44.アイネのはかりごと
稽古はひとまず、早朝のものに参加させて様子を見ることとした。
フィオだけでなく、エムリも一緒だ。
林の水場は、雪の降るこの時期ではまともに使えないので、閉鎖されていた古い訓練場を借りている。
時間と場所、持参する物などを伝えてから、鍵があってもここへは気軽に来るべきではないと、それはもう何度も言い含め、フィオとエムリを部屋から追い出した。
部屋には再び俺とアイネの2人だけになる。
勝手をしたお嬢さんにお説教、の前に。その理由くらいは聞いてやるべきか。
アイネなりに俺の利を考えて動いたのだろうからな。
扉の鍵を閉め振り返ると、質すより先に諫言が投げかけられた。
「ヤトイは、味方を作っておいた方がいいと思うの」
申し訳ないが、そういう配慮は遠慮願いたい。
俺はあまり、他人を敵味方という枠では考えないようにしている。そんな狭窄した他者の選別は、己の感情を満足させるだけのものであって、まず為にはならない。
利害こそが肝要なのだ。
キースとアイネの扱いは、やや感情に寄っているところがあるが、それでも利害という線引きは怠ってはいない。
だから、あまり害になるようなことをされると、寂しくなってくるぞ。
「使える駒は持っておくべきだわ」
不穏当な感情を察したのか、表現を露骨なものに改めてきた。
始めからそう言えばいいと思うのだが、それは人の感情の機微をいささか軽視し過ぎか。
もっとも。どう言い換えたところで、フィオを傍に置く利がないことには変わりない。
大勢になんら関与しないのはもちろん、近々であってもそうだ。
目的遂行のため、秘密裏に事を進めねばならぬ以上、辺りをうろつかれるだけで邪魔になる。
「やっぱり。許すっていうのは嘘だったのね」
「言葉に偽りはないよ。過去は許した」
「未来に期待はしてあげないんだ」
「あの2人は、君よりずっとまともだよ」
それは即ち、俺にとって都合が悪いということ。
アイネのように印なしの不審な行動を隠そうとする人間こそ、頭がどうかしている。
「そ、そう?」
「……言った通り、稽古はつけるよ。キースだけに任せるのも限界が近い。仕事であちらの穴を埋める役も、僕だけじゃ心許ないからね」
「ごめんね。役に立たなくて」
俯き、瞳は悄然と俺を見つめている。
初めから分かっていたことだ。適材適所。俺にできない部分を補ってくれているのだから、十分に役に立っている。
「それはいいっていつも言って……、ねえ君さ。これ僕に言わせて、実は喜んでたりする?」
図星だったらしい。
恨みがましく半眼で睨みつけてきたが、威圧感の欠片もない。
頬をほんのり赤く染めながら凄まれてもね。
「欲張りは度が過ぎると問題だけど」
これは応えてやれない俺の問題でもあるか。
傍に寄り、頭を叩くように撫でる。ぐずる子供をあやしているような気分だ。
というかですよ。実際、子供扱いしても嫌がらないんだわ、この子。
参るね。
「死ぬのだけは許さないからね。アイネの役割は、上での僕の補佐なんだから」
でも、と。撫でる手を止める。
「今回みたいなのは、少し余計」
掌を返し、甲で少し強めに拳骨を落とす。
「稽古はつける。でもアイネにやったようなのは、やらない」
「それじゃダメ! 駄目よ。それだとあの子たち、きっと無茶をするわ」
死んだらその時はその時。そんな風に、今の俺は考えられる。考えられるように行動している。
それを口にすることは、アイネが相手であろうと憚られるが。
「キースに確かめたけど、ヤトイの傍に来ようとする子なんて、あの2人だけ。他の子たちのことはいいわ。でもあの子たちだけは……」
「生かすことを考えろと?」
演技を剥がし、冷淡と酷薄を声に潜める。
アイネは緊張の滲んだ堅い表情で、静かに首肯する。
先々のことを考えているのかもしれない。
どうせ4年もせず、こことはおさらばなのだがな。それを知るのはキースだけだ。
この街の、そして黒の家の未来が明るくないことは、まだキースにも話していない。
話せば、まず間違いなく覚悟が揺らぐ。
キースの親父さんが死んでから、フーリの依存はますます強くなった。
フーリを置いて街を出るという選択肢は、なくなるだろう。
では他の子供たちはどうか。
これは俺には分からない。
簡単に見捨てられるのであれば、わざわざ自分が去った後のことを考えて、生きる術を学ばせたりはしない。
残るというのであれば、それはひとつの道だろう。
ただな。俺の行方を知る人間を残すというのは、ちと具合が悪い。
あまり考えたくはないが、街を出る上での障害になるかもしれない。
リスクを考えるならば、話をするのはせめて街を出る目途が立ってからが望ましい。
逆に、語らないのであれば生涯口を噤むべきだ。
アイネは、どうしたものかな。
1年前であれば、街に残すことに躊躇いはなかった。
キースが子供たちを育てようとしているのに口を挟まなかったのも、アイネが残るのに都合がいいと思ったからだ。
街に残すのが、見殺しにするのと大差ないとあってはな。
この1年、便利だからと傍にいることを許し過ぎたかもしれない。
野良であっても面倒を見てやっている猫がいる。その前に毒入りの餌が置かれたとして、放っておけるだろうか。
身の安全が許す範囲でなら、助けてやりたいとは思うが。
こいつが俺に近づいたそもそもの理由は、キースへの恩義だ。手を差し伸べることが、こいつにとっての救いになるとは限らない。
俺には分からないのだ。果たして今こいつが、なにを望んで俺の傍にいるのか。
「アイネ。僕はきっと、キースの役には立てないよ」
だから危険を承知で、探るように、突き放すように言った。
案の定、アイネは驚愕に目を見開き、けれど疑念でも憤怒でもなく、奇妙な笑みをその口もとに浮かべた。
「わたしね、ヤトイのせいで、すっごい悪い子になっちゃったの。恩義は大切だわ。でもね、わたしにはもっと大切なものがあるのよ」
なにか分かる、と。
そう言われて俺は気づくのだ。アイネの浮かべる笑みが、自嘲と、それに倍する誇らしさから生まれているのだと。
「今も君は、誓いの通りに生きて、死ぬつもりなのか」
目元をほころばせ、穏やかに微笑む。
己への嘲弄は消え失せていた。
キースを残せば、こいつは俺を勝手に追いかけて、そして勝手に死ぬのだろうな。
「ねえ。どうして突然そんな話をしたのか、当ててあげる」
アイネは扉とそれから窓を見やり、わずかに思案の表情を覗かせた後、寝台に膝立ちになって、羽織っていた毛布を互いの頭の上から被せた。
そうして、俺の耳元に手を添え、小さく囁く。
「ヤトイは、ここを逃げ出すつもりなの」
「すごい自信だ」
「誰よりもヤトイを見てるもの」
言ってアイネは抱き着いてきた。
余裕のなさの表れか。抑えてはいるのだろうが、まわされた腕は痛いほどにきつい。
「途中で死んじゃってもいいから。置いてかれるのは嫌だ」
「君はいつも僕を困らせるね」
「わたしだって、いつもヤトイに困らせられてるわ」
ふっと、抱きしめる力が緩んだ。
ずるいな、君は。
我が儘で欲張りで、時々大人のように知恵を働かせるくせに、根はやはり子供で。そして救いようがないほど愚かしい。
「確約はできないよ。本当に危うくなったら、先に消えるから」
「追いかけられるように、腕利きの戦士は必要よね」
顔が見えるくらいまで身を離し、悪戯っぽくアイネは言う。
なあ。初めから巻き込むつもりで、あの2人を俺に引き合わせたろ。
「まったく。本当に悪い子になったな、アイネは。……尾行されたら囮にするよ」
「うんっ」
屈託のない笑みに、思わず溜め息が零れる。
どこかで改めて、キースとは話をしなければならないな。
余談だが、翌日の早朝の稽古。意気揚々とやってきたフィオは、共にやってきたエムリの前で小便を漏らすという、深い悲しみを背負うことになった。
俺としては、思ったほど死に対する耐性がないことに驚いた。
フィオ曰く、死にそうな目にはいくらでも合ったことがあるが、殺されると思ったのは初めてとのこと。
普段そんな素振りを見せない俺が、そういう感情を向けた、というのも大きかったのかもしれない。
対するエムリは存外気丈で、普段のおどおどした様子からは想像できないほど、よく耐えた。
しかし、考えてみれば当然だ。
フィオよりも年下で、身体能力でも劣っているのに、下では共に囮として駆けまわっていたのだ。
怖い思いをすることは、フィオよりも多かったに違いない。
こうして、俺とアイネの生き残るための訓練に、フィオとエムリが加わることとなった。




