68.地獄の底で交わされる誓い
嗚咽する声に目が覚める。
蝋燭の火が、狭い地下室の壁にひとつの人影を揺らしている。
声の主はフーリだ。
アイネの亡骸に縋りついて、必死に声を殺すようにして泣いている。
身を起すと毛布がはらりと落ちた。
キースが様子を見に下りてきたのだろう。
灯があるということは、フーリが目を覚ますまではここに居たのか。
どれくらい、時間が経ったのだろう。
魔力を酷使し過ぎたせいで、体内時計は当てにならない。
それほど長い時間ではないはずだが。
静かに立ち上がり、フーリの隣まで行き、腰を下ろす。
「フーリ。僕の代わりに祈ってやってくれないか」
「そんな資格、ないよ。あたし、本当ならあそこで死んでた。解放を保てなくなるくらい何度も何度も致命傷を負わされて。あいつには勝てなかった。なのにあたし、生きてる。なんで、なんでなの。アイネお姉ちゃん……」
アイネを殺ったのもそいつか?
しかし、解放したフーリを一方的に蹂躙できる相手となると……そいつは、魔法種に相違なかろう。
燻りかけた怒りは瞬く間に消え去る。
不意を打ったところで勝てはしない。
そんな奴らがうろついているとなると、俺たちがここに逃げ込めたのも、単に運が良かっただけに思える。
「厳しいことを言うよ。悲しむのは後にして。そして祈るんだ。責任を感じるならなおのこと。この子を還してやれるのは、君かキースだけだ」
「なんで、そんな冷たいことが言えるの。なんで、あたしよりずっと傍に居たあんたが、そんな平静でいられるんだ」
「『生きて』と言われたからね。立ち止まる訳にはいかない。僕が泣いていたら、アイネはきっと怒る」
「あたし、は。気持ちをそんな簡単に切り替えられない」
俯くフーリを、顎を掴み強引にこちらに向かせる。
「甘えるな糞ガキ。できるできないじゃないんだよ。やれ。街を出るまでで構わない、切り替えろ。割り切れ。でなけりゃお前はここで死ぬぞ。キースもだ。アイネがお前を生かしたこともなにもかもが不意になる」
意識してか否か、フーリの手が自らの腰に伸びる。
が、今はそこに剣はない。
あったところで、消耗しきったフーリでは俺に一太刀浴びせることも叶わないだろうが。
「僕が気に入らないか。斬ってしまいたいくらい腹立たしいか。殺したいほど不快か。構わないさ。だがその感情も全て後に取っておけ。後のために今は、悲しかろうが苦しかろうが、立つんだよ」
顎から手を離す。
握り締めた拳は震え、眼は恨めしそうに俺を睨んでいる。
コツコツと、上へと続く扉から合図があった。
キースか。声は抑えていたがそりゃあ気づきはするだろう。
灯を隠し中に招き入れる。
「火が近づいてきている。奴ら、黒月街をきれいさっぱり焼き払う気だ」
フーリについて追及はない。ただ視線を一度そちらに向けただけだ。
「悠長にはしていられないね」
「お前は……大丈夫、なのか?」
「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」
父親が死んだ時にも増して、キースの顔は酷かった。
「……オレ? オレ、は……はは」
後退りし壁に背中を預けると、力なくずるずるとしゃがみ込む。
「なあヤトイ。どうしてオレたちがこんな目に合わなきゃならないんだ? オレたちがなにをした。黒の家がなにをした。これまでずっと、ラーデ・ロムニスの言う通りに暮らしてきたじゃねえか。青錆街と衝突してたことは知ってる。でもそれは、あいつらが殺されなきゃならねえほどのことだったのか?」
「黒の民だから。きっと理由はそれで充分なんだよ」
信じたくないと言うように、キースは首を横に振っている。
「青錆街に通っていたキースなら、思い当たる節はあるんじゃないの?」
「ねえよ。こんな、皆殺しにしたいほど恨まれてるなんて」
「考え違いをしているね。そこまで激しい感情は必要ないんだ。連中は僕らを、同じ人とは思っていない。だから、邪魔になれば虫のように始末することができる」
奴隷にも劣る身分なのだ、黒の民とは。
強制居住地区で同族に囲まれていたせいで、あまり強く意識することはなかった。
けれど、地球の歴史を紐解けば似たような事例はいくらでも見つかる。
ましてここは、神によって身分が定められた世界。
「そん、な……」
キースはここまでの大事が起きるとは、想定していなかったようだ。
可能性としては話したことがあったはずだがな。
まあ、可能性としてだ。
俺も考えが甘かった。ハヴィスと会っていながら、狸であると分析をしておきながら、どこか侮っていた。
「お前はそのことに気づいて……」
眼が見開かれ、瞳が揺れた。狼狽えるように視線が彷徨う。
言わずにおいたのに、気づいちまったか。
「ヤトイ、……オレは」
いや、それだけではないな。
俺を映す瞳には懺悔するような、懇願するような色がある。
「責めて欲しいんだ」
「――っ!」
キース。そいつは甘えだ。
俺たちにはいらないものだ。
お前だって本当は気づいているはず。
「そうだよ。アイネが死んだのも、フィオやエムリが死んだのも、すべて甘っちょろい君の選択のせいだ」
「キースを悪く言うなッ」
「煩い。吠えるな雌犬」
「なっ……」
「立ちなよ、キース」
襟元を掴んで強引に引き立てる。
「分かっているんだろう。咎を責められるべきは君じゃ、……君だけじゃない。君やアイネにその選択をさせたのは、他でもないこの僕だ」
「やっぱり、お前はそう、考えているんだな。フィオが死んだときも、お前はオレが謝ることを許さなかった」
「君だけが責められて満足するなんて、虫のいい話だとは思わないかい」
「オレはお前の謝罪なんて……くくく、違うな。お前のことだ、そんな殊勝な話な訳ないか」
そうだ。そいつは自己満足ってやつだ。
そんな下らないものは犬にでも食わせておけばいい。
「羨ましいよ。そして憎らしい。お前はなんでも自分で決められる奴だ。オレなんて置いて、いつでも先に進んでいくことができる。本当に妬ましくてたまらない。だから――」
その瞳に生気が戻った。いや、覇気と言うべきだろうか。
ぎらぎらとした野心にも似た、挑むような眼差しが俺を射抜いている。
「オレも勝手をさせてもらうことにする」
その手が俺の襟元に伸び、掴んだと思うと強く引かれた。
「ヤトイ。オレを信じろ」
息がかかるほどの距離で、睨むようにしてキースは言い放った。
ただの視線と言葉だ。
だがどこか、剣の切っ先を突き付けられているような感覚を覚える。
「いつか言ったな。仲間を見捨てないのは、お前に信じてもらいたいからだと。オレは見捨てなかったぞ。誰ひとり、救えやしなかったけどな。それでも、見捨てなかった」
語る声は自嘲に満ちている。
「お前のこともなにがあろうと見放したりはしない。隠したいことがあるのは知っている。けどな、それがどれほどのものであろうと、オレはお前のことを見放したりしねえよ。アイネを死なせ、フィオを死なせ、エムリも他の多くの仲間も死なせ、それを踏み台にして、今オレはお前に信じろと言っている」
けれどこれは、紛れもない恫喝であった。
「オレはこんな糞みたいな手前が嫌いだよ。無様で惨めで醜悪で汚らしい。あいつらは……オレたちが殺したようなもんだ。ならオレは立ち止まれねえ。でもな、オレはひとりじゃ先に進めねえんだ。だからお前には、オレの傍らに居てもらう。そのためにも、オレを信じろ。今この場で! そうすればオレは、ゾライデの名と魂の誇りにかけて、お前を裏切らないことを誓う」
「よくもまあ、こんな互いの心に刃を刺し合ったような状況で、僕なんかの善意を頼った要求ができたものだね、まったく。君らはどうしてそこまで度し難いんだ」
少しの腹立たしさと、少しの痛みと、愚かしい諦念に、かすかな期待が混じる。
「君のその誓いは、誇りを穢すのと同じだと思うよ」
「オレの誇りはオレが決める。お前にだって口出しさせねえ」
「僕は神に誓うことはできない。魂に誇りもありやしない」
「構わねえさ。お前が頷いてさえくれれば」
溜め息とともに首を横に振る。
それでは俺が俺を信じられない。
「オレじゃあ、ダメか」
「君は自らを低く見過ぎだ。僕はこれでも君のことは買っているし、そんな君を好ましく思ってもいる。前を見なよ、キース。初めて会った時のように未来を。下を気にするのは、僕が引き受けるから」
口にした言葉とは裏腹に、俺はきっと、もう、容易く裏切ることができる人間だ。
だから、アイネ。君の名を貸してもらう。
「キーサウテル・ゾライデ・クーント。僕はアライネアの名に懸けて、君をただひとり生涯の友とすることを誓おう」
愚かしいことだ。
こんな、己が異物でしかない世界で誰かを信用しようなど。
だから、キース。例外を作るのはお前きりだ。
黙って差し出された拳に、今を刻むよう強く拳を合わせた。




