるらしかった。
「――紹介に預かりました夜叉族のイシェルセナと申します。卑賤の身ながら聖章を賜る栄誉に恵まれ、現在は主命によりケッゼイ様の元で隊商の護衛を務めております」
裾が汚れるのも構わず地に膝を着き、ラクハサが深々と頭を垂れた。
伏せたままということはなかったが、露わになった面、そこにある湖面のような黄金の双眸が私だけを映しているのが、その……とても怖いです。
私の背後に控えるキースとクゥを、まるで居ない者とするかのようなそんな視線。
黒の民など歯牙にもかけないということの表明だろうか。
私もその黒の民なんですがね。
それをこの娘は知っているはずだ。
知っていてこの様に、まるで人間に対するかのような態度で接している。
やめてくれ。
ただでさえ異様な魔法の気配に当てられていると言うのに、追い打ちをかけるようなこの振る舞い……。
まともに息が吸えない。
呼吸ってどうやるんだったか。
策を誤ったのではないか。そんな思いがふつふつと湧き出す。
見ればケッゼイ殿の口元も強張っている。
平時はここまで下の者としての態度を示してはいないのかもしれない。
当て付けか。嫌味か。
それとも、暗にそう扱えと言っているのか。
ええいままよ。
「あぁ、そう畏まらないでください。確かに身分は違います。けれど同じ闇の月の僕ではありませんか。どうか立ってください。ケッゼイ殿、よろしいでしょうか?」
念のため上位者であるケッゼイに確認を取ると、実戦において振る舞いにこだわっていては動きが鈍るからなともっともらしく頷いた。それから、隊の中では不敬な言動を慎む前提で自由にさせている、と思い出したかのように付け加える。
好都合、と言うべきか。
丁度、イシェルセナの不敬な振る舞いを容認するかわりに、キースとクゥの不敬を許容してもらおうと考えていたところなのだ。
「申し訳ありません。私の連れなのですが、そうした作法に疎く、身の程を弁えぬ言動が目立つかもしれないのですが」
「ならばイラ殿。武に生きる者として、互いに礼節については最低限で良しとする、ということでどうだろうか?」
お気遣いありがとうございます、と頭を下げる。こちらの方が大きく譲歩してもらっているのだ、それくらいは当然。
まあ、私は武人ではないのだが。
提案を呑んだことに、ケッゼイは少し気が安んじた顔をしている。
この分だと、イシェルセナはケッゼイの上役の名代といったところかね。
奴隷が直接上位の者ということはないだろうしな。
「ケッゼイ殿もああ仰られております。どうぞ」
促すように手を差し出して……しまったと思った。
わずかに身構えるケッゼイの気配を感じる。
イシェルセナの感情を映さぬ瞳が、なにやら思案するように細められる。
やや躊躇う様子を見せながらも、幸いにしてイシェルセナは私の手を取ってくれた。
……細いな。
小さな手の思いがけぬ硬さに眉根が寄りそうになる。
それとなく顔を眺めてみれば、昨日会った獣人の少女の方がよほど満足な食事を取っているように思える。
立ち上がってもなお見下ろす位置にある黄金に、不審が混ざるより先に手を下げた……のだが。
イシェルセナは私に握られた手に感慨深げな視線を落としていた。
それもごくわずかな時間だ。
「深き慈悲の心に感謝致します、イラ様」
「私はしがない五戒の僕、様などと呼ばれるような身ではありませんよ」
「ではイラ殿と、お呼びしてもよろしいでしょうか?」
そうですねとケッゼイの様子を窺う。問題は無さそうだ。先程の良からぬ気配も消えていることに安堵する。
「では、そのようにお願いします。配下の者が迷惑をかけるかもしれませんが、しばらくの間、どうぞよろしくお願いします。イシェルセナさん」
「イラ殿から頂いたお心遣い、無為には致しません」
柔らかく微笑みを浮かべる。
それは嫌味ですかね。正直、肝が冷える。
こちとら後ろ暗いことが多過ぎて、おまけに相手が相手なんで疑心暗鬼まっしぐらだ。
「ケッゼイ殿。この後、私どもが行うべき仕事や作業は、すでに決まっているのでしょうか?」
「いや、まだだ。色々と調整しなければならないのでな。それに、黒の民では街にも入れないだろう。近づけたくない荷もある。任せる仕事は道中の護衛と……」
「必要な時には私どもが人目を引き付けましょう。その方が彼女を動かしやすいでしょうから」
「そう言ってくれると助かる」
「彼女にこの後の予定はありますか?」
「なかったはずだが」
「お借りしてもよろしいでしょうか。私の連れの力量を確認していただきたいのです。あとは消魔結界の範囲の把握も、今後を考えれば必要になると思うのですが」
「それならば俺も同席した方が良いな」
時間は大丈夫なのかと問うと、隊長には別の者を付けているので問題ないとのこと。
まあ管理職は現場に出るよりも調整が主な仕事だったりするからな。
◇◇◇
そんな訳で街から少し離れた森の中にやってきたのだが。
「イラ殿の連れは強いな。流石は黒の民……いや、それを差し引いても並ではない。あの若さでこれほどとは」
「武に長けている連れが居ようと、それが黒の民では、世を歩くのはままならないのだと痛感しました」
自らの手で確かめたいというケッゼイ殿の言で、とりあえずキースと立ち合ってもらったのだが、黒の民がどれだけ人間からかけ離れているのか、思い知らされるだけの結果で終わった。
純粋な剣の技量はケッゼイ殿の方が上であろう。
ただな、魔法を使わないキースに魔法を使って勝ってもな。
魔法を使ったキースが相手では5合ともたなかった。
キースは悔しげであったが。
それからキース、クゥの順でイシェルセナに相手をしてもらっているのだが……。
「彼女、魔法を使っていませんね」
「まさか。いや、そんなはずなかろう……そうなのか?」
知らないのかよ……実力を見たことがないとなると、この男がイシェルセナの配下という線は確実に潰れたか。
この分だと、あいつの力量を確かめたくてついてきたのかもしれないな。
「確かなことは言えませんが。私も鬼族については伝聞でしか知らないもので」
私たちの視線の先では、木々の間を走り回りながらキースとイシェルセナが剣を打ち合っている。
ケッゼイの言が真なら、キースは解放を使えない黒の民の中では、実力者ということになるのだろう。
そのキースが、魔法を使い全力を出し両手で長剣を振るっているというのに……イシェルセナは表情も変えず、手にした片手剣で無造作にそれを叩き落としている。
あの細腕のどこにそんな力がと思わずにはいられない。
キースの振るう剣は決して軽くない。それを事もなげに。
正直、ここまでとは思わなかった。
あのキースが魔法も使わぬ相手に圧倒される?
歴戦の兵士を思わせるケッゼイが、黒の民の中でも並ではないと評したキースを、子供でも相手にするかのように?
冗談きついわ。
隣でクゥが胸の前で祈るように手を組んでいる。
――違う。震えて、いる? 怒りか?
いや、そいつは不味いぞ。
「クゥ」「キース交代!」
呼びかけた声は、どこか焦りを帯びたクゥの叫びに掻き消された。
焦りとはなんだ。
なにを焦る必要がある。
「あたし、全力出すけど良いよね」
「あくまで力量を示すだけですよ」
クゥは、ははっとらしくもないすれた笑いを残し解放を展開する。
その左眼に宿る魔法の気配が強くなる。
それはイシェルセナの腹部から感じる濃密な魔性の気に、どことなく似ているような気がする。
だがそんな気づきも、直後に始まったクゥとイシェルセナとの模擬戦闘の壮絶さにすぐに上書きされてしまうのだった。




