22.死ぬ者と生きる者、異物はその本性を覗かせる
地下でヘズコウを見つけた俺たちは、その手が空くのを待って、水路の状況を聞いた。
クスーラは骨折等で重傷。
ネリアルはまだ息があるものの、手の施しようがない状態らしい。
ヤッサ、カラパチの2人は、クスーラが辿り着いた時にはもう手遅れ。
ケビンは足止めに残り、スロイルは戻る途中で力尽きた。
ハルボはクスーラとネリアルを逃がすため囮になり、戻ってはいない。
全滅と言っていい有様だった。
だがヘズコウは、魔獣が入り込んだ時にはよくあることだと、至って軽くそれを流した。
クスーラは魔獣のより詳細な情報を持ち帰っていた。
確認された魔獣はムシュフシュ型と呼ばれるものだった。
呪毒の魔法を扱う、全身を厚い体毛に覆われた、爬虫類に似た化け物だ。
大きさは個体によってかなり差がある。
地下に現れたものは獅子に近い体躯の個体。
肉体的な強さで言えば魔獣の中では下位に位置づけられるが、危険度は中の下とされている。
垂れ流されている呪毒の霧が最大の脅威で、魔法などの備えが不十分だと、村はおろか町すらも容易く滅ぼされる。
もっとも、消魔結界を持つ黒の民にとって、魔法的な毒霧なんてないも同然だった。
ではこの魔獣は脅威ではないかというと、そうとも言い切れない。
呪毒は黒の民にとって害となる、数少ない魔法なのである。
体内に入り込んだ呪毒は、消魔結界の作用を受けない。手を打つのが遅れれば、ネリアルのように内側から肉体を破壊され、やがて死に至るだろう。
逆を言えば、対策を用意できれば、そこまでの脅威ではなくなる。
回復や解呪の魔法が使えれば、死ぬ危険は格段に低くなる。
極論、呪毒を体内に流し込まれなければ、それすら必要ない。
偵察隊は、討伐隊にその役割を替え派遣されることになった。
緊急呼集がかけられ、黒の家に戻された者も含め戦える者の多くが、地下やその入り口周辺の警戒に当たる。
非戦闘員は屋内への退避が徹底され、街は戒厳令下の緊張に包まれた。
◇◇◇
翌朝には、多少の重軽傷者を出しながらも、魔獣の討伐は完了した。
魔獣の骸は回収され、そのまま都市に引き渡されたらしい。
なんでもこれを袖の下に、次の黒の民の買い入れを手配してもらうんだとか。
世知辛いなここは。
あまりこの手の話には首を突っ込みたくないのだが、さらりと口にするくらいだから、公然の秘密なのだろう。
6人死んで、いったい何人が入ってくるのかね。
結局、ネリアルは一晩ともたず息を引き取った。
伝聞だが。
クスーラとはまだ会っていない。
あの後も遠目に見ることはあった。けれど面と向かい合ったのは、水路で別れた時が最後だ。
会ったところでどうする、という話でもある。
そもそも、俺はクスーラと言葉を交わしたことなど、数えるほどしかない。
キースを介して考えを伝えることはあるが、意思の疎通と呼べるものではなかった。
ヘズコウはどう謝るか考えておけと言っていたが……。
謝罪?
笑わせる。
互いに偽りと知れている謝罪など、嘲弄となんの違いがある。
では慰めるか?
それこそどの口が言う。
俺たちはあの時、保身のためにクスーラとその仲間を見捨てた。
見捨てて、こうして五体満足に生きている。
俺は今、安堵しているのだ。
見捨てたことに。見捨てることができた自分に。
だから、俺にクスーラと会う理由はない。
このまま勝手に潰れてくれることを望んでさえいる。
そりゃあそうだろう。
あれは、間違いなく俺を恨んでいる。
会えば心の内に渦巻く激情の、その矛先を向けるべき相手に気づくだろう。
相手は人間なのだ。
信仰がこの世界でどれほど強固に人の心を縛っているのかは知らない。
だが、情念は往々にして人を狂わせる。
俺はクスーラとなんぞ会いたくなかった。
だというのに。
キースに付き添う形で、俺は今、クスーラの部屋を訪ねている。
◇◇◇
「よく、ボクのところに顔を出せたね」
怨嗟の声が、クスーラの居る2人部屋に響いた。
寝台の上で半身を起こしていたクスーラは、面を俯けたまま。俺たちを見ようとはしない。
「3人で引き返していれば、ネリアルは助かったんだ。ケビンもハルボも、スロイルだってそうだ。ハルボはひとり囮になる必要なんてなかった。スロイルが危ない時に助けることができた。ケビンは、ケビンは……」
両の手が上掛けを、引き千切らんとばかりに強く握っている。
「そもそも、そうだ。そもそもあの時、おまえがはっきりと言っていればこうはならなかった」
跳ねるように面を上げ、その憎悪に滾った瞳が俺を映す。
「本当は気づいていたんだろ、初めから。聞いたよ、ボクらが戻るまでのことは。雑魚がいなくなっていたんだって? 小型は狩ったけど、それはいつものやつじゃなかった。言われてすぐ気づいたよ。なのに妙だって? 理由が分からないって? ふざけるな!」
怒声は、これまで耳にしたクスーラのどの声にも増して大きく、その憤りの強さを表していた。
「こんな言われればすぐ分かることに、気づいてなかったわけあるか! ボクらが気に食わなかったんだろ。だから言わなかった。自分たちだけ引き返すと決めたのもおかしかった。印なしの『妙だから』なんて不確かな言葉で、賢いキースが引き返すことを決めるか? はは、やっぱりそうだ。2人して気づいていたんだろ。ボクを巻き込んでケビンを惑わせて。どうだ、騙されたボクたちは滑稽だったか? 奥に進んでいくケビンたちを、心の中では嘲笑っていたんだろ!」
そう捲し立てるクスーラの頬は、醜く笑みに引き攣っている。
「ぜんぶ、おまえたちが悪いんだ。おまえたちさえ居なければ。なのになんで、おまえたちは生きてるんだよ。ケビン、ネリアル。ごめん、ごめん。ボクがもっと早くこいつを追い出していれば、こんなことには」
ここまで身勝手な思い込みを、さも真実であるかのように語られると、失笑すらも浮かばなくなる。
俺は内心呆れ果て、冷めた目でこの茶番を眺めていた。
けれどそんな俺とは違い、思い悩んでいる人物が隣にいる。
ネリアルを前にした時と同じように、口元は強く引き結ばれ、手は鞘にかかっていないものの、硬く拳を形作っている。
キースは彼らの死に少なからず責任を感じているらしい。
あまり、よくない傾向だ。折れてもらっては困る。
冷酷に過ぎるのは問題だが、あそこは非情になって然るべき場面だった。
目立つことはしたくないのだが、仕方がない。
俺はまだキースに礼も言えていない。借りくらいは返しておくべきだろう。
「そうだよ。こんなことにはならなかった。僕たちがいなかったら、クスーラさんも死んでる。他の皆と一緒に」
クスーラの落ちていた視線がゆっくりと上がる。
キースも驚きを含んだ瞳で俺を視ている。
「キース。キースは少し気がよすぎるよ。僕らは悪くない」
俺はその瞳を見返す。
視界の端で、クスーラがなにか言いたげな素振りを見せた。
面倒だなと思いつつ、腰の後ろに差した短剣の柄をそっと確かめる。そして一足でクスーラとの距離を詰め、その眼前に刃を突きつけた。
邪魔をしないでください。それだけを告げてキースへと向き直る。
「あの時、クスーラさんと皆を助けに行っていたら、僕たちはどちらか生き残れたかな。クスーラさんはネリアルやケビン、ハルボ、スロイルが助かったって言ってるけど。その時、僕たちはどうなっていると思う」
まったく。都合のいい妄想だ。
だから俺はこいつに、欠片ほどの哀れみも抱かないのだ。
「キース。少なくとも僕は、この場にはいないよ」
それがすべてだ。
俺は俺の死を望む連中に対し、情けなんて上等なものを抱く気は毛頭ない。
「もし僕が行っていたら、皆は僕を囮として使おうとする。キース以外の誰も反対しない。クスーラさんの考える生き残りの中には、僕たちは入っていないでしょう?」
ああ、答えなくていいです。剣先でクスーラの動きを制する。
どうせ聞いたところで得るものなんてありはしない。
それに怨嗟は、最初に十分吐かせてやったからな。
「僕はね、キース。感謝してるんだよ。僕たちだけで引き返す、それを決めてくれたから、僕は生きてる。あの場に残っていたら、どうせ僕は皆に殺されてた」
理解できるように、納得できるように、ゆっくりと言葉を重ねる。
「キースのお陰で、僕は生きているんだ」
まあ、こんなところだろう。
未だ硬く、浮かない表情で俯いてしまったが、時間が解決するはずだ。
握り締められていた手は、今はゆっくりと鞘を撫でている。
残るは後始末か。
情けをかける気はないが、引導くらいは渡してやろう。
「クスーラさん、残念だったね」
そう言ってクスーラへと視線をやり、剣は鞘に戻す。
見る間にその顔が怒気に満ちていくのが分かる。
「本当に、残念だったね。皆と一緒に死ねなくて」
だが続く言葉で、その怒気は霧散し、愕然とした表情が取って代わる。
背後でキースが息を呑んでいる気配が伝わる。
想定された反応だ。だがそうでなくては困る。
「クスーラさんだけ生き延びられたんだから、長生きした方がいいよ。ああでも、今ならまだ黒の月の導きで」
――皆と一緒の場所に生まれ変われるのかな――
「まあ、生き残ったクスーラさんには、皆の生まれ変わりなんて関係ないか。それじゃあキース、あんまり長居してもクスーラさんに悪いから、帰ろう」
放心するクスーラに背を向ける。
キースがなにかを口にするより早く、その腕を掴み部屋を飛び出した。
あの妄想に凝り固まった精神状態なら、これで片が付くだろう。
なんせあれにとっては救いだ。多少の理性が残っていても、感情がそれを蹴散らしてくれるに違いない。
まったく趣味の悪いやり口だ。ラクハサのことを悪く言えないではないか。
引っ張られるようにして歩いていたキースが、自分で足を動かし始めた。
「文句は聞かないから」
「ヤトイ。お前って怖い奴だったんだな。でも……、いい奴だ」
――いい奴だ。
それは予想だにしていなかった言葉で、まるで頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。
思わず足が止まりそうになる。
俺は保身のためにやっただけである。
今の俺の身の上では、キースなしには立ち行かない。
借りを返したかったというのはある。が、それだけだ。
利用しているのだ。俺は、キースを。
それをいい奴とは。
いい奴というのはな、キース。お前みたいな奴のことを言うのだぞ。
ああ、そうか。俺は後ろめたいのだな。こいつを騙していることが。
笑えるな。こいつは確かに、いい奴などと言われるわけだ。
「文句は聞かないって言っただろ」
「くく。誰も文句は言ってねえじゃねえか」
俺が投じた一石を知る者は僅かだ。
けれどそれによって、俺を取り巻く日常は、少しずつ変わり始めようとしていた。
◇◇◇
翌日、クスーラが単身で地下にもぐり自殺したと、ヘズコウから伝えられた。
見張りはどうしていたのかと尋ねたところ、魔獣が出た後は忘れ物を取りに行く人間が多いんだと、おもしろくもなさそうに語られた。
使えない人間は切り捨てる。
それは穴倉から出て黒の家に移ったところで変わらぬ、この街の真理であるようだ。




