30.戦う者の在るべき心
「わたし、おかしいのかな」
稽古が済み着替えも終わった頃、アイネは不安そうに呟いた。
初めなんのことか分からなかったが、不安半分羞恥半分といった様子から、漏らした件であると気づく。
粗相も3度目。気にするのも無理からぬことか。
少し安心させてやった方がいいな。
「心配しなくていいよ。段階を踏んで、より怖がるやり方を試してるだけだから」
「試してる……」
「少し手を抜いたやつで油断させて、アイネの気が緩んだところに、キースとの稽古じゃ使えないようなとびきり怖いので畳み掛けてみたり」
「ヤトイって。わたしに恥ずかしい思いさせて、楽しんでる?」
顔を真っ赤にして問われる。
心外だな。小さな女の子を嬲って喜ぶような趣味はありません。
ただまあそうだな。どうやって恐怖を感じさせようか。苦痛を与えようか。思えばそんなことにばかりに、ここ数日頭を使っている。
もしかして、弁明の余地はなかったりするのだろうか。
勝手な思い込みで赤くなっているアイネを見るのも、割と楽しんでいる気がする。
稽古の最中は、そんな緩んだ心を残しておく余裕がないからな。
いやいやいや。
きちんと目的あって追い詰めてるんです。
「アイネには、キースが無残に死んで僕が魔物に食われている最中でも、どんなに悲しくて苦しくて痛くても、きちんと状況を把握して、その場から逃げ出して、生き残れるようになって欲しい」
アイネの息を呑む様子が見て取れる。
覚悟としての話だがね。
アイネの生存よりも、俺は自身の生存を優先する。もし言ったような状況になれば、アイネのその後など俺にはもはやどうでもいいこと。
そうした状況にならないために、俺やキースは多くの策を弄している。
これもそのひとつだ。
「今の訓練は、その前段階。どれほど怖い状況でも、冷静に命を守るため動けるように。不意打ちで片腕を持っていかれても、追撃に耐えられるように」
ふむ。いい機会だ。
今日の稽古では、多少なりとも恥らう余裕があったみたいだからな。
羞恥に意識がどれだけ引っ張られるか、調べておこう。
「それさえできるなら、漏らそうと構わない。漏らしてたって体は動くでしょ。いい経験だよ。実戦で初めて漏らして、意識がそっちにいっちゃったら、笑えないよ」
「わ、わざと言ってるでしょう、それ」
はい。わざと言っております。
真面目な話で薄れていた頬の朱が、再び色を取り戻している。
「恥ずかしそうにしてるアイネを見るのって、楽しいね」
「やっぱり楽しんでるんだっ」
「普段じゃ見れないから」
「み、見ないで」
自身の体を抱くようにしながら、顔をほんの少しだけ逸らす。
濃紺の瞳はこちらを向いたり、虚空を映したり、地に落ちたり。
薄らと涙に濡れているのが、年に似合わずなんとも……、悪い遊びだなコレは。
本来の目的を果たそう。
気取られぬようこっそりと、腰の後ろの短剣に手を伸ばす。
そして言葉を口にしながらゆっくりと距離を詰める。
「今日の稽古は、なんだか可愛かったね」
「思い出さないでよぅ」
羞恥のあまり俯いてしまう。手は今にも顔を覆ってしまいそうだ。
上手く整ったかね。
「アイネ。……右からいくよ」
短剣を引き抜き、両手で大きく構えて、横殴りに振る。
はっとした表情を見せたアイネは、手の届く範囲に得物がないことを悟ると、腕を差し上げその軌道に割り込ませた。
服に触れるか触れないかの位置で、刃を止める。
「まずまず、か」
俺の声で反射的に行動が誘発された感じだが、その後の反応は悪くない。
こちらの得物をしっかりと確認していたし、体は避けようとする動きが見えた。可能かどうかは別として、腕を犠牲に生き延びようという意識が働いたと考えられる。
「ま、まずまずじゃないーっ!」
短剣を鞘に戻しながら動きの評価していると、アイネが詰め寄ってきた。
「女の子にこんな恥ずかしい思いさせて、それでその態度はないでしょう。嘘でも言って良いことと、悪いことってある!」
おっと。本気で怒っていらっしゃる。
意識の切り替えもいい感じだな。しっかりと頭が回っている。怒りにまで辿り着けるなら上出来だ。
でもな、こう。出来ているからこそ、悪戯心が掻き立てられる。
「本気だったら?」
「ぇ……あ、うぅ」
効果は抜群だ。アイネは慌てて俺から距離を取った。
さっきのやり取りを思い返したのだろう。怒りの赤から恥じらいの赤に塗り替わっている。耳の先まで真っ赤だ。
可愛らしい子だな。俺が体どおりの年だったら、惚れてしまったかもしれんよ。
その時は、こんな意地の悪い遊びはしてないだろうがね。
「アイネ」
「なに?」
拗ねたような、どこか適当な声だった。
「キースを前に痴態を晒したからって、取り乱されると困る」
「それとこれとは違うよ」
「なら同じになるように、キースもここに呼ぶ?」
「……やだ」
むっとした表情で抗議された。
なんか少し反応に違和感があるな。まあ、アイネだからな。
ちなみにキースに関してはその辺り気にする必要はない。今も穴倉に出入りしてるからな、あいつ。
あそこの子供たちは、割と糞や小便で汚れている。
する場所もなければ、拭くものもないのだから仕方がない。
そんな場所にいたから、俺もアイネの粗相それ自体には、まるで気にするところがない。
俺は表情を改め、真面目な顔を作る。
「羞恥心は捨てられるなら捨てた方がいい。そんなもので動きを鈍らせて死ぬとかいう間抜けを、僕の前でしないでね。服が破れようが、漏らそうが、反吐まみれだろうが、内蔵こぼれてようが。生き残って初めて、赤面したり悩んだりできるんだから」
アイネは少し考え込んだ。
そうして、どこか怯えのようなものを漂わせながら、問いを口にした。
「ヤトイはどうなの?」
ああ。そういうことね。
詮索しても大丈夫かと、気にしているらしい。
境界の見極めができていないのだろう。その方が、こちらにとっては望ましいのではあるが。
いずれにせよ、これは隠すほどのことでもない。
至極簡単で、そして詰まらないことだ。
「恥も尊厳も、穴倉で全部捨てた」
吐き捨てる。
ついでに言うなら、倫理や道徳もまとめてあの糞溜めの中だ。
地獄の日々だったが、この世界で生きていく上で、あれほどの勉強の場もなかっただろう。
「ヤ、ヤトイぃ」
アイネが体当たりするみたいに飛び込んできた。避けようとして背後の洗い場に気づき、慌てて抱き留める。
おい、俺が抱えなかったら頭から洗い場に突っ込んでいたぞ。
「落ちるよ」
「ごべんねぇ」
せっかく流したのに、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
同情でもさせたかね。
にしても、泣くほどのことではなかろうに。
「うぅ、痛い」
そらなあ。全身打ち身みたいな状態で抱き着けばそうなるわ。
恥らったり怒ったり泣いたり。感情の起伏が激しくなった気がする。
……心なしか幼児退行してねえか。やり過ぎたかもしれない。
でもな。
短期間で意識を荒事向きに矯正するには、これくらいやらんと足りんだろう。




