36.メイベルハングは誓う
「うそっ、なら。言わないで……くれた、ほうがっ。よかった」
どうして気取られた?
魂の誇りに懸けた誓いを否定するということは、その者の魂を侮辱するのに近い。そのため、冗談半分で否定するなんてことは、この世界の人間は普通やらない。
であるから、アイネも言葉通り肯定の意味で取ってくれると思ったのだが。
そこまで俺は信用がなかったか。
それとも、信用されているが故に、なのか?
「アイネ。僕のことは、便利な道具くらいに考えておいた方がいい」
「なんで。そんな……こと言うの?」
なにか言い淀んだか? 泣いていて言葉に詰まっただけか?
まあいい。
優先順位さえ思い出させれば、言いくるめるのはさほど難しいことではない。
「班に入りたがったのは、キースに恩を返すためだよね」
「え……、うん。そう、だよ?」
妙だな。目が泳いでいるように見える。
「恩を返すことは、できてるんだよね?」
視線が落ち、首が横に振られる。
どういうことだ、これは。問いただす必要がありそうだな。
「そのために、班に入ったんだよね?」
「そう、だけど。わたしじゃダメだから。キースに必要なのはヤトイなの」
「それで僕に構うの?」
「少しちがう。キースだけじゃないの。わたしにもヤトイは必要なの」
「どうして?」
「ヤトイがいないと、キースもわたしもダメになっちゃう」
感情が先走ってて要領を得ん。
そうさせたのは俺か。面倒な。
「アイネ。今を朝の稽古の時間だと思って。はい、深呼吸」
溢れていた涙がぴたりと止まる。
教育は順調だな。稽古でも、もう殆ど泣かなくなった。こんな場面で、成果を実感することになるとは思わなかったが。
瞳に理性が戻ったのを確認し、俺は疑問を口にする。
「それで。どうしてダメになるの?」
「わたしだと、キースの助けになれないから」
未だ悲嘆の抜けきらぬ暗い表情ながら、言葉はしっかりとしている。
「魔獣が出た後、キース辛そうだった。でもわたし、なにもできなかった。他の皆も。クスーラさんの部屋に行くって言い出した時も、止められなかった。心配だった。壊れちゃうんじゃないかって。でも戻ってきたら、なんか元気になってた。クスーラさん死んじゃったけど、キースはそれ知っても全然平気な顔してて。ヤトイがなにかしたんだよね。キースがなにも言わないってことは、そういうことでしょう?」
そこから巡り巡って矛先が俺に向いたわけか。
溜め息が漏れそうになる。
アイネが俺を必要とする理由は見当がついた。
精神的な支えを欲しているのだ。キースだけでなく、アイネにとっても。
どちらも意地っ張りで、誰かを頼るということができなかった。
キースはいつも頼られる側で、アイネに対してもそうあろうとしている。
アイネも同じだ。自分を立場で縛り、キースを頼ることを良しとしない。
頼るのに俺は都合がよかったのだろう。
俺は利用はするが、頼ろうとはしない。ばかりか、己の利に繋がるなら、進んで他人の利を考え、動きもする。
その結果として。
キースは街を抜け出すという恥知らずな野望を、俺に打ち明けるに至り。
アイネは姉という役回りを、俺の前では捨てるに至った。
参ったね。
結果である。意図してそうなったわけではない。そうならざるを得なかっただけだ。
誰が好き好んでそんな面倒な役回りを引き受けるものか。
こういうのは、俺の性分ではない。
しかしそれなら、俺が得た確信はなんだったのか。
ただの勘違い。いやそうではなかろう。
なぜ、アイネが俺の側にいる証を欲していると思った。
アイネがしばしば、なにかに怯えるような態度を取るからだ。
今もそうだ。少し俯き気味に視線を彷徨わせている。
「アイネは、僕が怖い?」
肩がびくりと震え、瞳は一度だけ俺を映した後は、あてどなく地を彷徨うばかり。
稽古では散々怖がらせた。
だから、思い当たる節がないわけではない。
しかしこれは、それとは毛色が少し違うように思える。
「どうして誓いにこだわるの?」
完全に黙り込んでしまった。
頭はより深く垂れ落ち、前髪に隠れて顔を窺うこともできない。
「アイネ」
「やだ。だって絶対にヤトイ怒るもん」
「怒らないよ」
「嘘だよ」
「どうしたら話してくれる?」
「誓いを信じてくれたら、話してあげる」
「話してくれないと、信じてあげるのは難しいな」
「どうせ話しても信じてくれないんだよね。知ってるよ」
「それは話してくれないと分からないよ」
「分かるもん」
これは、堂々巡りになるな。
まあいいさ。話す気がないというならそれでも。
最低限、使えるようにはなった。できれば鍛錬は続けたいところだが、難しそうならキースに投げればいい。
俺のことを怖いと思うのなら、余計なことを口走る心配はないだろう。キースに対する恩義とやらもある。
「そっか。残念だよ」
話を続ける空気でもない。言って俺は立ち上がろうとした。
アイネの手が伸び、俺の腕を掴む。
「ま、待って。話すよ。話すから」
俺に抱く恐怖よりも、見放される恐怖の方が強いのか。
だとすると少し、重症かもしれない。
座りなおすと、アイネは躊躇いを見せながらも口を開いた。
「ヤトイはね。わたしのこと、いっぱい考えてくれてるよね。仕事で死なないようにって、本気で考えてくれてる。フーリとの見てて思ったの。わたしのあれも、本当は嫌だったのかなって。それでやっぱり、ヤトイは優しいなって思うの、わたしは。でもそれは……」
アイネは二度三度と口を開いては閉じを繰り返し、俯く。
両の掌が硬く握り締められるのが見えた。
そして顔を上げると、意を決したように言葉の続きを絞り出した。
「ヤトイの本当じゃ、ないよね」
よく、その答えに辿り着けたものだな。
内心の驚きを面に出さないよう、細心の注意を払う。
アイネの視線はすぐに俺から逸れた。どこか必死に、言葉を探すように続きを口にする。
「本当のヤトイは、きっと稽古の時みたいで、嘘つきで、神さまが見捨てるくらい、悪い子なの。わたしのことも、キースのことも実はどうでもよくって。さっきだって、わたしなんてどうでもいいって。話ししなくても、気になんてしてないんだ。でも、たぶんキースにはそんなヤトイが必要で。わたしは、なんだろ。よくわかんないよ……」
言っちゃった、と。かすかな呟きが耳に届いた。
頬には泣き笑いのような、それでいて感情の枯れた笑みが張り付いている。
必死だったのは、見放されることを恐れてのことではなかった。
見放されていることを知っているから。恐れていたのだ。
「アイネって、実は他人に気を許さないよね」
「キースがそう言ってたの?」
軽く肩をすくめる。
「わたし、キースに大きな借りがあるでしょ。だから、他の人には借りを作っちゃいけないって。ずっとそう思って過ごしてきたの」
どこか投げやりな語調で、まるで他人事のように語る。
なるほど。そうした日々によって、己の感情を俯瞰する下地ができていたのだろう。だから俺の言動を、自身の感情と切り離して見ることができた。
加えて、情報も与え過ぎた。
稽古の内容よりも、そこでした言動が、強く影響を与えたように見受けられる。
それに、思い出した。
俺が怖いかどうか聞いた時に見せた、あの怯え方。あれは俺に稽古を求めた時、俺の秘事を暴いた際に見せたものと同じだ。
あの時から、常にそういう視点を持って俺を見ていたとすれば。
「ヤトイには……。ヤトイとは、そうじゃないといいなって、思う」
気を許せるように、か。
裏があることを知って、なおそれを言うのだな。この子は。
知っていながら俺を頼みとした。自分とキースには俺が必要だと。
気づかれたこともそうだが、こちらはより驚きが深い。
こんな、得体の知れないものに気を許そうなどと。
だからこそ、誓いにこだわるのだろう。
俺との縁としたいのだ。
だが、そいつは無理な相談だ。
ここまで話してもらって悪いが、俺はそこまで人を信用できない。
感情の生き物だからこそ、信仰の合間を縫って、印なしである俺の傍まで来ることができたのだろう。
だがそれは、同じく感情ひとつで覆るのだ。
アイネは俺の演技に気づいたようだが、その中身がなんであるかまでは、辿り着けていない。
神に見捨てられた?
はは。俺をこの世界に落とした神なんぞ、こちらから願い下げだ。
根底にある価値観が違う。
気を許すなんて、あり得んよ。
あり得んのだ。
「……」
クソッ。ならなぜ言葉がすぐに出てこない。
言いくるめればいい。突き放せばいい。
他人を騙し利用し踏み台にし。そんなことにしか俺の頭は使えんのだ。物事を万事丸く収めるような、そんな上等な考えを出せる頭は持っちゃいない。
惜しんでいるのか。俺を必死になって理解しようとしているこの子供を。
馬鹿な。それこそ愚の骨頂というもの。
そいつは俺が最も避けねばならない、俺にとっての最大の禁忌だ。
そんなものを俺は望むのか。
くく。滑稽だな。
常々己を小心だの小者だのと評してきたが、真実これほどまでに弱いとは。
情にほだされるな。愚物め。
穴倉での汚辱と恥辱の日々を思い出せ。心を切り詰めろ。安寧に浸り満たされれば、己の先に待つのは死だ。
捨てろとは言わない。失くせば、それは俺ではないからな。死んだのとなんら変わらない。
人は暴力と感情の生き物だ。
そして、俺もまた人である。
汚濁に呑まれようと心だけは失ってはならない。汚濁に塗れ生き抜くためには、心に呑まれてはならない。
使えるものはすべて使う。そうして生き延びると俺は決めたのだ。
ならば己の心くらい、必要とあらば足蹴に出来ずしてどうする。
嘘を真実で飾るのだ。真実で嘘を語るのだ。
言いくるめる必要もない。突き放す必要もない。
ただ共感という鎖で、諦観の牢獄の奥底に繋ぎ止めてやればよい。
アイネが優先すべきもののために他者を己と隔てたように、俺も優先すべきもののために他者を己から隔てるのだ。
それが誇りある恩義であれ惨めな保身であれ、他者を己の目的のため蔑にするという意味では同じこと。
アイネは納得はするまい。けれど諦めはするだろう。
意地っ張りな子だ。
それは今ではないかもしれない。だが構いはしない。一歩を踏み出したが最後、あとは滑り落ちるだけなのだから。
「アイネ。僕のも同じようなものだよ。印なしだから、さ。そういう風にしないと、生きていけない。アイネなら、分からない?」
諭すように。乞うように。
俺はアイネに語りかけた。
「少し、だけ」
応えるアイネは、かすかに驚いているように見えた。
それもたちまち涙に塗り潰される。
けれど、それでもなぜか、アイネは微笑んでいた。
「……ヤトイ。ひとつだけわがまま言っていい?」
「内容次第かな」
「イジワル。あのね。これからする誓いを、言葉だけでいいから、信じるって言って欲しいの」
アイネもまた、心に折り合いをつけたらしい。
それでいい。
嘘なら言わないでくれた方がよかった。そう言って泣いたアイネは、もうここには居ないようだ。
「分かった」
深くゆっくりと、アイネは息を整える。
そして俺の手を取り、両手で包む。濃紺の瞳が俺を真正面から映す。
「魂の誇りに懸けて、わたし『メイベルハング』は、あなたの味方であり続けることを誓います」
俺は瞼を落とし嘆息した。
己の魂の名を示した、最上級の宣誓だった。
「真名を使うなんて、度し難い馬鹿だ。その誓い信じるよ、アイネ」
「いつか、それが本当になったら。わたしの真名を呼んで欲しいな」
覚えておくと伝えると、信じられなくてもいいから、忘れたらダメなんだからねと、妙に愉しげに返された。
わがままはひとつと言っていなかったかい。お嬢さん。
「えっと。どこまで話したっけ?」
「キースの苦労がすべて僕のせいって話」
そうして。
つい今しがたのやり取りなどなかったかのように、俺たちはキースとフーリの話へと戻っていった。




