63.未だ世の残酷を盲者たちは知らない
屋外で待機していたらしいクーを、連絡役として屋敷に走らせ、俺たちは作戦で割り当てられた地点に布陣すべく地下へと急いだ。
侵入した魔獣はオルトロス4型。
俊足が特徴の、風にまつわる魔法を得手とする中型の魔獣だ。
脅威度はそれほどでもないが、なにぶん動きが素早く、倒すことよりも捉えることの方が難題となる。
作戦はこの手の魔獣を相手する時の定番で、いくつかの狩場を作り、追い込み役がそこに魔獣を誘導するというもの。
俺たちの班に与えられた役割は、狩場となる要所の封鎖だ。
作戦はとっくに始まっている。今この時も、俺たちの持ち場には穴が開いているという状況だった。
持ち場となる地点の最寄りの入り口、その水路に面した扉の前に、武装した班の面々が俺たちの到着を待っていた。
軽装なのは相手の足を考えてのことだろう。
「ヤトイ!」
扉を潜るや否や、アイネが駆け寄ってきた。
見る見るうちにその表情が険しくなっていく。
「右腕と、それに背中ね」
「どうしてアイネがこっちに?」
魔獣騒動の時はいつも、屋敷で待機させていた。
戦闘に長けていないアイネが、なぜこちらに組み分けされているのか。
「あのねえ」
両手を腰に当てて、呆れたように睨まれた。
「わたしこの班の中じゃ古株なのよ? キースはヤトイのこと聞くなり飛び出して行こうとするし、年長のエルとデラも今は黒の家でしょう。フーリは戦うことは得意だけど、口や頭を使うのは向いてないわ。それに、あの子がキースにダメって言えると思う? こんな時だからこそ、エムリは屋敷に残しておきたい。そうしたら、わたしがキースの抑えとして表に出るしかないじゃない」
見事に論破されてしまった。
ぐうの音も出ない。
この場に来ているのは、他にウォト、ルッダ、チチャの3人。
エムリに加え、オルとロジまで屋敷に置いてきたようだ。
こちらにはフーリが居るとは言え、無茶をする。
「キースは会議を途中で抜けてきたららしいけど、追及とかされなかった? 他の班から圧力をかけられたりとか」
「そういう動きはあったんだけど、青錆街の仕切りだったから、下らないことで時間を取るなーって一蹴されちゃったのよ。この前のが大事になっちゃったからか、すごくピリピリしてて」
政治的な意図でこちらを庇ったのか。
それとも主導権を握る口実として使われたか。
後が怖いが、今この場を凌ぐ上では助かった。
「それより傷!」
アイネは包帯代わりに服で傷口を縛りつけた腕を一瞥して、背中に回り込む。
「ひどい、ね。でも見た目ほどじゃないか。血は殆ど止まってるし。それより問題は、そっちかな」
「ご明察」
「手当てしていい?」
アイネの言う手当てとは、魔法による治療だ。
古株の言葉が示すように、アイネも身体強化を含め多少の魔法を扱えるようになっている。
その効力については、まだまだ頼りないところがあるが。
「もしもの時のために魔力は温存しておくべきだよ。他人に使うのは酷く効率が悪いんだから」
消魔結界の中でも魔法は使える。
即座に無効化されてしまうとは言え、発動しないわけではないのだ。
こと肉体の内側に作用する類の魔法であれば、やり方次第でその効果を発揮させることができる。
回復魔法であれば、直に傷に触れる。それこそ傷口に手や指を突っ込む形で行使すれば、間違いなく魔法の効果は現れる。
それでも、かなりの魔力を浪費する。
穴の開いた空気入れで、タイヤに空気を入れようとするようなものだ。
消耗に見合う効果は得られない。
「分かってる。今がその時だと思うから聞いてるの」
「本当かな」
俺を案じるその瞳からは、理性よりも感情の色を強く見て取ることができる。
聡いこの子が感情に任せて取る行動だ。
認めるのはどうにも憚られる。
「らしくない」
ぽつりとアイネが零す。
それからはっとした様子で視線を落とし、少し彷徨わせてから再び俺を見た。
「わたしのこと、気にしてる?」
気にして……、そうか。今、俺はアイネを案じていたのか。
あと一歩のところまで来たのだからと欲が出た。
くく。らしくないか。
まったく以てその通りだ。
「僕は、どうかしていたね。頼むよ」
腕を縛る服を外す。
露わになった傷の数々に、アイネが眉を顰めた。
「これで戦うつもりだったの?」
「そっちはフーリに任せるさ」
アイネが傷口に指先を強く押し当て、回復の魔法を起動させる。
かなりの激痛が走るが、奥歯を噛んで堪える。
温かい、と言うよりも熱いくらいの魔力の波動を感じる。
アイネの魔力に呼応するように、体内の魔力の流れがトレース不可能なほど複雑に変化する。
そしてゆっくりと、指先の触れる傷口が塞がり始めた。
掌の穴と筋の断裂を回復したところで、アイネの身体が傾いだ。
倒れそうになる体を肩を抱き支える。
急激な魔力の消耗による虚脱症状だ。
立ちくらみみたいなものだが、魔力総量が人間とは比べ物にならないほど多い黒の民は、通常の魔法の使い方ではまず起こり得ない。
「限度ってものがある」
「でも、これくらいまで回復させないと、やっていないのと同じでしょ?」
溜め息を吐き、右手で剣を抜き軽く振ってみる。
完全ではないが、戦闘に支障が出ない程度には回復している。
「ヤトイ、そっちは済んだか。フィオも骨にひびが入っていたんで、チチャに軽く手当てさせた」
「大丈夫。すぐに向かおう」
「オルトロス相手なら戦力は十分だな。アイネとチチャは家に戻っとけ」
「気を付けてね」
そう言ってアイネは、短柄の大身槍を差し出す。
大身、つまり穂先の長い短槍といった代物だ。小振りな長巻と見ることもできる。
相手の速力に対し、受けを意識しての選択だろう。
「そっちもね。チチャ。アイネをよろしく」
「え、うん。……なんか、ふたりともいつもと雰囲気違うね。こう、なんて言ったらいいのかな――」
「余計なことくっちゃべってないでさっさと行け。こっちが水路に出れねえ」
「ごめ。みんな頑張って。それじゃまた後で」
アイネとチチャが後方の扉を閉めたのを確認して、俺たちは水路側の扉を開く。
ウォトが物言いたげな目で俺を見ている。
文句は後でいくらでも聞いてやるから、今は目の前のことに集中しとけ。
「気を引き締めろよ。魔獣としての格は大したことねえ相手だが、事故が起きやすい奴だ」
キースの号令で俺たちは水路に飛び出す。
追い込み役が来るまでに持ち場に辿り着ければ、黒の家との衝突は避けられる。
ログスター兄弟との軋轢は、今回の一件で致命的なものとなったが、黒の家さえ動かなければいくらでも動きようはある。
その時はまだ兄弟の口にした言葉の意味を考える余裕もなく、事態をそう簡単に考えていた。




