65.愚者の選択
「こいつは……急かすわけだね」
「合ってる?」
フーリが珍しく素直に俺の判断を問うてきた。
「まだ他にも、居るってことか?」
キースも答えに辿り着いたらしい。
首を縦に振り肯定を示す。
フーリに急きたてられるようにしてやってきた水路にも、獣兵の骸があった。
そして、死体となったロッゾの姿も。
操者は何本もの剣で刺し貫かれた状態で転がっていた。
ここにも生存者は居ない。
だが、ここに居ないだけで、どこかには居るはずだった。
ロッゾは獣兵を屠った後も戦い続けていた痕跡がある。ロイと違って呪毒が直接の死因ではないのだ。
ならば、ロッゾを殺した者が他に居るのは確実。
操者の死体を調べると、先の者と同様に白の教派の聖章と徽章が見つかった。
まとめてキースに投げて渡す。
「白の聖章。まさか、さっき調べていた奴も?」
「同じ物があった」
服を剥ぎ取ってみれば、胸にあるのは銀の月を示す聖印だ。
徽章については偽装を疑う必要があるだろうが、聖章を疑う意味はなかろう。
となれば、これは白の教派の意を受けた軍事行動。
聖章が偶然同じだった、などということはあるまい。
相手は獣兵だ。
保有するのは各教派の本軍と、ごくわずかの大国のみという特殊な兵科なのだ。
現にアラカイスラス王国軍は獣兵を保有していない。かつての戦争では、青の教派から派遣された援軍にのみ存在していた。
300年近くそうであり続けたのだ。
仮にここ10年で事情が変化したとして、ならばなおのこと、この様な場所で実戦投入するとは思えない。
やはりこいつらは、白の教派に関係する軍隊と見るべきだろう。
目的はなんだ。いやそれよりも、まずは地下からの脱出を優先すべきか。
せめて獣兵の入り込めぬ場所までは急ぎ退いた方がいい。
「キース、地上までの撤退を提案する。オルトロスなんぞを相手にしている場合、じゃ……」
待てよ。
こんな連中が地下に潜んでいる状況で、魔獣の報告があったと?
「魔獣の情報を持ち帰ったのはどこの人間だ」
「青錆の奴」
キースより先にフーリが答えた。
この際どっちでもいい。
「偵察について言及は」
「なかった。報告の内容が十分だったから」
最悪だ……。
あまりの衝撃に眩暈がしてきそうだ。
ここは、狩場なのだ。
魔獣を狩るためのものではない。俺たち討伐隊を狩るための。
「キース、こいつは罠だ」
「まてまて。理解が追いついて、いや。退くのが先か。道は?」
「このままログスターの担当区域を遡るのが上策だろう」
「理由を」
「死体が残されている。人手を割く余裕がないと見た。それに相手がこちらを罠に嵌めた気でいるなら、逆に罠が働いた地点は穴になる」
「獣兵は攻めの兵科でもある、か」
良いところに目を付ける。
確かに、獣兵を守りに用いている兵法書は見たことがない。
地下水路などというイレギュラーな戦場ではあるが、用兵の定石に則った行動を取る可能性は十分にある。
「聞いた通り、って言っても分からねえか」
分からないだろうな。
余力がなかったので、キースはそうした判断を下すための教育を皆にしていない。
俺は担当した人数が少なかったこともあって、アイネとフィオ、エムリに多少教育を施してたが。
士官候補とそうでない一般兵との差みたいなものだ。
しかし判断基準となる知識の量には、俺やキースと大きな隔たりがある。
今のやり取りを聞いても、フィオはまるで状況を把握できていない様子だった。
キースにしても把握できているとは言い切れないか。
俺だって保留にしている部分が多い。
「異常事態が起きているから、オレたちは地下から退避する。口答えは許さねえ」
フーリは迷いなく頷き、フィオは理解が及ばぬながらも力強く頷き、ウォトとルッダは困惑のままに頷いた。
敵は銀の民や赤の民の可能性がある。
それが大きな不安材料だった。
青の民と違い、道具に頼ることなくさまざまな魔法を用いる相手である。
視覚や聴覚の強化を踏まえて慎重に、けれど迅速に進む。
途中潜った扉は開け放たれたまま放置されていた。
見張りは斬殺だ。
歩兵が居るのか、操者の手によるものか。
ろくに争った痕跡がないことから、内通者の可能性も考慮すべきだろう。
地表に出る入り口だけは、討伐で使われる予定のなかった別の場所を選んだ。
◇◇◇
地上へと続く扉を押し開けた瞬間、炎に焦げついた臭いが鼻を刺した。
階段から見上げる曇天は、煤けた空気に濁っている。
つい最近、これとよく似た状況を経験した。
街が、燃えているのだ。
「お前らは扉を出てその場で待機。ヤトイ、周辺に敵は?」
「……動く者は居ない。ただ、魔法で隠蔽されていたり、その道の専門家が相手だと、どうかな」
俺の隠密技術は所詮、素人を相手にして優位に立てる程度のものでしかない。
正規の軍人、それも専門の訓練を受けた相手では、あまりにも分が悪い。
加えて、相手には銀や赤の連中が混じっている。
いつか戦場に立つ日のため、彼らの魔法について研究はしていた。
けれど、それはあくまでも戦場において行使される魔法についての話だ。
こんな非正規戦闘で自由度の高い魔法を行使されて、先手を取れるなどとと思うほど、俺は己の知識も知恵も信用していない。
「罠と言ったな」
「青錆街が黒の家を力で捻じ伏せにきた。違うな、もっと上だ。おそらく、青錆街はラーデ・ロムニスと連携している」
中央すべてが、と言い切ることはできないが。
ラーデ・ロムニスがその総意として黒の家を潰しにかかるとなれば、青の教派が動くはずだ。
青と銀の派閥間抗争に、白の教派は深く関わってはこなかった。
白月が黒月と対立関係にあるのは百も承知だ。
だから白の教派が動くことはあり得る。
けれどそれは、青の教派として看過できるものなのだろうか。
神サマの思惑なんて知りようもないが、その下に着くのが人間であることを考慮すると、白の教派の介入は、もっと大きななんらかの流れの中にあるのではと勘ぐってしまう。
だが、そんなものは今の俺たちには関係ない、な。
「フーリ。班の連中の配置はどうなっている?」
「連れて来た以外は、みんな屋敷に留めてある」
「となると、残るは黒の家の3人だけか」
「見捨てるべきだ」
間髪を置かず否定を口にする。
フーリを除く3人が、息を呑むのが分かった。強い反発を表す奴も居る。
知らんがな。
幻滅されようが反感を抱かれようが構うものか。
キースが街を逃げることを決めた。それはいい。当然だ。
準備が整っていない以上、逃げた先で苦労することになるだろうが、そんなものは命あっての物種だ。
そう。命あっての物種なのだ。
黒の家には俺たちの計画のため、エルとデラを派遣した。エルの弟分であるヨシスも同行している。
キースはその3人も連れて逃げるつもりでいる。
冗談ではない。
読みが正しいのであれば、黒の家は死地そのものだ。
「今日は昔を思い出すことが多いな。言ったはずだぜ、ヤトイ」
その返答に思わず舌打ちが漏れた。
「それでも、見捨てるべきだ」
「フーリ。建物に登って黒の家の状況を確認を。不意打ちに注意しろ。解放はいつでも使える状態にしておけ」
「キース」
「見捨てて逃げてもいいんだぜ」
あの3人を、という意味ではない。俺がキースを、という意味だ。
そうさ。逃げればいいのだ。俺は。なにもかも捨てて。
元からそうするつもりでいた。キマイラが侵入した時だってそうだ。キースにこそ伏せていたが、逃げる算段は立てていたではないか。
それがどうしてこの土壇場で躊躇う。
ぎりりと噛み締めた奥歯が鳴る。
なんと俺は小者なのだろう。
粋がってみたところで、そんなものは口先だけ。
なにもかもが中途半端。
この世界の人間に擬態するなどと豪語しておきながら、印なしなんて苦境に立たされただけで、上辺だけの安っぽい演技で満足してしまっていた。
半端な異物を許容する者たちを隣に置き、安寧に身を浸していた。
俺は今日まで、キースやアイネの善意に縋って生きてきたのだ。
利用できるものは利用する。その考えは今も変わらない。
だが今の俺は、このふたりを見放すことが、できそうにない。
人間なんて信用できないというのに。信用してはならないというのに。
信用など、していないはずなのに。
「……おれが行って見てくるよ」
どれくらい思考に呑まれ黙していたのか。
フィオの声に己の置かれた状況を思い出す。
「やめた方がいい」
フーリが足音もなく降ってきた。
「行くならあたしが――」
「お前は屋敷に戻れ。で、状況は?」
「……黒の家はもう炎に呑まれてる」
「連絡に使ってた廃屋は?」
「その辺りは……まだ」
「逃げているかもしれねえな」
「だめっ!」
行かせないと、その焦りを示すようにキースの腕に縋りつく。
「フィオも連れて行く。それで少しは安心できるだろ」
宥めるように、空いた掌でフーリの頭を撫でている。
俯いて黙り込むフーリ。だがすぐに顔を上げ、かと思えば俺を振り返り鬼気迫る様相で詰め寄ってきた。
そしてあのフーリが――俺に頭を下げた。
「おねがい、します。あたしの代わりにキースを――」
「言うな、そこから先は」
お頭のゆるい馬鹿が。理想なんぞにうつつを抜かすたわけが。
死にたければ勝手に死ね。俺の見ていないところで黙って死ね。
俺を巻き込むな糞ッ垂れが。
「お前の言葉で動いたなんて逃げ道を、僕に作らせるな」
なんと俺は愚かしいのだろう。
「ヤトイ……ありがと」
「オレからも感謝を。フーリはウォトとルッダを連れて至急屋敷に戻れ。皆を隠れ家に避難させろ。地下を開けて構わない」
「分かった」
「アイネたちのこと、頼むよ」
「言われるまでもない」
そして走り去るフーリたちを横目に、俺たちは敵地へと乗り込んだのだった。




