43.フィオとエムリ
黒の家での2度目の冬を迎えた。
去年は秋も終わりの頃に初雪が降ったが、今年はそれから1月も遅い降雪だった。
けれどひと度降り始めると続くもので、ここ5日は連日の雪模様だ。
俺の使っている書庫は、利用者が限られているためか、冬であってもさほど込み合うようなことにはならなかった。
それでも、他の季節と比べると訪れる者は多い。要らぬ諍いを避けるため、見張りに利用時間を確認し、あまり長居はしないよう努めている。
今日も、事前に予定していた調べ物だけを済ませ、早々に自室に引き上げていた。
寝台の上で毛布に包まって、暗号化したメモを見ながら思索に耽るのが、すっかりここ最近の日課だ。
「ねえヤトイ。熱心に読んでいるけれど、なにが書いてあるの? わたし、それまったく読めないわ」
肩越しに、手元を覗き込むようにしてアイネが問いかける。
読んでいるわけではないのだよな。考え事ついでに眺めているだけだ。
アイネだが、しれっと他人の毛布に勝手に潜り込んできている。
気持ちは分からんでもないので、文句は言わないでいるが。
日本の冬ほど冷え込みはきつくないものの、暖炉もない部屋なのでそれはもう寒いのだ。
去年は本当に辛かった。
部屋に居る時は大抵、布団代わりの、藁を詰めた布袋の山に潜っているだけだった。
惨めだったねえ。魔力操作の修練にはもってこいの時間ではあったが。
今年は大枚はたいて毛布を調達した。現金を使って、青錆街経由で手に入れた。
これから先、報酬を現金化するその理由づけを兼ねているので、金を使うことに迷いはなかった。
街を出る際には防寒用として持っていくつもりだ。先行投資だな。
冬に街を出るような事態には、なって欲しくないものだが。
毛布はこれまでの寝具と比べたら、保温性において天と地ほども差がある。
それでも、地球でのものと比較すると、今一歩及ばない感じがする。
手間がかかっていれば質も良いのかと言うと、そうとは限らないのが現実だ。
「読めないようにしてるの。だから秘密」
これまではアイネが来ている時は片付けていた。
だがな、こうも常に居るとなると、わざわざその眼を気にして習慣を改めるのが、馬鹿らしく思えてきた。
どうせ、俺以外の誰にも読めないのだ。
誰にもとは言ったが、実はこの暗号文、種を明かせば日本人なら簡単に読める。
五十音を、こちらで使われている文字に置き換えただけの代物だからだ。
まあこの世界に日本人なんて俺だけだろうし、誰にも読めないと言っても過言ではなかろう。
「ふうん。キースも知らないことなのね」
視界の端に、アイネの笑みが見える。
すっかり悪い顔をするようになったものだ。
「追い出すよ」
「や、やだ。静かにしてる」
ごそごそと向きを変えて、背に寄り掛かってくる。
確かにこうしていると温いが、アイネならば行く当てはあるだろうに。
「談話室行ってきたら。暖炉あるし、ずっと暖かいよ。他の子たちも、今はあそこでしょう?」
「こっちの方がいいなー」
「ならフーリの所に行ったら。キースの借りてるんだよね」
「取りに来た時にわたしが居ると、あの子にとって都合が悪いのよ」
ああ、と納得。
「ここ暫く、夜になってもキース戻ってこないんだよね」
「べったりだから。去年からずっとだけれど」
「……アイネもだよね」
キースがフーリの所に居ると、アイネはこちらの部屋に逃げてくるのだ。
居心地が悪いのか、気を使っているのかは知らない。
俺も仮成人してるんですけどね。いいのかい、年頃の女の子として。
この世界、成人前に結婚とか普通にあるのだ。子供作ったりも。
20代はいき遅れである。30代は、いやこれ以上はやめておこう。
本人曰く、お姉さんだからいいらしい。
俺を前にどこに姉らしさがあったのかは、少し議論の必要がありそうだが。
「嬉しい?」
「面倒くさい」
邪険にしたつもりなのに、ふふふとなぜか嬉しそうにしている。
このややずれた喜怒哀楽にも慣れてしまった。
アイネには、黒の家の中での情報収集を手伝ってもらうようになった。
キースよりも幅広い層に知り合いが多いので、地味に重宝している。
なんとキースへの恩を口実に、俺と同じ班にいることを正当化しているらしく、外では可哀想なアイネちゃんで通っている。
お陰で以前の知り合いと縁を繋いだままだとか。
いい子ちゃんだと思ったのだが、強かな悪女だったようだ。させたのは俺かもしれないが。
そういう役を演じはじめたのは、去年の冬からだって言うし。
不意に、思考に違和感が混じった。
意識を外側に振り分ける。
座敷牢の並びへと、何者かが足を踏み入れたのを察知した。
キースやフーリの聞き慣れた音ではない。
「アイネ、警戒3。ああやっぱり5でいいや」
咄嗟に警戒を強めたのだが、少し聞き覚えのある歩き方だと気づき、緊張を解く。
メモ束をアイネに押し付け毛布から抜け出し、キースの寝台に歩み寄ると、その脇に置かれた藁入りの袋を、適当に寝台の上に積み上げる。
そして机の上の短剣を掴み、来客を出迎えるべく扉に寄った。
間もなくして足音が扉の向こう側で止まる。
「ヤトイさんいますか。フィオです。話があって来ました」
控え目なノックの後に、少し硬い声が訪いを告げた。
名乗りはひとりだけか。
キースの寝台まで戻り、扉に向けて応える。
「鍵は開けてあるから、入っていいよ」
「やっぱ気づかれてたか。おれだってことまでバレてた?」
「フィオたちの足音は、下に居た頃に覚えたよ。フィオも、そうじゃない?」
「聞き分けは半々くらいだよ」
扉は開け放したままに、部屋を眺めつつフィオは入ってきた。
自然な足取りからは、まるで警戒心を感じない。
下に居た頃はこれ以上ないほどに避けられていたが、上に来て3か月になる。俺が近くに居ることにも慣れたのだろう。
「アイ姉ちゃんのこと見ないと思ったら、やっぱここだったんだ」
「探させてしまった?」
「上の連中は頼るのに慣れ過ぎなんだよ」
「それはキースに言ってあげないと、どうにもならないかしら」
アイネはお姉さんぶって、柔らかく余裕のある笑みを浮かべている。
皆のお姉さんに、可哀想なアイネちゃん。演技がお上手なようで羨ましいよ。
「あーでも。おれもお願いがあって来たんで、あいつらのこと言えねえや」
話ってのはそれか、お願いな。お願い。
どうにも嫌な予感しかしないんですが。
フィオは俺に向き直ると、姿勢を正し、腰を折るようにして深々と頭を下げた。
「ヤトイさん。おれに稽古つけて下さい」
頬が引き攣りそうになるのをなんとか堪える。
横目でアイネを見やると、わたしはなにも知りませんよとすまし顔だ。
お嬢さん。それは悪手ってやつだ。ここは多少なりとも驚いておくべきだったろうよ。
まあ、分かっていてそうしているのかもしれないが。
「鍵はどうしたの?」
「ヘズコウさんに貰った」
貰った……。
現実逃避のつもりで問うたのに、肝心の逃げ道が塞がれていたような心境だ。
班の子供たちの代表という体で預けてもらったらしい。
体とは言え、代表として渡されたのだ。他の子供たちの求めがあれば、ここへ通すくらいのことはするだろう。
なんとも面倒くさいことだ。ヘズコウも余計なことをしてくれる。
なお、フーリを連れ出すのは禁止とのこと。
あれも1年で少しは抑えが効くようになったが、まだまだだ。
しかし、そういうところには気づくのに、増える俺の苦労には……、気づいていて無視しているに違いない。
聞かなければよかった。
稽古を拒否したところで、毎日のように頼みに来るのは目に見えている。
嫌だね。
面倒だ。
厄介とすら思う。
稽古をつけることに拒否感があるわけではない。
キースに世話を頼まれたのであれば、文句は言っても断るようなことはしなかっただろう。
だがな、こいつは自分から頭を下げに来たのだ。
印なしに進んで稽古を求めるような奴に、ろくな奴はいない。
上手く断る口実はないだろうかと急ぎ頭を働かせていると、横からろくでもない奴の代表が口を挟んだ。
「フィオ。わたしにした話を、ヤトイにも聞かせてあげて欲しいの」
あー、あれか。分かった。おれ、仕事じゃまだおまけだろ。皆のこと見てるくらいしかできなくってさ。でもそれで気づいたんだよ。キースさんとフーリって滅茶苦茶強いけど、ほとんど前しか見てないんだって。だけどそれって、見えてないわけじゃないんだ。必要がないから見てない。後ろには、ヤトイさんが居るから。逆にアイ姉ちゃんはヤトイさんばっか見てるけど、あれはヤトイさんの役割が一番重要だから、それを追ってる」
キース至上主義な上のボンクラたちと違って、下の出は目敏いねえ。
でもその程度なら、反論も否定もいくらでも用意してある。
あるのだが。
アイネがあちらに助け舟を出している以上、どう言い繕ったところで、おそらくは無駄な足掻きだ。
いったいなに企んでるよ、お嬢さん。
「ヤトイさんは下に居た時からそうだった。大したことしてないようで、実はすげえ大切なことしてた。ヤトイさんが居なくなってから大変だったんだぜ。同じように動いてるはずなのに、大人たちに捕まって殴られまくって。他の奴らは、キースさんの話を聞いて団結が鈍ってるからだとか言ってたけど、違げえよ。おれとエムリで、必死になって大人たち引っ掻き回すようになって、ようやく持ち直したんだから」
ああ。それは気づく。
俺の役を継いでいたというのであれば、むしろ気づいて然るべきだ。
やってることはかなり違うが、立ち位置は似たようなもの。下の経験を活かして仕事で貢献しようと思えば、きっと俺の動きは目に留まる。
指南の嘆願にも合点がいく。
というのも、キースの訓練では俺のような立ち回りは身につかない。
仕事により早く出られるようにするために、役割を限定し、戦闘技術に特化した指導をしているからだ。
柔軟性に欠いている部分を補うため、俺に教授を頼みに来た。
なんと真っ当な理由であろうか。
邪な動機で近づいてきたどこかの誰かさんとは大違いだ。
「ってかよ。エムリは勝手についてきたくせに、こそこそ隠れてないで入ってこいよ」
話すべきことを話し終え、扉を気にし始めたフィオが、俺の返答まで待ちきれず声を荒らげた。
半開きの扉に早足で戻る。
「うぁ」
驚愕のような悲鳴のような声が上がった。
フィオはそれを無視して、扉の陰に居た子供を無理やり部屋に引きずり込んだ。
「ほらっ」
背後に回りその背を突き飛ばすと、子供――エムリが、2歩3歩とたたらを踏む。
しばし俯き、掌を組んだり握ったりとを繰り返していたが、観念したのか、おずおずと顔を上げた。
「ひさし、ぶり」
顔は合わせてたけどな。上に来て3月は経つ。
言葉を交わすのは、穴倉以来か。
「髪、伸びたね。女の子らしくなった」
実際、穴倉に居た頃と比べると別人のようだ。
フィオもエムリも、性別もなにもない汚らしいがきんちょだったからな。俺も同類だったわけではあるが。
「ぁう、ぁ……。ご、ごめ。ごめんな、さい。ヤト、イ。ごめん。ごめん、なさい」
軽い挨拶をしただけだというのに、エムリは再び俯き、ぼろぼろと泣き始めてしまった。
ごめんなさい、と。謝罪の言葉が重ねられる。
おそらく、俺が印なしであることが広まったのは、エムリのせいなのであろう。
あの時は確か、エムリの求めでフィオを助けに行ったんだったか。
酷い裏切りもあったものだ。
それでも、それを分かっていながら、詫びるために自分からここまで来たのだよな。
ついアイネにするように頭に手が伸びた。
触れる寸前で、エムリがびくりと身を震わせる。
そういえば、穴倉では随分と俺を怖がっていたな。
「ごめん。まだ怖いんだね」
「怖い」
下げかけた腕が、エムリの小さな手に掴まれた。
「でもそんなに、怖く、ないよ」
少し震える手で、俺の手を自身の頭の上に乗せる。
その下には、やや強張った笑み。
「馬鹿だなあ。僕の所になんて、来ない方がよかったのに」
くしゃっと少し乱暴にその頭を撫でる。
「これで、全部許してあげる」
「あり、がと」
傍目にも、その細い肩から緊張が抜けたのが見て取れた。
エムリについてはこれでいいとして。フィオはどうしたものか。
稽古をつけるのは止む無しと思う。ただ、エムリを見て黙り込んでいるのは、はてさて。
「あのさ、フィオ。なにを、そんな熱心に考えてるの?」
「い、いまならいけるかなって。でもまだ言ってないだろっ」
そんなところだろうと思ってはいたよ。
しかしフィオや。そいつは言い訳になっていないぞ。せめて、思っただけとかにしておきなされ。
まあ、手段を選ばず結果を求めようとするその気概は、嫌いではないよ。それに貴重だ。
神に縛られたこの世界では、手段こそを尊ぶ人が大勢を占めているからな。
だがこの手の輩は面倒が多いのも事実。
どのように教えるのが、互いにとって最も害が少ないだろうか。
益は考えない。不必要な肩入れをする気はなかった。
3年か4年もすればこの街を去るのだ。キースのように、居なくなった後のことまで配慮してやれるほど、お人好しでもない。
それに、きっと無駄になる。
黒の家が力を失った後、この強制居住地域がどうなるのか。そんな無益なものを考えることはしないと、俺は決めたのだ。




