61.逃亡へのカウントダウン
青錆街を訪れてから4日の後。
監視がそれ以上に厳しくはならないことを確かめた俺たちは、久方ぶりに隠れ家のひとつで計画の打ち合わせを行うことにした。
排水溝伝いに入るしかない、倒壊した家屋。その地下の小部屋に俺たちは居る。
壁際には麻に似た丈夫な袋が、食糧を詰めた状態でいくつも積まれており、ただでさえ狭い部屋を一層狭くしている。
そこに俺、キース、アイネ、フーリ、フィオ、エムリの6人が集まっている。
中々に窮屈だ。
この内、フーリ以下3名は初めてここを訪れる。
フィオとエムリのふたりには、事前にこの場所とこの場で見聞きしたことを口外しないと、魂の誇りに懸けて誓ってもらっている。
先日の話と合わせれば、ふたりから漏れれる危険は薄いだろう。
部屋の中央、小さな木箱の上に板を置いただけの卓を挟む形で、俺とキースが座る。
アイネは卓の短辺に、フィオとエムリを隣に置いて座る。
フーリは当然とばかりにキースの横だ。
「そっちの2人にはどこまで」
「まだなにも」
「やっぱり弟子には甘いじゃねえか」
「まだ弟子じゃないけどね」
フィオには、誓いを守れるなら弟子として扱うと伝えてあった。
「意思確認は済んでるよ。それに時間がなかったからね。中途半端に伝えて、態度に現れても困る。ここなら考える時間もあげられるから」
甘いように聞こえるが、最悪の場合、ここなら殺すこともできるという意味も含んでいる。
万にひとつとしてあり得ないだろうが。
フィオとエムリの人となりは、傍でよく見てきている。
「ふたりへの解説はアイネに任せるよ」
「任されたわ」
「フィオ、エムリ。君らは僕が街を捨てたら、追いかけてくると言ったね」
「師匠の行くところなら、どこへだってお供しますよ」
潜めた声で力強く肯定するフィオと、静かに首肯するエムリ。
「そう。でもその心配はないよ。僕らはね、ふたりを含めた班の全員を連れて、街から逃げ出す計画を立てているんだ。ずっと前からね」
「逃げる?」
「そう。逃げるんだ。キース。アイネを通して報告はしたけど、黒の家が年を越せるか僕は甚だ疑問に思っている」
「ヘズコウさんか」
「そう。あのおっさんはキマイラの一件以来、頻繁に外と連絡を取り合っている」
「黒の家の内情は思いのほか悪くないと伝えたのも、お前だったろ」
「うん、それは事実だよ。あれだけの損害を受けながら、黒の家は上手く立て直している。青錆街との抗争も小康状態だ。キマイラ侵入の責任を青錆街に押し付けることができているのが大きい。青錆街が僕らなんか下っ端に接触したのは、攻勢に出るためというよりも、守勢から脱却するためというのが正しいんじゃないかな。でも事は、そんな矮小な視野で語るべきものではないと考えた方がいい。僕はラーデ・ロムニスに動きがあるのではと睨んでいる」
「黒の家の不信感を煽ることになってでも、大きく動くべきと、そう言いたいんだな」
「今なら、青錆街との取引を隠れ蓑にできる」
孤立し追い詰められているという状況を、逆手に取るのだ。
自衛のため、必要に迫られて。そう表向きの理由があれば、真の理由は隠しやすい。
「黒の家と青錆の連中が牽制し合っている間に準備を整えて、とんずらするって訳だ」
「いけそう?」
「食い物についてはモノを選ばなければ段取りがついてる。ただ手配は出来ても、揃うまで多少時間が要る。それに屋敷から運び出すのも簡単じゃねえ。加えて旅装の方が遅れてる」
「背負子だけは揃えてもらわないと」
食糧があっても運べないのでは意味がない。
「そいつが難しくてな。平時じゃ数は使わない物だ。外でまとめてとなると目立つ。もう少し状況が落ち着いていれば、目を盗んで仕入れることもできたんだが。仕方がないんでモーフに言って作らせてるが」
「怪しまれるね。幾つある?」
「9つだ」
「アイネとフィオにやらせよう」
「悪いな。結局オレが足引っ張っちまった」
「謝罪はなしだよ。それに、冬の旅は備えるべきものが多いから。ひと月分の備えになるし」
「そいつを聞きてえな。アイネから大雑把な流れは聞いているが、仔細は直にって話だったろ」
「実はこれを見せたくてね」
卓上に懐から取り出した布地図を広げる。
「見たことないな、こいつは」
禁書庫にあるここ5年の資料と、ヘズコウやパフオムとの会話で得た情報、キースが青錆街で仕入れた外部の情報、それらをまとめた最新版の地図である。
推測による部分も多いが。
「なあヤトイ。ここ本当にそうなのか?」
キースが指差したのはラーデ・ロムニスの西方、放棄された碑塔街道を進んだ先にある小国だ。
名をアラカクーベ公国と言う。
なぜキースが疑問を口にしたのか、その理由はよくわかる。
元々そこは、ここラーデ・ロムニスが属する、アラカイスラス王国の領地であったはずなのだ。
アラカイスラス王国は10年ほど前の戦争を最後に、領土を巡る争いには巻き込まれていない。
にもかかわらず、その領地が他国の領土として記されている。
疑問に思うのも無理からぬことだ。
しかしなんということはない。
アラカクーベ公国を名乗ることになった領地が、拡大する魔境によってアラカイスラス王国から孤立してしまった。それが理由だ。
その後、困窮するアラカイスラス王国クーベ領を、北方のドートレン王国が支援、青の教派が支持する形で独立を果たす。
わずか2年前の出来事である。
そしてキースがそこに興味を示したのにも、また理由がある。
放棄された碑塔街道を抜け西に向かうと伝えていたからだ。
アラカクーベ公国について一通り解説したことで、その意味も理解してくれたことと思う。
ラーデ・ロムニスを脱した俺たちの旅はこうだ。
都市周辺の魔境外縁部を踏破し、碑塔街道跡を辿り、西へ向かう。
国境を越えてアラカクーベ公国と入る。
アラカクーベ公国から北へ進み、ドートレン王国へ。
碑塔街道を抜けるのが理想だが、魔境の合間を縫って幾つかの街道が通っているので、そちらを使ってもいい。
最悪、古いものでなければ、魔境を踏破する手もある。
そこから更に北東に抜けて、故郷と言っていいのか、俺が目覚めた国であるヘンビクフラへと向かう。
ヘンビクフラであれば土地勘があるので、食糧や物資の補給をして、情報を集めつつ更に北の戦争地帯へと進むことになる。
と、諸々を皆に説明する。
まあ、ヘンビクフラを目指す理由はそれだけではないのだが、これは個人的な話なのでキースにも伝えない。
「ひと月で辿り着けるのか?」
「無理だね。だから食料は魔物か動物を狩って足しにするよ」
「難題を押し付けられたと思ってたが、かなり加減してたのな」
揃えるのもそうだが、運べる荷には限度がある。
徒歩での旅になるから、なおのことその制限は大きい。
「最大の難所はドートレンとヘンビクフラの国境かな。かなりの確率で山越えになる」
「すぐに発っても足止めを食らうな」
「そうなんだよ。望むと望まざるとに関わらず、あとひと月はこの街に留まらないといけないんだ」
「黒の家に人を遣る必要があるか」
言わずもがな。ヘズコウの動向を探るためである。
「誰か居る?」
「エルならこの状況でも戻せる。クーをあの人のところで働かせるって手もあるな。いずれにせよ、護衛役としてデラも動かす必要がある」
「連絡役にエムリを貸したほうがよさそうだね」
「いいのか。割りと危ない橋を渡ることになるぞ」
お前、こっちで提案しなきゃ自分で動くつもりだろ。
んなの了承できるか。
「ならなおさら他には任せられないよ。それに僕や君が動くよりはずっと安全だ」
「くく。違いねえ」
ひと月ですべての準備を整えるため、更に計画の細部を話し合った後、監視の目を欺くための偽装を施しつつ屋敷へと戻った。
◇◇◇
屋敷に帰ると、そそくさと自室に退避する。
黒の家の通達で、俺は呆気なく嫌われ者に戻ってしまったからな。
弁明はしていないし、できもしないので、今は静かにひっそりと過ごしている。
部屋には同室のフィオの他に、アイネとエムリが居た。
いつものことである。
それこそ、屋敷に移った当初からずっとである。
他の面々の眼を気にして、アイネとエムリの部屋は用意してあるものの、殆ど使われてはいない。
エムリが居ると気を緩められるので、俺としても助かってはいるのだが。
「師匠もキースさんもすげえな。見てる世界が違げえや」
「うん。よく、分からなかった」
声を潜めてフィオをエムリが話をしている。
見ている世界が違う、か。
あまり喜ばしいことではないのだがね。
そいつは、異質であるということと同義だからだ。
キースとて、元からそうしたモノの見方を持ち合わせていた訳ではない。
先のような話をできるようになったのは、ひとえに俺が歴史や地理の勉強がてら念入りに、大局的な視点を持つよう叩き込んだからだ。
俺たちの逃亡の旅で最も重要な、警戒すべき点とはなにか。
強制居住区域から逃げ出した黒の民であると、悟られないようにすることだ。
発覚すれば、まず間違いなく俺たちは殺される。
最短経路である東ルートを取らない理由。碑塔街道とその他の街道の国家レベルでの扱い。危険を冒してまで魔境越えを行う価値。越境の有用性と問題点。情報の伝播。国家という枠組みによる伝達速度の差。
そうしたこれまで関わりのなかった諸々を理解させるには、根底にある価値観から改める必要があった。
今のキースの視野の広さは、この世界の住人の普通からは大きくかけ離れている。
フィオが街の外についてまるで理解が及ばなかったように、アイネが街を出るという考えを持てたことに驚いたように、この世界の人間の見ている世界は狭い。
街の外を知る人間は、外を知らない人間にとっては、まるで違う考えをするように思えることだろう。
けれど、地球という巨大な世界を学んで育った俺からすると、どちらもなにも見えていないのと同じに感じられる。
物差しの大きさが違いすぎるのだ。
父親から外のことを聞いて育ったキースにしたって、世界の認識はまるで甘い。
王族や貴族といった世襲制の身分が尊ばれ、政を担うのは、至極当然の理なのだ。
十全な教育を施せない世の中で社会を維持していくには、極一部の者に集中して、知識の限りを詰め込むほかない。
おそらく、俺の持つ視点や考え方は、この世界では為政者の持つそれと近い。
それは大きな武器だが、俺を正真正銘の異物たらしめる、諸刃の剣でもある。
だからフィオにそのように評価されても、困惑しか抱けない。
実際、キースに教えることも迷ったのだ。
初めは俺だけが理解していれば十分だと考えていた。
けれど旅の道連れが2人でも3人でも4人ですらなく、2桁にも上る大所帯ともなると、俺ひとりの判断ですべてを捌ききる自信はない。
凡人だからな。
だからキースにだけは、大所高所から物事を見ることができるよう教育を施した。
キースがそうした視点を持っているということは、さして問題はない。
今のフィオのように尊敬の念を抱くだけだ。
けれど俺はな。
俺に好意的なフィオやエムリが相手だからいい。
そうでない奴ら相手だと、面倒が生じる気しかしない。
「キースさん、普段は見ない顔してたな」
「愉しそう、だった、ね」
「いつもフーリとかデラ姐さん、エルさんとかとばっか居るけど、やっぱりキースさんの1番は師匠なんだって、おれ思ったよ」
お前らも楽しそうだな。
俺はちっとも愉快じゃねえんだけどよ。
こんなんで他の奴らの眼を誤魔化せるかね。
「フィオ」
「なんだい、アイ姉ちゃん?」
「弟子を自称するなら、師匠の考えくらい察せるようにならないとダメよ?」
「師匠の……考え。えっと、ちっとばかし待って!」
そうそう。きちんと考えて行動しておくれ。
その上で節度を持って、なら、多少大目に見るから。
「……ぁ。フィオ。頑張って、考えてね?」
謝るように眼を伏せてから、真剣そのものの眼差しでフィオを見つめる。
エムリが先に気づくのは知っていた。
直々に忍ぶことを教えたからな。
「分かった、かも。皆は知らない方がいいこと、なんだな。今日の話だけじゃなくて、こういうのも」
「印なし、だから?」
その通りでございます。
君らが少し変なの。自覚しておいてくれよ。
「僕は皆と仲良くやれたらと思うけど、皆はそう考えてはくれないからね」
「あ、あのさ師匠。今日の師匠、キースさんと同じでいつもの師匠と少し違ってた。それをおれたちに見せてくれたのって」
「言ったからね。誓いを守れるなら弟子として扱うって」
「し、ししょー」
震える声で俺を呼びながら、フィオが胸に飛び込んできた。
おいおい。今じゃお前の方がでかいんだから、急にそういうことされると俺、潰れてしまうよ。
フィオは胸に顔を押しつけたまま肩を震わせている。
胸元に湿った感覚が滲む。
まったく。泣くほどのことかいな。
「……ししょー」
脇からエムリが勢いよくぶつかってきた。
ぐえと情けなくも声が漏れる。
「君らねえ」
まあこの子らは俺と近いせいで、他の子供たちと少し距離があるからな。
こういう時くらいは甘やかしてやってもいいのかもしれない。
「お師匠さま。わたしもまーぜて」
アイネが毛布を持って後ろから抱きついてきた。
「ほら。こうすると温かいでしょう」
「好きだね、君も」
「このまま寝ちゃおっか」
「どうぞご自由に。僕は警戒のため起きてるけどね」
魔力操作で感覚を弄って索敵に励むことしばし。
フィオが急に恥ずかしくなったらしく、部屋から逃げるように出ていった。
過去は覆らんぞ。観念して開き直ってしまえばよかろうに。
男の子だなと、俺は微笑ましさを感じずにはいられない。
アイネとエムリはと言えば、本当にそのまま寝入ってしまったようだ。
ふたりの静かな寝息だけが部屋には残されている。
俺は再び瞼を落とすと、辺りの警戒のため意識を切り替えた。




