34.フーリという名の面倒事
アイネが班で仕事をするようになり6日が過ぎたその日。
仕事の後の鍛錬の場に、キースはまだ小さな女の子を連れてやってきた。
童女と言うべきか。俺たちよりも年下だろう。7か8か。
キースの上衣の裾を掴み、その体の陰に隠れるようにして立っている。キースの肩越しに白に近い灰色の頭が揺れていた。
と言うと、可愛らしく聞こえるだろう。
だがこのガキは、可愛らしさなんぞとは無縁の生き物だ。
時折こちらを覗き見る赤紫の瞳は、まるで殺意をなみなみと湛えた虚のよう。
それに近くまでやってきて感じられるようになった、かすかな悪寒に似た感覚。
魔法の気配だ。
ただ少し、その感じ方に妙なところもある。
俺の体は、その童女の存在を意識に捕えたその時から、臨戦態勢に置かれていた。
これは間違いなく、面倒が起きる。
「フーリを家に連れて来るなんて、なにかあった?」
キースに声をかけたのはアイネだ。
班に所属するようになり、この時間の鍛錬にも出るようになった。朝のものは朝のもので、今も続けている。内容は多少変わってきたが。
「あったと言うか、あると言うか」
苦虫を噛み潰したという言葉は、まさにキースの今の顔のためにあるのだろう。
アイネはこのフーリという童女の事情に心当たりがあるようだが。
……家に連れて来る?
ここの子供じゃないのか。それでキースに縁のある。
1人だけ心当たりがあるな。キースの実家で預かっているという、解放持ちの問題児。
「ヤトイ、オレの情けない頼みを聞いて欲しい。この馬鹿と手合せしてやってくれねえか。もうな、心折れるくらい完膚なきまでに叩き潰してやって欲しい」
児童虐待の教唆か。情けないというより、情けがないな。それも当人を前に。
まあ、キースが考えもなくそんなことを頼んでくるわけがない。
ただなあ、俺には前科があるからなあ。それ知って頼まれてるんだとしたらなあ。
ちらりとアイネを窺う。
視線に気づいたのだろう。腰に手を当てて、心外だという顔をしている。
知ってた。魂の誇りに懸けて裏切らないって言ってたからな。なので俺も心外だに、困ってるんだよという思いを加えて顔に出す。
まあ困っていようと、断るわけがないのだが。
「やれと言うならやるけど、解放を使われたら叩き潰されるの僕だよ?」
「そうだな。けど使ったら、オレとこいつとの縁はそれまでだ」
キースが冷たく言い放ち、フーリの肩がびくりと震える。
その手が縋るようにキースの腕へと延び、俺に向けられていたのとは別人みたいな、怯えきった瞳がキースを見上げる。
「誓ったろ?」
「うん。誓った。守るよ、あたし。だから……」
「ならいい」
掴まれていない側の手をフーリの頭に置く。
その視線が落ちたのを確認して、俺に苦笑を向ける。
「いつもの鍛錬の感じでいいの?」
「オレを倒してみせろよ」
「また無茶を」
全力を出せと、キースは暗に言っているのだ。
冗談きついっす。事故って人殺しとか、勘弁してください。
やはり、このフーリという子供は、特大の面倒事だったようだ。
◇◇◇
手合せは屋内訓練場の、2階の小部屋で行うことになった。
林の水場はいつ邪魔が入るとも分からないからだ。
常の鍛錬であれば中断すればいいだけなのだが、今回は事情が異なる。
キースとアイネは、邪魔が入らぬよう窓の外を警戒している。
全力を出せと言われたのだから、当然の措置だ。
もっとも、全力を出すとは言っていないのだが。
俺とフーリはそれぞれの得物を手に、部屋の中央で向き合う。
フーリが手にしているのは、キースと同じ片手半剣。もちろん刃は潰してるものだ。対する俺は、アイネとの特訓で使っている先に布を巻いた棒だ。
ただ捻じ伏せるだけなら、武器本来の殺傷能力に意味はない。むしろ邪魔になる。
刃を潰そうと鉄の塊を振り回すのだ。
有効打を本来の勢いのまま叩き込めば、骨は砕ける。当たり所によっては死ぬだろう。だから、有効打を与えるときには加減が必要となる。
その点、棒はいい。わざわざ速度を殺さなくていいからな。
キースは全力を出せという意味で、オレを倒してみせろと言ったのだろうが、俺は全力を出さずに倒せるようにするのが性分だ。
圧倒的に有利な武器を手に、フーリと対峙し、俺は魔法の気配に対し抱いていた違和感がなんであるか悟った。
揺らぎの位置がおかしいのだ。
フーリのそれは、聖印のある胸ではなく、左眼にかかっている。
なにかあるのかもしれない、と思ったのもつかの間。胸元にも同様の揺らぎが生じる。
魔法を使用したらしい。
言葉を呟いた様子はなかった。となると、キースのあれは、魔法に意識を向けるための自己暗示のようなものなのかもしれない。
「2人ともいいか?」
キースの確認に、先にフーリが、続いて俺が肯定を示す。
と同時に体内の魔力の流れを弄り、主観時間を捻じ曲げる。
世界が遅慢した。
秘策である。
厳密に言えばまだ秘策とは言えない。だからこの場を、そうするための実用試験に使わせてもらうことにした。
ある部分の魔力の流れを書き換えると、意識とそれ以外との時間の流れが乖離する。
肉体が、食物すべてを魔力として喰らっていると気づいて以降。俺は己の体の内にある魔力の流れを使って、様々な実験をした。
取り返しのつかないことになっては困るので、本当に少しずつだが。
数少ない成果のひとつがこれだ。
脳の処理速度の向上、というわけでは、おそらくない。
体内を流れる魔力の感覚はそのままだった。けれど、肉体の反応は外界の時間の流れに即したもの。
魔力を含めた内的な俺という存在が、時間から切り離されるとでも言うべきか。
いざという時に役に立ちそうなので、暇を見つけては試している。
ただ、実戦で使ったことはない。キースが相手ではおそらく気取られるので、練習もできない。
今回の件は、いい機会だった。
しかし問題もあって、副作用がはっきりとしていない。
ここまでの実験から、魔力の消耗が激しいのは判明している。常に比べて明らかに腹が減るからな。
あとはこれを動かしている間は、体の制御の精確さが欠くくらいか。こちらは単なる処理能力の限界なので、副作用とは言えないが。
他にあるのか、それともないのか。
恐ろしくて多用はできない。
下手をすると、意識に合わせ老化が進行する、なんてこともあり得るのだ。
それでも実験はしておきたい。
老いる程度で生き延びられるなら、使うのに躊躇いはしないのだよ。
間延びした開始の掛け声。
重なるようにしてフーリが突っ込んできた。
魔法による身体強化で、5歩分の距離が僅か一足で詰められる。足が地を捉え、体側に隠すように構えられた剣が喉元目がけ迫る。
瞬きほどの間だろう。驚嘆すべき瞬発力。その速さはキースを軽く凌駕する。
キースだけではないな。大人たちですら、これほどの者は何人いるのか。
これで解放を使っていないのだから、才能、いや神の恩寵というのはふざけている。
だがまあ、速いだけだ。
その剣先には、キースのものに感じるような鋭さも、恐ろしさもない。
棒を立て、最小の動きで剣の腹を払う。
体格に似合わず剣が重い。が、即座に許容範囲内と判断。払う動きをそのままに、石突側を跳ね上げる。
フーリはその間合いを見切り、避けようと体を捻る。
間抜け。これを紙一重でかわそうなんてのは、相手の得物を理解していない証だ。
俺は石突を跳ね上げると同時に、柄を握る位置をずらしている。
当然、間合いは伸びる。
脇腹に一撃を食らい、くぐもった声を漏らす。しかし動き自体は止まらない。
フーリは脇を駆け抜けるように更に一歩を踏み込む。そして強引に体の向きを変え、流された剣をそのまま横殴りに叩き付けてきた。
狙いは首、ないし頭部。急所を狙う攻撃だというのに、そこに加減は見られない。
初手の時点で分かり切っていたこと。
どうもフーリは訓練中の事故として、俺を殺したいらしい。おそらくキースも分かっていて場を設けている。加えるなら、この程度で俺が殺されないというのも織り込み済みだ。当たり前だが。
身を屈めると共に柄の位置を再度調節し、剣を振り抜いたフーリに、逆手で突きを放つ。
脇を強かに打たれ体勢が崩れる。
即座に立て直そうと動くが、その余裕は与えない。
屈んだ状態から跳ねるようにして、後ろ蹴りをフーリの腹に叩き込む。
蹴りを想定していなかったのか、ロクな受身も取れぬまま後方へと吹き飛んだ。
体術が使えるようになったのかって?
型もなにもない、ただの喧嘩蹴りだ。
しかし、これに反応できないとは。
キースは剣バカだが、体術もそれなりだったはず。
疑問はひとまず後にして、間髪を置かず追撃に入る。
フーリは床に手を着き、蹲りそうになる痛みを堪え、立ち上がろうとしていた。
痛みへの耐性はそれなりか。まあ俺は叩き潰せと言われているからな。
躊躇いなく、未だ体重が乗っているその腕を払う。
体が前に傾ぐ。右の肩を掬うように蹴り上げる。
フーリの小柄な体が宙を舞い、仰向けに転がった。それなりに衝撃があったろうに、右手には剣が握られたままだ。
俺は腕を蹴りつけ武器を飛ばす。
足に延ばされた手を棒で払い退け、胸に足裏を落とす。そして上体を床に縫い止めると、憎悪に濡れ俺を睨む瞳を目がけて、真っ直ぐに石突を振り下ろした。
寸止めだがね。
フーリの浅く早い呼吸が、小部屋の張り詰めた空気に響く。
瞳は俺を映してはおらず、激情も薄れ、かすかに恐怖が覗いて見える。
とは言え、穴倉に放り込まれていたのだ。この程度で折れはすまい。
魔力の流れを整え、主観時間を元に戻す。
こいつには割と欠点が多くてな。弄ったままだと会話ができない。挙動も自然体ではなくなる。だから、こういう場面では切り替えなければならない。
まったく逆に、必要な場面だけピンポイントでずらすことができれば、そちらの方が便利なのだが。弄るのは手間がかかるのだ。
「これで、1回死んだ」
胸の上から足を外し、転がった剣を拾ってその傍らに放り投げる。
「剣を取って。続きをするよ。まあ別に、取らなくても続けるけど」
俺が構えると、フーリものろのろと起きあがる。
構えが終わるより先に、今度は俺から攻撃を仕掛けた。




