64.絶望の足音
「キース。6号に入るよ」
「どうした」
「なにか妙だ。すごく、嫌な感じがする」
悪寒のような、魔法を使う時に聖印に感じるアレとも似ていた。
体内の魔力の流れが、瞬きほどの間だったが乱れた気もする。
異常を訴えるように、全身を冷汗が伝う。
「皆口を噤め。隠密行動に入る。すぐ近くに魔獣が潜んでいると思って動け」
俺の言葉に胡乱な空気になっていたウォトとルッダが、緊張に表情を硬くする。
アイネとチチャを帰したのは正解だったな。
あの子らには荷が重い。
いや、下流域を歩かせたことのあるフィオはともかく、ウォトやルッダですら厳しいだろう。
持ち場への最短経路を逸れ6号に入り、先の5号へ、そして更に別の6号へと身を潜める。
「魔物がやけに少ないな。オレは感じないが、近くに魔獣が居そうなのか?」
「いや。そういうのとは違う、と思う」
「はっきりしねえか……」
「ごめん」
「気にすんな。言われてみりゃ、妙な感じがしないでもない」
「オルトロス型でこうはならない、かな」
「だな。いつぞやを思い出すぜ。あの時は、お前の直感に従って命拾いした」
「エムリが居れば判断の足しになるんだけど」
「ないものをねだっても仕方ねえ」
フィオが済まなさそうに身を縮めている。
自分にもっと才能があればとか、間違った責任感を抱いているのだろう。
額を手刀で叩いておく。
「フーリ。君はなにか気づかない?」
「え、あたし?」
なぜそこで驚く。
この中で他に頼りになるのはお前くらいしかおらんだろう。
お前は俺を嫌っているだろうし、俺もお前のことは好かんが、その能力を過小評価したりはしていないぞ。
「……キースと、大して変わらない。魔獣って感じじゃ、ない」
「そっか」
「あのさ。あたしもキースも、ここには慣れてる。魔物にも。それで気づけなくて、ヤトイだけが気づくなら、相手が人間ってことはないの?」
「ログスターの奴らか」
そういう感じでもなかったが、他に有り得る危険を考えれば、当然そこに行き着く。
「魔獣討伐の最中にか、考えたくもねえな」
「でも」
「言うな。分かってる」
兄弟に緊急呼集が利用されたらしいことについては、キースにも伝えてある。
会議の場で上手くいかなかったからと、ここで止めを刺しに来る可能性は否定できない。
「フーリ、あの兄弟の持ち場は分かるか?」
「覚えてる」
「皆、聞け。俺たちは今から作戦を放棄する。代わりに、だ。ログスター兄弟の持ち場への偵察を敢行する。ヤトイが先行、フーリがこの支援に当たり、俺たちは後詰だ。異論反論があれば聞くぞ」
フィオは迷いなく、ウォトとルッダは逡巡を見せながらも、キースの意思に従うことを示した。
「ログスター兄弟はキマイラと正面からやり合えるような、筋金入りの猛者だ。オルトロスの相手がお遊びに思えるような、なんとも歯ごたえのある作戦になる」
そこで皆の緊張を緩めるように、ニヤリと強気な笑みを浮かべる。
「だがまあ。キマイラの相手ならオレたちだってやった。手柄を譲ってやるくらいの余裕まである。気張る必要なんかねえ。いけ好かない大人たちの鼻を明かしてやる。それくらいの気構えで居りゃ十分だ」
そして俺たちは粛々と行動を開始した。
◇◇◇
ログスター兄弟の持ち場には、すんなりと辿り着くことができた。
あまりにも障害がなさ過ぎたとも言える。
魔物が居ないのだ。これはいよいよおかしい。
目的地でまず最初に見つけたのは、床に落ちた、未だ炎の残る松明だ。
そしてそのすぐ近くに、名前の知らない、けれど見覚えのある人間の骸が転がっているのを発見する。
死因は胸から腹にかけて走る粗い裂傷。深さから言って即死だろう。
だが注目すべきはそこではない。傷口周辺が変色し膨れ腐り落ちているのだ。
呪毒によく見られる特徴だった。
オルトロスは確かに呪毒を持つ個体も居るが、主として使う魔法は風にまつわるものだ。それに呪毒を使うと言っても、文献を読んだ限りではこの様な傷痕にはならない。
先のキマイラ同様に変異種が現れた可能性を否定することは出来ない。
ただどうにも臭う。
離れた所から様子を窺っていたフーリが、異常を察してやってきた。
「なに、これ」
珍しく、若干の怯えのようなものがその面に乗っている。
呪毒にやられた死体を、直に見るのは初めてなのだろう。
「フーリ。キースに伝達。警戒レベルを最大。対魔獣の備え。呪毒に注意。オルトロス以外の魔獣が潜んでいる可能性あり。合流求む。急いで」
「わ、分かった」
強い警戒を露わにフーリが去る。
時間が惜しかった俺は、単身更に先行し、ひっそりと近辺の調査を始めた。
◇◇◇
単独で探索を行っていた俺だったが、身の危険を感じたため、早々に切り上げ松明の落ちていた地点へと引き返した。
折よくも、息遣いすら潜めたキースたちが、慎重な足取りで到着したところだった。
呪毒にやられた死体を見ても、キースは険しい表情をするだけだ。
けれどフーリ同様に、他の面々は顔を青くしている。
呪毒に侵された死体というのは、凄惨だからな。
「顔色が悪いぞ。なにがあった」
ああ、確かに。俺の顔色は悪いかもしれない。もしかすると彼らよりもずっと。
「有り得てはならないものを見つけた」
それを見つけて即座に引き返したので、詳しく調べてまではいない。
けれど、間違いないだろう。
よく似たものに覚えがある。薄れかけた、子供の記録に。
「こっち。絶対に大きな声を出さないように」
辺りを最大限警戒しながら、問題の場所へと先導する。
「なん、だ。これは……?」
至る所に死闘の跡が残る4号水路の片隅で、そいつは息絶えていた。
キースが驚愕の眼差しで見つめるのは、金属鎧に身を包んだ中型の魔獣だ。
背中には鞍が備え付けられている。
武装を施された魔獣。
そんなもの、答えはひとつしかない。
「獣兵だよ」
「これが……」
「たぶんガルム型。魔法の系統は毒と、炎かな。操手は……あった」
覚えのある大剣が突き刺さった死体を、ガルムから少しだけ離れた場所に見つける。
うつ伏せに倒れているところからして、魔獣が倒され逃げようとしたところを、といったところか。
「……ロイ」
ガルムの傍らでキースが呻いた。
近づいてみれば、その影で漆黒の魔人が果てていた。
大量の黒血が床に広がっている。呪毒にやられたか。
見知った人間が死んだというのに、さして感情は動かなかった。
あんな目に合された後だからだろうか。
だが死を喜ぶような気持ちが湧くわけでもない。
頭も心もただ冷たく、どこまでも冷え切っていた。
「まさか、解放持ちがやられたのか?」
「獣兵は黒の民を殺すためだけに生み出された兵科だから。キマイラなんかよりもずっと賢しいはずだ」
キースはキマイラをただの獣と評した。
だがおそらく、こいつらは違う。
「ロッゾは?」
「……近くには、見当たらないけど」
夥しい量の血が、4号水路脇の通路を濡らしている。
死体の数も片手では済まない。そしてそのどれもが惨たらしい死に姿だ。
その中に、解放を使った人間の骸はない。
俺たちの後を追ってきた子供たちが、4号の入り口で防毒布の上から口元を押さえ肩を震わせている。
悲鳴を上げまいとしているのだろう。
この光景は少々刺激が強い。そりゃビビりもする。
知識を色々と余計に持っている俺なんかは、別の意味で怖くて仕方がないんだが。
皆の気を紛らわせるように、隠していた聖章を露わにし、大仰な動作で儀礼的に腰から剣を引き抜く。
そして剣先をまずロイに向けてから、4号に散らばる死体をなぞるように、線を引くようにゆっくりと剣先を動かす。
魂を剣で以て肉体から切り離し、天界へと送る。
闇の教派のものだが、略式の還魂だ。
はっとした様子で、フィオとウォトが黒の教派式の祈りを捧げ始める。
「ふたりとも、来て。こっちにもあった」
4号の惨状を確認してすぐ、周囲の警戒に当たっていたフーリが、戻って来るが早いかキースの腕を引いた。
「少しだけ待って」
抗議するような視線を無視し、俺は手早く操者の死体を調べる。
所持品からなにかわかるかもしれない。その考えからだ。
見つかったのは白の教派の聖章と、所属の手掛かりとなるかもしれない徽章。
それらを他の所持品ごとまとめて鞄に突っ込む。
「ごめん待たせた」
「こっち。早く」
フーリに急かされながら、俺たちは皆を引き連れこの場を後にした。




