35.不審なアイネとその欲するもの
キースが止めに入ったのは、フーリが更に16回殺された後だ。
泣き喚いて勝負にならなくなったのである。
なにやら言い聞かせているキースを残し、俺は林の水場に戻ってきた。
人がいないことを確認し、石畳の上で大の字になる。
気の滅入る作業だった。
作業だ。そうとでも思わなければやってられん。
始めのうちこそ実験の相手として利用していたのだが、早々に実験そのものを中断した。あれを使っていると、表情すらよく分かるのだ。
敵意を向けながら泣くな。クソガキめ。
アイネとは事情が違う。目的があるから心を鬼にできた。それが命を助けることになると知っていたから。
ふむ。
自分に鞭打ってまで手を貸すとはな。自覚している以上に、好ましく思っているのかもしれない。
それはキースも同じか。
俺に子供を嬲って楽しむような趣味はないのだ。
他の誰かの頼みで、こんなことに手を貸したりはしなかっただろう。
長々と溜息を吐く。
フーリか。確かに素質はある。
魔法で底上げした身体能力は、おそらく黒の家でも上位に入るだろう。
反応と耐久は優れている。学習能力も、次第にこちらの攻撃に対応するようになってきた辺り、まずまず。
技量は拙い。中途半端に型だけなぞろうとしているので、なおさら動きが読みやすい。
精神面は論外だな。猪娘に過ぎる。
力こそあるものの、根っこの部分は、年相応の子供であるように思われる。
自衛はできるだろうが、仕事を共にしたくはないな。
きっとどこかで暴走する。
キースは俺にあれを叩かせて、なにを狙っていたのだろうか。
居座って聞き耳でも立てておくべきだったか?
しかしなあ。痛めつけた子供にああも泣きじゃくられると、干からびた良心すらも痛もうよ。
情けない。ああ情けない。
人を殺めたわけでもあるまいに。たかが幼子を痛めつけたくらいで。
それも合意の下にである。心を乱す必要などどこにある。
小心な己を嗤っていると、アイネがやってきた。
「お疲れ?」
顔を覗き込むようにして問う。
あちらが落ち着いたので探しにきたのだろう。追いかけて、だろうか。俺の行先なんてたかが知れている。
「体はそんなに。キースとやる方が疲れる」
あれも、体と言うよりは頭の疲労が大きいのだが。
「目を覆うような惨い仕打ちだったね」
「アイネも嫌味を言うようになったんだ」
「2人もお手本が居るもの」
「悪い子になったなあ」
かすかに目を見開き、にへらとふやけた笑みを浮かべた。
いや、その反応はおかしくねえか。なんで嬉しそうなの。
わっかんねえなあ。元から読めない子ではあったけどさ。
「それで、どうしたの?」
上体を起こし、問う。
「えっと。フーリのこととか、知らないこと、いっぱいあるかなって。キースがなんであんなことさせたのかとか。だから……」
なんだろう。こちらの反応を探っている感じがある。
自分から言い出すのを躊躇っているようにも見えるな。当人の与り知らぬところで、あれやこれや話してしまうことに、後ろめたさを感じているのかもしれない。
根がいい子ちゃんのようだからな。背中くらい押してやるか。
「実は気になってたんだ。アイネの知ってること、僕に教えてほしい」
表情が緩んだ。どうやら正解だったらしい。
キースが不機嫌になるようなことがあったら、俺が聞き出したと、助け舟くらいは出そうかね。
そんなことにはならないと思うが。なんだかんだ言って、あいつアイネに甘いし。
「まずフーリのことから話すね。そっちの方が、分かりやすいと思うの。でも、わたしにはそう見えるだけだから、本当は違ってたりしても、許してくれる?」
そういう臆病さ嫌いじゃないよ。
俺は肯定を返す。
しかし、躊躇ってた割に話す内容はしっかり用意してたんだな。
用意周到なのはいいことだがね。
「フーリがヤトイのこと目の敵にしてるのってね、キースが苦労してるのが、すべてヤトイのせいだって思ってるからなの。フーリだけじゃないかな。キースの周りの子たちは、だいたい皆がそう思ってる。わたしも初めはそんな感じだったでしょう?」
「悪い虫が付いた、離れろって感じだったね」
「ごめんね?」
なんだろう。謝られているというより、懇願されている気がする。
許すもなにも、これといって悪感情は抱いていない。他の連中と比べれば、微笑ましくさえ思えた。
それに、なあ。
「謝る必要なんてないと思うよ。だって事実でしょ」
「わたしそうは思わないもん」
静かながら、強い声で一蹴された。
「キースは好きでヤトイと一緒にいるんだよ。大変だって知ってて。なら半分はキースのせいじゃないとおかしい。でもわたしは、それを皆には言えない。そう、だよね?」
まるで暗闇の中に放り出されているかのように、その声は不安と迷いに揺れていた。
たったいま、否定を口にした際に見せた強さは微塵も残っていない。
言葉の半ばで、なにかが大きく切り替わった。
どこか、救いを求めるように。
この子は、こちら側にいるという証を欲しているのか。
そんな確信を得た。
俺はあの時、アイネの魂の誇りに懸けた誓いに、肯定の言葉を返さなかった。
覚悟に対しては、稽古をつけるという形で示した。
けれどそれだけだ。ただ、共にあるというだけ。
謝罪を受け入れ、許すと言うのは容易い。
しかし、アイネが本当に求めている証は、その言葉ではないだろう。
俺は他人との間に幾重にも線を引いている。
当たり前だ。
俺は紛れもない異物。相容れないのだ、この世界の人間とは。
それはキースであっても変わらない。多少踏み越えたところに居るが、本質は同じ。
あいつもそれには気づいている。気づいていながら、見て見ぬ振りを通している。
聞かない、踏み込まない、語らない。
境界は曖昧だ。だがその曖昧さが、俺には気安くもあった。
見えるものを、見えるままに放っておく。それをアイネに望むのは、いささか無理が過ぎたようだ。
既に、引かれた線を強く意識してしまっている。
誓いを受け入れていなかったのも、拍車をかけたに違いない。どこまでが許されるのか、どこからが許されないのか。随分と悩ませたのだろう。
だがな。俺はそれをはっきりさせたくなかったのだよ。
それ故に、キースとの関係が気安い。
アイネが求めているものは、畢竟、そこにある。
誓いに応えて欲しい。認めて欲しい。信用して欲しい。
そしてそれらは、なぜかキースには向けられてはおらず、ただ俺にだけ向けられている。
境界を示すということは、俺という人間を定かにするのと同義だ。
そんな間抜けは真っ平御免だった。
だから、そう縋るような眼で俺を見るな。阿呆が。
「許すって言ったら、アイネは満足する?」
「ヤトイがそう言うなら満足する」
「してないよね。それって」
「するもん」
「あの誓いを信じるって言ったら?」
告げた瞬間、ぱっと太陽が咲いたみたいだった。けれどそれは本当にわずかな時間で消え失せ、すぐに影が取って代わった。
終いには大粒の涙がぽろぽろと零れ、頬を伝い落ちる。
「うそっ、なら。言わないで……くれた、ほうがっ。よかった」
憤りの欠片もない。悲嘆に沈んだ痛々しい声だった。




