40.英雄であることよりも、父親であることを望んだ男
グフォルト・クーント。
キースの父親は、哀れまれることを良しとせず、蔑まれることを良しとする、己の誇りと信念に生きた男だった。
グフォルトは紛れもない英雄であった。
指揮する黒の家の小隊は、国内のみならず同盟国内の様々な戦線に送り込まれ、数多の魔法種と獣兵を屠り、大陸南部における青の教派の統治に多大なる貢献を果たした。
閉塞した強制居住地域にあって、世界の広さを身を以て知る、稀有な人物でもあった。
まだキースが幼かった頃から、己も知ることの及ばなかった世界というものの大きさを語り、この街の小ささを語っていた。
戦争の残酷さ、非情さ、そして無常を語ることを、男は忘れてはいなかった。
けれど世界を語る男にこそ、キースは夢を見ていた。
噂に語られていない真実も教えてくれた。
男は戦場から逃げ帰ったが、仲間を見捨てたわけではなかった。
いや、見捨てはしたのだ。だが仲間たちは、そんな男を逃がすために、自分たちの命をなげうった。
仲間たちに、生き延びることを求められたのだ。
美談として語られるべき物語だろう。
だが敵前逃亡は罪だ。それが部隊単位でともなれば、黒の民の立場を危うくする。
真実を公にすることは出来なかった。
それ故に、仲間を見捨てて逃げた臆病者と、英雄に見放されてでも戦い続けた勇者たちという物語が生み出された。
血路を拓いて死んだ仲間も、共に逃げることを望まれ、しかし最後は自らを盾として死んだ仲間も、そこには居ない。
キースがこの話を知ることになったのは、ここ1年ほどのことだという。
ヘズコウの下で雑用を始め、随分と経った頃、ヘズコウに自身の父親に話を聞くように言われ、知ることになったそうだ。
この街でこの話を知るのは、たった5人。
当事者であるグフォルトと、館の主であるアヴレット、幹部のモトとヘズコウ、そして息子のキース。
話して大丈夫なのか問えば、ヘズコウに父親から話を聞いたと伝えた時に言われたらしい。この件は口外無用、ただしそうと見込んだ相手にだけは話してもいい、と。
臆面もなく言われた。無粋だと思ったので、それ以上はなにも聞かなかったが。
世界を教え、剣を教え、道を教え。
酒浸りの末期ではあったが、それでも男は英雄であり、戦士であり、黒の民であり、そしてそれ以上に愚かな、ただの父親であった。
そう。愚かな、父親だ。
「親父さん、キースの足枷になりたくなかったんじゃないかな」
「なに、言ってんだ」
「フーリは、言っちゃ悪いけどただの口実だと思う。話を聞く限り、親父さんはキースが街を出たいの知ってたよね。で、キース、街を出たいって話を僕にした時に言ってたじゃん、親父の後のことを考えなきゃならないって。思うに、そっちが理由」
「うそ、だろ。そんな、じゃあ親父はオレのせい――」
「キース」
強い声でキースの思考に堰をする。
「その考え方は違う。今すぐ捨てろ。罪も責も抱くべき場面じゃない。お前、親父さんのことが好きで、その誇りと信念をなにより大切にして、それで最期に立ち合うこともせずここに戻って来たんじゃないのか。ならそれはやめろ。そんな風にお前が思っちまったら、親父さんが悲しむぞ」
「っ! クソッ。馬鹿ヤトイ。教えたお前が言うな」
「教えたから言うんだよ。と言うか、俺の言葉を鵜呑みにするな。自分の頭でよく考えろ」
「うっせえ」
なんで疎んじてる俺なんかに、大事な息子を任せるよ。
キースが外へ出るのに、この街になんの執着もない俺は、確かに使えるだろう。
穴倉から救い出したキースに、俺が厚い恩義を感じていると、周囲は見ているのかもしれない。
裏切ることのない味方。なんとも夢のような話だ。
だがそれにも増して問題が多い。印なしは、人ではないとまで罵倒されるのだ。
札付きにそれに抗しうる、保険としての価値があるのだろうか。
調べた限り、品質保証といった程度の代物でしかない。差し迫った状況で、こんなものがなんの役に立つ。
「たぶん、お前の読みは正しい。でもきっと少し違う。親父は、親父の誇りに死んだんだ。本当に足枷になる前に、消えたかった。なんだよ畜生。オレが思い悩む必要なんてねえじゃねえか」
さてね。それはどうだか知らんよ。
俺はお前のその話を聞いて、それすらも口実ではないかと思ったがね。
お前のために、名誉も栄光も投げ捨てられる男だ。
黒の家の許可が下りるまで、息子に真実を語らずにいた男だ。
息子に惨めに思われようと、傍に在ることを望んだ男なのだ。
確かに気位の高い人物だったのだろう。
好いてくれる息子に、良い姿を見せようと欲する心もあっただろう。
けれどそれは、お前の未来と比べれば、遥かに軽いものだったに違いない。
決めるのが早すぎだと、そう思わずにはいられないが。
「……悪いな親父」
呟きがキースの口から零れた。
「やっぱオレ、ヤトイの言うのを信じるわ」
ぽたりぽたりと、涙が机に染みを作っていく。
「オレのために死んでくれよ、糞親父」
嗚咽交じりの声が、閲覧室の薄闇に溶けていった。
◇◇◇
「キース、5年だよ」
悲嘆が峠を越えた頃、俺はタイムリミットを告げた。
まだ泣き止んではいない。
父親を失った悲しみにまだケリがついていない。
そんな状況でありながら俺は未来に目を向けさせる。そんな状況だからこそ俺は未来に目を向けさせた。
気持ちの整理なんて、すぐに付くものではない。付ける必要もない。
だからこそ、今しておかなければならない話をする。
足枷にならないようにと死んだのであれば、その先を定かにするのは、今この時であるべきだ。
「どれだけ遅くとも5年。それまでに、僕らは街を出る」
キースは涙と鼻水を袖で拭い、赤くなった目で真っ向から俺を見た。
良い目だ。
悲しみまでは拭い去れていないが、それでいい。理性さえ働いていれば、こいつは前に進める。
「成人を迎える前に、ってことだな」
「そう。おそらく、僕の限界はそこになる」
「5年って言うと長く思えるけど」
「そんなに余裕はないよ」
「だよな」
「早くても3年は要る。キースにも片付けなきゃいけないこと、あるでしょう?」
蔵書は確認したが、望む情報がどこまで集まるかは怪しい。他の手段も考える必要があるだろう。
長旅になる。そのための装備や食料も揃えなくてはならない。それも、黒の家にそうと悟られないように、である。
どうしても時間がかかる。
キースが面倒を見ている子供たちについても、モノになるまでに相応の時間が必要だ。フーリという難題まである。
「なるほど、5年は短いな……。ヤトイ、近々仮成人してる奴を1人、下に連れて行こうかと思う」
具体的な期限を示したことで、キースも漠然とではあるだろうが、焦りのようなものを覚えたらしい。
今はそれで構わない。
10歳にも満たぬ子供だ。5年先を想像するのは容易いことではない。
それを教えるのは俺の役目になるだろう。
ただ、キースの感情が落ち着いたのであれば今は。
「その辺りは、夜食でも買って部屋で話そうか」
「もうそんな時間だったのか。夕飯、食い損ねたな」
そう。夕飯の代わりを口にしたい。
俺の体はどうにも燃費がよろしくないようなのだ。
食事は明日への活力である。しばらくフーリが不在となるのであれば、なおのことしっかりと食っておかなければならない。
それはキースも同じだ。
「キースも、その様子だと食べれそうだね」
「お陰様でな」
へっと吐き捨てるように笑う。
応じるように、俺は意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
そうしてから、なんとなくノリで拳を合わせた俺たちは、閲覧室の扉を開け、明日への一歩を踏み出したのだった。




