39.父の死
秋ももう終わりか。
どんよりとした雲から舞う雪が、暦よりも少し早く、冬の訪れを告げていた。
閲覧室の窓から見える代わり映えしない街並みに、薄く白が混じっている。
このまま降り続くようなら、早朝稽古は場所を改めるべきだろうか。
既に日課となっている書庫通いだが、これからの季節は、そうもいかなくなるかもしれない。
冬場ともなれば、ここの利用者が増えることが予想された。
というのも、閲覧室の壁の裏側を暖炉の煙突の通り道にしているらしく、火がないにもかかわらず、割と暖かいのだ。
黒の家は広いが、暖炉のある部屋はそれほど多くない。
食堂や談話室、会議室といった、人の集まる部屋にしか設けられていないのだ。
必然、人はそこに集中する。
ここもそういった場所のひとつとなることは、想像に易い。
はてさて。人の集まる場所に行けない俺は、この冬をどうやって乗り越えたものか。
衣服だけは冬用の厚手のものを揃えたが、地球と同じくらいの保温性を求めると、十二単みたいになってしまう。
体内の魔力循環を弄れば多少誤魔化せるのだが、代わりに腹が減るんだよな。
本を流し読みしつつ、自然という難敵の存在に陰鬱な気分になっていると、キースがやってきた。
ここを使っているのは知っていたが、会うのは初めてである。
珍しいなと思いつつも、視線を本に戻す。その途中。対面に座ったキースが、淡々と言い放った。
「親父が死んだ」
なにを言ったのか。すぐには意味を理解できなかった。
「餓死だ」
続けられた声に、先の言葉の意味が脳髄に行き渡る。
驚愕。
俺の感情を表すなら、この単語を置いて他にないだろう。
この小さな街で、死はさほど珍しいことではない。
戦死 事故死、病死 凍死、餓死 焼死、水死。
ただの人間より強靭な肉体を持つ黒の民であっても、死ぬ時は簡単に死ぬ。
つい3日前の冷え込みが厳しかった日にも、凍死者が出たと聞いている。
しかしながら、上で餓死は珍しい。
黒の家による管理が行き届いているからだ。
上に居る限り、質に目を瞑れば、食い物で困窮することはまずないと言っていい。
だからこの場合、ただ飢えて死んだわけではない。
自害だ。
この世界では自殺は禁じられている。
神の僕が、主の許可なく死を選ぶことは罪である、と。そういう理由だ。
だが、戦死と餓死だけは例外とされている。
戦死は、戦いの末の死は尊いものとされているため。自殺に等しい戦いすら強要する意図が、おそらくこの思想には込められている。
餓死は聖人の逸話が元となっていて、それが転じて死に至るその時まで懺悔の祈りを捧げ続けることで、許しを得られるとかなんとか。
「前に帰った時によ。暫く仕事に専念しろって言われたんだ。フーリには大事な時期だろうって。あいつが前に進み始めたんで、戻れねえようにさ。決めてたんだろうな」
勝手に決めて、勝手に逝きやがって。
かすかな呟きが耳に届く。
「親父さんどんな人」
「噂で聞いてる通りの人間だよ」
キースの父親の噂は、そうしたものと縁遠い俺のところまで漏れ聞こえてくる。
華々しい活躍の果てに、たった1度の敗北ですべてを失った男。
仲間を見捨て逃げ帰った臆病者、剣を失ってまで生き延びることを求めた恥知らず。
栄光を地に落とし、汚し続けるかつての英雄。
ロクな噂ではない。
憧れが裏返り、嫌悪と憎悪に転じたに違いない。
所詮は噂だ。
人の情念に歪められた、偏った情報に過ぎない。
けれど分かることもある。
噂よりも如実にその人となりを示すであろう見本が、俺の傍には居る。
惨めな男だと思った。
勇気はあるものの、愚かな父親だと考えた。
この街で、親の居ない子供がどうなるか。その最も多くの通る道を、俺は身を以て経験している。
英雄の子を無下には扱わないだろう。
だがもしその子が無能であれば。
黒の家とて見放すかもしれない。誰かが唆すかもしれない。
死人にそれを止める術はない。
だからおそらく男は、自らの子のため、誇りを己が自ら踏み躙ってまで街に戻った。
わからないでもない。
それに、傭兵は死ねば金にならない。
しかし父親が存命だからこそ、息子は英雄の子とはなれなかった。
優秀だが父親には及ばない子供、問題ばかり起す不出来な子供。
周囲のキースに対する評価は、英雄であった父親ありきのものが多い。
父親としては良い人物なのだろう。人としても、地球の感覚で言えば真っ当な人物だと思う。
けれど黒の民としてはどうか。戦士としては、英雄としては。
望まれた姿と望んだ姿は、あまりにも遠くかけ離れている。
男の持ち帰った影は、子供にまで累を及ぼした。
だがその影が、今のキースを形作っているのではないかと、俺は考えている。
英雄の子として育てられたキースは、ただの優秀な黒の民の子供だっただろう。
俺の手を取るような異質さを、持ち合わせる余地はそこにはない。
「なら僕は、親父さんに感謝しないと。キースと会えたのは、親父さんのお陰だと思うから」
「そう、言ってくれるのか。そうだよな。そういう奴だよな、お前は」
打算抜きの、本心を口にしたつもりだ。
お前が父親を肯定して欲しいと思っているのは、知っているけどな。
弱った心に付け込もうという考えが、全くないとも言わない。
だがそれくらいは許せ。
強かであろうとは思っているが、元々お前が頼みに出来るほど、俺は強くはない。
ただ少し、歳を食っているだけだ。
「でもな、お前が感謝する必要はねえよ。親父は最後まで、お前を疎ましく思ってたからな。そうでもなけりゃ、お前と引き合わせてたさ」
できることなら会わせたかったんだな。
親父をではなく、親父にであろう。
俺が抱く感情を気にしないのであれば、会わせることに問題はない。
それをしないのは、父親を悪く思われたくないからだ。
自慢したかったのだろう。それくらい好いていた。
周囲がどれだけ悪しざまに語ろうと、そんなことはキースにとってはどうでもよかったのだ。
それだけに、俺には同じ思いでいて欲しいとするキースが、脆く、危うく見えた。
アイネは俺がキースの支えであるかのように語っていたが、父親の存在に比べれば、なんとも大したものではなかっただろうよ。
「……キース。暫く仕事休んでもいいよ」
迷った末にそれを口にすると、キースはえらく驚いたような顔をした。
「お前が他人のために危険を取るなんてな」
酷い言われようだ。
分かってるなら俺なんぞを頼るなと言いたい。
「キースが死んだら僕が困る」
「違いねえ」
そう言ってくくっとキースは笑う。
「けど悪いな。そいつは飲めねえよ。親父にどやされちまう。ただ代わりに、フーリを仕事から外してやって欲しい。あいつは暫く、使えそうにない」
相も変わらず意地っ張りだな。こんな時にも他人を優先するとは。
フーリもフーリだ。キースの隣に立ちたいと思っているのなら、自分よりも、こいつのことを第一に考えるべきだろう。
「まったく。ダメだね、あれは」
「手厳しいな」
「送儀は?」
「内々に片を付けてくれるってんで、もう任せてきた」
任せてきた、か。
立ち合う気はないということだろう。
「フーリはそっち?」
「よく分かったな」
「無理って話を聞いたらね。キースがここに戻ったのは、周囲の目を欺くため、かな。大馬鹿者が」
「放っとけ」
まったく。本当に、度し難いほどの大馬鹿者だ。
ひとりで抱えるには重すぎて、それで俺のところにやって来ていては世話がない。
「それでいいって言ってくれるような、そんな親父さんだった?」
「……なあヤトイ。暫くオレのつまらない話に、付き合っちゃくれねえか?」
「分かった。少しだけ待ってて」
断りを入れて閲覧室を出ると、本を書架に戻す。それから見張りのヂコという男に書庫を貸し切りたい旨を伝え、部屋に戻った。
キースの昔語りは、陽が傾き地平線に沈み、月が高く昇るまで続いた。




