24.キースの野望とヤトイの決断
2日、すなわち連日仕事を行うことによって、俺たちは最低限の仕事を、ある程度の安全を確保した上で果たすことができるようになった。
最低限の仕事、である。
これまでのように、金になる魔物の回収をしている余裕はまずない。
よほどでなければ、2人で狩れる範囲の魔物を討伐し、香を取り換えるだけで仕事は終えてしまう。
仕事を2日にした最大の目的は、仕事の時間を確保するためではない。
難敵を避けて仕事をすることに正当性を得る。それが唯一にして絶対の目的であった。
1日で仕事をする場合、すべての香を取り換えねば仕事が終わらない。対して2日であれば、残りは翌日の分として流すことができるようになる。
命を危険に晒す機会そのものをなくす。
たった2人の俺たちが、水路の掃除をしながら生き永らえるには、これ以外に手はなかった。
黙っていれば分からないと言うかもしれないが、俺はそうは思わない。
俺たち、というよりは俺の、か。足を引っ張りたい奴は多い。
仕事がない日に俺たちの担当区域を調べ、その仕事ぶりに文句を付けようとする輩くらい、居てもおかしくはないのだ。
2人で仕事をするに当たり、俺は魔力操作の基準をごく短期間で引き上げていた。
加減をしていては命に関わるという危機感があったからだ。
以前とは状況が違う。今はもう、盾にできるような相手はいない。
後押しするような出来事もあった。
ヘズコウに相談を持ちかけるよりも前になるか。キースのフォローのため、平時から大きく逸脱した動きをしてしまったことがあった。
なにをどう追及されるかと焦ったものだが、結局キースは俺になにかを問うということをしなかった。
見て見ぬ振りをしたのだ。
だから俺も、互いの命を永らえることのできる道を選んだ。
平時の動きがキースを上回るようになった今も、キースは俺の運動能力について踏み込もうとはしない。
ただ、短くなった鍛錬の時間では、それに準じた力を出さないと、不機嫌になるようにはなった。
運動能力で勝っている俺だが、キースとの地稽古では殆ど勝つことができない。
負けることは日に日に減ってきている。なので俺は、それで良しとしていた。
◇◇◇
仕事後の鍛錬を終えて、俺たちはいつものように水場で汗を流していた。
時間を見て掃除している上に、ここしばらくは毎日水を流していることもあって、洗い場の水は底が見えるほど澄んでいる。
そのまま掬って使えるので、大分勝手がいい。
この世界にやってきてから、4か月か5か月か、それくらいが過ぎた。
季節はすっかり秋めいてきている。
秋、まあ秋でいいだろう。この世界の季節は5つの月に因んでいるのだが、年間を通して見れば春夏秋冬なので、分かりやすくこちらを使う。
暦はこれがまたややこしいのだが、1年15月の1月25日が基本となっている。
あくまで基本。白の教派が定めているらしいのだが、年ごとに変動が大きいので、世間ではあまり厳密な日付管理はされていない。何月のどの辺り、とかそんなんだ。
それでいて農業なんかに支障が出ないのは、神サマがいる世界ゆえということなのだろうか。
そんなこんなで秋である。
これから気温が下がっていくことを思うと、水浴びについてはなにか考えておいた方がいいかもしれない。館から遠いからな、ここ。
これまでは気温が高かったこともあって、仕事して頭から水を被って汚れと臭いを落として、鍛錬して汗を流してついでに服を洗って、そのまま服を着て部屋に戻るという生活をしていた。
いくら黒の民の体が頑丈とはいえ、体調を崩さないわけではない。
陽も一時期に比べると、暗くなるのが早くなったように思う。
日没が早くなったわけではない。
陽の出ている時間は年間を通して変わらない。陽の光そのものが弱くなるのである。
そして黄昏時が長くなる。
ああ、語ったことがなかったが、この世界の黄昏時はすごいぞ。茜に染まった天上に、複雑怪奇な魔法陣が浮かび上がるのだ。日によってその見え方は様々だが。
天紋と呼ぶらしい。
青の月の徒は、日中でもこれが見えると聞く。
今日も雲間からは、薄く輝く天紋が姿を覗かせている。
「ヤトイの動きはさ、速いけどそれだけなんだよ」
珍しく、キースが地稽古での俺の動きについて口にした。
「素直と言うか単純と言うか。オレの際どい打ち込みにも反応する癖に、その後の反撃がお粗末すぎ」
知っている。だから負けないのに勝てない。
俺の鍛錬というのは、体をいかにして思うように動かすか、それに終始している。
精確に、そして速く。意識的な処理を、どれだけ無意識に寄せられるか。魔力操作の慣熟こそが、俺にとっての戦いの訓練に他ならない。
技術なんてものは無きに等しかった。
相手の動きに反応し、それ以上の速さで防ぎ、攻める。それだけが俺の戦い方で、そしてそれだけで事足りた。
魔物は、キースのように何手も先のことを考えて攻撃したりしない。
「キースには勝てないけど、魔物が相手ならキースにも負けないから、それでいい」
俺にとって重要なのは、キースに勝つことではない。
魔物を相手にしていかに生き残るか。それだけが重要なのだ。
「よくないんだよな。オレとしては、それじゃあ」
「もしかして、キースの鍛錬になってない?」
「いや。守りは堅いし、攻めも速さだけで言えばかなりのものだから、魔物相手の鍛錬としちゃあ身になってる」
妙な言い回しだ。
それではまるで、人相手の鍛錬にならないと言われているみたいだ。
「対人戦闘の鍛錬がしたいの?」
俺の言葉に、キースは考え込んでしまった。俯いたり、天を仰いだり。かなり重症だ。
そんなに悩むような問いだっただろうか?
暫くして大きく深呼吸をすると、なにか諦めたかのように口を開いた。
「お前に、人との戦い方を覚えて欲しいんだよ」
なぜに。そんな機会なんてなかろう。
「オレさ、親父から外の世界の話を聞いて育ったんだよ。もうずっとガキの頃から。外の世界を夢見てた。けどこの街は、いや国は、戦争をもう5年も前に終えちまった。傭兵として街から外に出る機会は訪れない」
そいつはどうかね。人間という生き物は、想像以上に愚かだぞ。
成人まであと5年はある。
戦に巻き込まれないと断言するのは、いささか早計ではないかな。
周辺国の情勢どころか国名すら知らない俺に、なにか言えるものではないが。
まあこの街に傭兵を育てる気がないのは、見ていて察している。
それだけ国際情勢が安定しているということなのだろう。上が盲でなければ、だが。
「オレはいつかこの街を抜け出すって決めてる」
キースが口にしたのは、黒の民としては、仲間を見捨てる不名誉な選択であった。
逃げ出すことができようと逃げ出さないのは、黒の民の名と魂の誇りのため。子供の記録には確かそうあったはずだ。
後ろ指を指され、侮蔑と嘲弄に晒されながら生きる羽目になるかもしれない。
それを捻じ曲げて街を出るというのは、並々ならぬ覚悟だ。
まだ仮成人すら迎えない子供が。いや、だからこそ決められたのかもしれない。未だ多くには縛られていない今だからこそ。
印なしの俺のことも、子供ゆえの気の迷いなのだろう。
いずれ世に揉まれ、俺を疎ましく思う日が来るかもしれない。
「今はまだひとりで生きていけねえし、親父の後のことも考えなきゃならねえから無理だ。でも」
縛られていない、ね。嫌なことを思い出してしまった。
俺だけが神に縛られていない。あの時、ラクハサは呪いを囁いて去った。
できることなら、その言葉には異を唱えたいものだ。俺は、十分すぎるほどに神とやらに縛られている。
本当に、嫌になるほどに。
「必ずこの街を出る。そしてその時は。オレはお前も連れて行くぞ、ヤトイ」
陰鬱な胸の内を貫くように、前向きで力強い声が鼓膜を叩いた。
ついてこないかでもなく。ついてこいでもなく。連れて行く、とはね。
これが成人した男女だったら、まるで駆け落ちの告白だ。
まったくどうしてこの子供は、こんな俺を傍に置きたがるのか。
さて俺はこれにどう返すべきだろう。
対人戦闘を想定する理由はわかった。黒の民にとって、生きられる場所は戦場の他にないからだ。
戦場で相手にするのは魔物ではなく人間。ならば生き残るために人と戦う術を身に着けなければお話にならない。
俺としてもこの街を出ることに異論はない。
逆に、出ないという選択はないとすら考えている。
ただな、俺が想定していたのは自分1人だけでのことだ。先々で風向きが悪くなれば、すぐに逃げ出すつもりでいるからな。
下らないしがらみはない方が、都合がいい。
キースが、その後ろ盾のヘズコウがと言ってもいいかもしれないが、俺を庇護下に置けているのは、ここが強制居住地区だからである。
街の外では、黒の民であるキースになんの力もない。
俺にとって利はない。あるとすれば、単純な暴力としての価値。
しかしそれは、キースにしても同じはず。俺はただの厄介者でしかないのだから。
他方で当人が気づいていない、より根本的な問題に目を向ければ、キースにとって俺は無価値と言うわけではない。
キースは外の世界を伝聞で知っているようだが、どうにもそれは夢物語に近い。現実を理解しているとはとても言えない。
反面、俺は多少なりとも外の現実を身をもって知っている。いや、それも正確ではないか。俺の頼みは頭の中にある子供の記録だからな。
キースは子供の割にしっかりとしている。しかし黒の民の中で育ったこいつが、見知らぬ土地で上手くやれるかと言うと怪しい。
いい奴、か。
行けるところまでは付き合ってやってもいい。そんな思考が脳裏を過り、嗤ってしまいそうになる。
子供のお守なんぞは御免なんだがな。
しかし同行するとなると、立場ははっきりさせておかなければならない。
きちんと、上の立場として俺を管理してもらわなければならないのだ。俺は印なしだからな。
「僕が行かないって言ったらどうするの」
「え、一緒に来てくれないのか?」
なぜそこで悲しそうな顔をする。
想定と反応が違う。理性的な反論があるものと思ったのだが。
溜息を吐いて首を振り、同じ問いを繰り返す。
「僕が行かないって言ったらどうするの」
「頼み込む?」「減点」「説得する。ヤトイがこの街に残ったって「減点」
俺の問いの意味を理解してきたのだろう。
次の答えは、即座に飛び出しては来なかった。
少しだけ時間を置き、再び問う。
「僕が行かないって言ったらどうするの」
「ヤトイの言い分なんて聞かない。オレが連れて行くって決めたから、連れて行く」
命令するとは言えないのか。対等であることに拘りがあるようだ。
まあ、合格でいいだろう。
「僕はやっぱり、キースの隣には立てないよ。印なしだから」
ただな、お前がどう思っていようと、俺たちは対等ではいられんのだよ。
「キースの後ろに控えているのが、関の山。必要になったら、その時はキースの前に出て、戦う」
「そう扱わないと、お前はオレの傍にもいてくれないんだな」
その声には少し寂しさのようなものが感じられた。
馬鹿者が。悪態が口を衝いて出そうになる。
キース。お前は俺なんぞに多くを求め過ぎだ。そんなことでは本当に、お前に付き合ってやることなんてできんぞ。
だから、続く声には安堵した。
「オレはいずれ街を出る。そのためには準備が必要だ。手を貸せ、ヤトイ」
穴倉で初めて目にした時のような不遜な気配が、そこには乗せられていた。
だから俺は未だ燻る躊躇いを踏み潰し、大きく頷く。
「わかった。それじゃあ、キース。どこから始めようか」
声は、林の中に静かに溶けていった




