52.大火と沈黙と
魔獣の侵入を知らせる鐘が鳴らされ間もなくして、黒の家から持ち場の維持を命じる伝令が送られてきた。
それから四半刻あまり。
事態は収束するどころか、より混迷を見せ始めている。
街を燃やす炎が闇夜を明々と照らしている。
すでに黒月街は中心街の2割ほどが炎に呑まれていた。
だが方角から言って、より深刻なのは青錆街の方だろう。そこにはこの大火の元凶たる魔獣、キマイラが居るはずなのだ。
未だに、キマイラ討伐の報はもたらされていない。
鐘の直後の伝令を最後に、情報の一切が途絶えている。
戦闘が続けられているのは、巻き上がる炎を見る限り間違いはない。
けれど停滞した戦況には違和感を覚えるばかりだ。
黒の民の青錆街への侵入に反発されているのか、黒の家があえてこの状況を見過ごしているのか。
黒の家にとって、青錆街が力を落とすことは望むべきことだろう。
先んじて、黒の家は大きな損害を出している。
青錆街にわずかな損害でこの件を乗り切られてしまえば、呑み込まれるのは必定。
こちらにとっては物資の調達の都合もあるので、あまり力を削がれても困るのだが。
それに、貧民街の勢力抗争にうつつをぬかしてばかりいると、都市から横槍を入れられかねない。
黒の家の一方的な損失という形で終わらないのは、良いことではあるのだ。
ただ引き際だけは謝らないでもらいたい。
欲をかいて大過を招かれると、俺たちの計画に支障が出る。
最悪なのは、単純に決定力不足で倒し切れていないという可能性か。
都市の保有する軍が魔獣討伐に動けば、都市における黒の民の存在意義が失われる。
それだけはなんとしても避けねばならない。
「デラ! 隣はどうだった?」
「どうもこうもあるかい」
踵を鳴らしながら帰ってきたデラが、怒気も露わに舌打ちをする。
「開口一番、あたしが持ち場を離れたことを、上に報告するぞと脅してきやがった。状況に対する見解を聞こうにも、命令に従う、命令を待つしか繰り返さない。手前らで考えるってことをしねえんだ。連中の頭の中には糞でも詰まってんじゃないかい」
鼻の頭に皺を寄せ、吐き捨てるように早口でまくしたてる。
これは、言葉にしたよりもずっとしつこく嫌味を言われてきたに違いない。
「あー、悪い。嫌な役を任せちまったな」
キースも察したのだろう。苦々しげに口の端を歪めている。
自分が行っていればよかった、なんて考えているのかね。
そいつは無理なんだがな。
キースだってそれくらい分かっているだろう。任せられる相手はデラの他に居ない。キースでは余計にこじれるだけだ。
「あんたが謝るようなことじゃないさ。突くだけ突いてみたけど、あっちもあたしらが受けた命令の他はなにも連絡がきてないってことは、まあ間違いないだろうね」
「意図してこの状況を保っているなら、改めて伝令くらい飛ばしそうなもんだが。ヤトイはどう見る」
キースが俺に話を振る。
平時から互いの考えを突き合わせているので、黒の家の動向についてあれこれ口にするのは今更だ。
だから俺も懸念を返すことにした。
「魔獣の足が遅すぎるかな。なにか行動は起こしていると思う。それが良い方向に動いているならいいけど、もし悪い方向に動いているとしたら……」
逃げるにしてもその決断は早い方がいい。
後手に回ればそれだけ取れる選択肢は少なくなる。
情報が欲しかった。
言外に偵察の必要を説いたのだが、その提案は思わぬところから飛び出した。
「なあヤトイ。あんたが行ってちっとばかし様子を見てくれば、それで済む話なんじゃないか?」
「……僕にはデラが行けばいいっていう場所が、ちょっと見当つかないな。ねえ、どっちのつもりで言ってる?」
少し驚いていた。
確かに地下では俺が偵察に出ることが多い。これに関してキースが俺に信を置いているのは、2年もやっているのだ、気づく奴は気づく。
ただ、それが俺の判断の信用に結び付くかと言うと、これがならないのだな。
俺がもたらした情報を以て下す、キースの判断をこそ皆は信用している。
デラの俺への評価は後から入ってきた連中に比べれば高いが、それでも信に足るほどではなかったはず。
「そりゃあ、言うまでもないだろ?」
視線を向ける先は、大火の中心地だ。
けれど俺の抱いていた疑念は、続く言葉で氷解する。
「なんならあたしが、あんたの護衛を引き受けてやってもいいよ」
「キース。猪騎士様が魔獣見物したいって」
デラが抗議の声をあげている。
うっさいわ。俺は本当のことしか言ってねえ。
「オレが思うに、だ。ここで強力な魔獣を見ておくことは、後々の生死に関わってくるんじゃないか?」
「あー、はいはい。キースも口実が欲しかったのね」
「実利で話てんだよ!」
「冗談だから。それは分かってる。偵察に出たいのは僕も同じ」
理由は少し違うがね。
魔獣は見ておきたい。けれどそれよりも取り巻く状況を確かめたい。
しかしこれは、どちらかと言えば俺の事情である。伝える必要のない事柄だ。
「見ておいた方がいいってのは、キースの言う通りだと思う。これからの僕らには、きっと必要になる」
「なんすか、命令無視の相談すか」
暇を持て余していたクーが、悪だくみに食いついた。
「なんだ。クーは気にするのか?」
「いやあ、そんなまさかすよ。うちが上の指示を無視するのなんて、今に始まったことじゃないじゃないすか」
へらへらと頭の軽そうな笑みで口元を飾っている。
「頼もしい肯定の言葉をありがとうよ」
「こっちは適当に誤魔化しときますよ。戦いはそこそこすけど、そういうのおれ、慣れてるんで」
「吹くじゃねえか。なら人の相手はお前に任せた。オレたちは心置きなく、そうだな、哨戒にでも出させてもらおう。ヤトイ、行くのはオレとお前だけで十分だと思うが」
「デラも連れて行こう」
やったと呟いて拳を握りしめているのが見えた。
喜ぶのはご自由に。理由が理由でもデラなら気にせんだろう。
「知識の乏しい人の意見も聞いておきたい」
「ならあたしでも」
それまで黙してキースの陰に控えていたフーリが、ここは譲れないとばかりに割り込んできた。
昔に比べれば多少頭を使うようにはなったが、こいつは相変わらずの猪だ。
「ダメだ。お前まで来ると流石に勘付かれる」
俺が何故デラを指名したのか、口を挟む前にその意味を考えてもらいたい。
「お前には戦闘になった場合は指揮を任せる。お前が残るから、オレたちは安心してここを離れられるんだ。信頼してんだぞ。それで納得しろ」
「むぅ。わかった」
膨れっ面で不承不承頷くフーリ。ただ、目元は緩んでいる。
「フィオ。状況判断はお前がしろ」
「やっぱそういう役回りかあ」
話の途中から耳をそばだてていたのには気づいている。
自分にお鉢が回ってこないかなと、期待くらいはしていただろう。
それでも知恵が働くからな、この中では一番。己の役割と言うものを理解している。
「僕の代わりをできるのは、キース以外だとフィオかエムリくらいだからね」
フィオの肩に手を置いて、小さく耳打ちをする。
ずりぃなあと漏れる呟き。
知ってるよ。でも、言って互いに不利益は生じないだろ。
「師匠にそう言われちゃ、嫌とは言えないじゃねえですか」
まんざらでもなさそうなのは、フーリと同じだ。
「なにかあれば人を寄越せ。オレたちはひとまず北の廃教会を目指す」
「勝手に突っ走ったら、怒るよ」
「お前抜きで、んなことするか」
袖を摘まみ釘を刺すフーリの額に、キースが手刀を落としていた。




