28.覚悟への応え
暁の空に既に星々の煌めきはなく、天上に君臨する銀と赤の2つの月が、薄く輝く天紋に縁どられ、静かに大地を睥睨している。
この時間は季節の移り変わりを強く意識する。
木々の合間を抜けた風が粗末な服を撫でると、少し肌寒い。
今の仕事ぶりだと、冬用の服も満足に揃えられない、なんてことも有り得るのだろうか。消耗品の類を、もう少し切り詰めた方がよいかもしれない。
「早いよ、ヤトイ」
脳内で算盤を弾いていると、林道を通ってアイネがやってきた。
服は仕事着だろうか。ただいつも見るものと比べ、かなり修繕の跡が見える。廃棄される一歩手前といった有様。
汚れることを想定してのことだろう。よい覚悟だ。
「普段の鍛錬もしてたから」
仕事で基準となる魔力操作の段階を引き上げたので、そちらの鍛錬はやめた。
今は上をどうやって安定させるか、より上を目指せないかの実験中。進捗はイマイチ。実用レベルに達するには、かなり時間がかかりそうだ。
「えっと。時間作ってくれてありがと」
「それはいいよ」
外野の眼を気にすると、必然この時間帯になる。まだ寝ている者の多い早朝。訓練場ではなく、この場所を選んだのにしてもそうだ。
「その荷物は?」
アイネが肩に掛けた鞄を示す。口からは何かの柄が飛び出している。
「稽古つけてもらった後、そのままじゃ戻れないじゃない。着替えたり、体拭いたり……これ?」
そうではないのですよお嬢さん。心の声が届いたわけではないだろうが、鞄をおろしその何かを取り出した。
「たまに、他の子との鍛錬で使ってるの」
袋から出てきたのは鞘に納められた剣だった。
剣かあ、剣なあ。それも片手剣だわな。
別に片手剣が悪いわけではない。
地下では片手に松明やら荷物やらを持ったりするので、片手で扱えるというのは割と重要だ。
むしろ両手でしか扱えない物の方が、いざと言う時に困る。
しかし剣はなあ。携行性は優れているんだが。
求められる役回りからすると、あまり。
アイネに魔物を倒すことは求めていない。援護に向かうまで生き延びるのが最優先。というかもう、それだけできればいい。
「どうして剣を選んだの?」
「初めて稽古をつけてくれたのが、キースだったのよ」
それだけで理解した。あいつ剣バカだからな。それしか教えられないものな。
しかし思えば、クスーラたちも剣だった。7人中5人が剣。訓練場に置いてある武器も、やはり剣が多かった。
でも剣はいかんだろ。
以前は傭兵を出してたんだろ。剣に傾倒してたら、いざ戦争って時に困るぞ。
そんな機会がないのは知っているが。
「鍛錬してる他の子ってのも」
「キースに憧れてる子は多いから。あと、上の人たちって、皆剣を提げてるでしょう」
剣はステータスなのか。戦闘民族が聞いて呆れるわ。
どうしたものかと悩んだが、軽く準備運動をさせてから、他の子との鍛錬とやらを見せてもらった。
アイネの動きはまあ、なんだ。予想通りしか言いようがない。
キースが年の割におかしいのであるが、アイネはクスーラたちの誰にも及ばない。言ってしまえば素人に毛が生えた程度。穴倉から出た直後の俺にも劣る。
型はそれなりにできている。キースに教わったことを、必死で反復したのだろう。
しかしそんなもの、実戦ではさして役に立たない。
「アイネ。暫くキースから教わったこと、忘れてもらうことになるけど、いい?」
「うん。必要なら」
思ったよりこだわりないのな。もう少し渋るかと思った。
この子なんか考えが読み切れないんだよな。精進が足りない。
「だってわたし、ヤトイに教わりに来てるのよ?」
そいつは嬉しいねえ。涙が出そうだ。
実際に稽古を始めたら、もうそんなことは言ってもらえなくなるのだろうと思うと。
罵声を浴びせられる覚悟はしておきますよ。
アイネが快諾してくれたので、遠慮なく用意していた棒を手渡す。
長さ1.5メートルほどの木の棒である。芯に鉄が入っていて、金具で補強してある。実際、これを木の棒と呼んでいいのかは、正直悩むところだ。
「言っておくけど、まっとうな稽古じゃないよ。今まで、誰かに教えたことなんて、ないから」
アイネは神妙に頷いている。
「教えるのは、生き残るための心の在り方」
飾らず言えば、痛みと恐怖に耐える訓練だ。
「やることは簡単。僕の攻撃を耐え続けること。反撃したかったら、してもいいけど。そんな余裕はないと思う」
俺にを映す濃紺に、疑いの陰など欠片も見えない。
堪らんねえ、こいつは。逃げ出したくなる。
ただな、俺も決めたからな。最短で、下で通用するように意識を作り直す。その考えを改める気はない。
途中で心が折れてしまうかもしれないが、その時はその時である。時間をかけて失敗するのに比べれば、些細な問題だ。
「キースとやる地稽古と、基本的なルールは同じ。加減はするけど、首から上と急所以外で寸止めはしない。痛みに耐えるのも訓練。どこを攻撃するかは伝えるけど、割と本気で打ち込むから」
俺が使うのも棒である。先から4分の1くらいまで、厚く布を巻いてある。
まあこんなんでも叩かれれば痛い。人間離れした速度で打ち込むので、それはもう痛い。
加減はすると言ったが、それでも当たり方が悪ければヒビも入るし折れもする。
とは言え、黒の民ならそれほど気にすることでもなかろう。
「泣いたくらいじゃ稽古は中断しないよ。本当に無理だと思ったら、止めたいと言うこと」
「む。言わないわ。絶対に言ってあげない」
なんだか不機嫌そうだ。怒っていらっしゃる?
また馬鹿にされたと思ったかね。
「そう? まあ、頑張って」
早々に根を上げられても困る。多少意地を張ってくれる方が都合がいい。
それでもまあ、今日のところはすぐに仕舞いだろう。
そんな風に俺は思っていた。




