20.ありふれた決裂
ケビンたちと別れ、3号で香の取り換えを行っているときだった。
ふと、抱いていた胸騒ぎ、違和感の正体らしきものに思い当たった。
傍らで周囲を警戒するキースに、確認のため問いかける。
「キース、今日狩った魔物の中に、雑魚っていた?」
「ん、小型は何匹か狩ってたはずだぞ」
そう。小型は狩っている。全体としては常より若干少ない程度。中型とも遭遇している。
だからすぐにはそれに気づかなかった。
狩った小型は、いずれもこの辺りでは珍しい個体だったはずだ。金になるものもちらほらいた。
それもあって惑わされた。
「……なんでだ?」
「なんでって、1匹も見てない気が」
「そうじゃねえ」
言葉を遮ったキースの声は硬い。
「だから、なんでいないんだ?」
それがわかれば苦労しないのだが。
俺は暫し黙考する。地球での話なら、似たようなのはあったが。
「災いの前触れに虫や小さな動物が姿を消す、って話なら――」
「それだ」
食い気味に、それでいて呻くようだった。
キースの面には、驚愕と焦燥がありありと浮かんでいた。
「なにか起きるの?」
「いや、たぶんもう来てる」
来てる? 起きるのではなく?
待てよ。災い、水路、魔物。
地下水路の掃除で最も警戒しなければならないモノはなにか。
最も死者が出るのはどんな時か。
仕事を始めたばかりの頃、キースから散々聞かされた。
魔法種を軽く凌駕する膨大な魔力を保有し、その魔法によって辺りに破壊と殺戮を振りまく、死出の水先案内人。
災厄の運び手――魔獣。
「まさか」
潜んでいるというのか。この水路のどこかに。
向き合うキースは蒼白だった。俺の顔色も似たようなものだろう。
全身から、冷汗が噴き出していた。
「2人とも、ちょっと来てくれ」
緊張で呼吸すら荒い俺たちを、周辺警戒をしていたクスーラが、先のキースに劣らぬ硬い声で呼んだ。
3号から伸びる5号水路の1本。すでに香の取り換えを終えた水路を前に、クスーラは立っていた。
5号水路へ松明をかざし、茫然とした顔で固まっている。
辺りを警戒しつつ、近づいてその視線の先へと目を向ける。
「……ヘヒヤルポト」
その呟きは俺のものかキースのものか。
炎に赤く照らされたそこに、予想だにしない魔物の姿があった。
ヘヒヤルポト。
針金のような体毛に全身を覆われた、カバをひと回り大きくしたような造形の、水棲爬虫類の魔物である。
大型寄りの中型で、水路では頂点に近い位置にいる捕食者。
以前1度だけ3号で遭遇し狩ったことがあるが、9人がかりでやっとだった。
2号より大きな水路を活動域としていて、4号以下の水路にはまず入ってこない。
そんな化け物が、5号の水路に半身を浸し横たわっていた。
ヘヒヤルポトの周囲の水は、松明の火でも分かるほどにどす黒く染まっている。
明らかな異常事態。
「死んでるのか?」
「キース。周囲の警戒を」
「まさか近くに?」
「分からない。居る感じはしない」
「オレもだ。退くか?」
「退きたい。でも、あれの確認はしておかないと」
本音を言えば、一目散にこの場から逃げ出したかった。
魔獣が居るかもと話をした矢先に、この準頂点捕食者の異様な骸だ。
たとえ魔獣でなかったとしても、俺たちが9人がかりで倒した化け物を、5号に逃げ込ませるほどのなにかが、この近辺に居ることは確実。
だがこれを放置したとなると、上に戻った後にペナルティを課せられる危険がある。
仕事の規定に記されているのだ。魔獣の痕跡を発見した場合、可能な限りの情報を収集した上で、速やかに帰還せよと。
「待て待て。さっきから居るとか退くとか、2人はなんの話をしてるんだ?」
放心したようであったクスーラが、俺たちのただならぬ様子に気づいたらしい。説明を求めてきた。
面倒だった。
邪魔だとすら思った。
はっきり言って、俺たちにそんなことをしている余裕はない。
「先輩。落ち着いて聞いて――」
「キース、説明は後。先にヘヒヤルポトを」
だから俺は、躊躇いなくキースの言葉を断ち切った。
そして足音を立てぬよう素早くヘヒヤルポトへと近づく。
周辺警戒に意識を裂く割合を下げ、代わりにヘヒヤルポトへの警戒に充てる。
生死、加えて死因がはっきりするまでは、これが魔獣であると考えるくらいが丁度よい。
下手をすれば、小型の魔獣が骸の内で死肉を食んでいる、などということも有り得ると聞いている。
近づき、ヘヒヤルポトの体を確かめ、息を吐く。
俺は警戒を辺りへと戻す。
ヘヒヤルポトの骸は酷い有様だった。
全身の皮膚は爛れ、破れ、赤黒い泡立った血に濡れそぼっている。
だが直接の死因は他にある。
深い刺し傷を幾つか見つけたのだ。
傷口は変色し膨れ上がり、まるで腐ったかのように組織が崩れ落ちていた。
表面でこれなら、中は見るに堪えない状態に違いない。
「呪毒、だろうな」
隣に並んだキースが、同じように骸を調べ見解を口にする。
呪毒とは、魔法によって生み出される毒の総称だ。
そして、ただの魔物に魔法を使うことはできない。
魔法を行使する魔物。それは魔獣と呼ばれ恐れられている。
「確定かな」
「念のため切り取って持ち帰る」
クスーラが愕然とした表情で、呪毒と呟いている。
どうやら説明の手間が省けたようだ。
キースは手早くヘヒヤルポトの傷口から肉を切り取ると、油を染み込ませた防水布でそれを包む。
そしてやや雑に鞄に放り込みながら立ち上がる。
「待たせてすんません」
「本当に呪毒なのか?」
「状況も含めりゃ、十中八九」
「戻ろう。皆に知らせないと」
「オレたちはずっとそう言ってるんすけどね」
突如としてやる気を見せ始めたクスーラ。
先導するように、前に立って歩き始める。妙だと思って見ていると、その足が出口ではなくその反対へと向けられた。
それはつい先程、俺たちが通って来た道だ。
「先輩。そっちは違うっすよ」
親指で出口側の道を示すキース。
クスーラは怪訝な顔から一転、驚きでその面を塗り替えていく。
「すぐ近くに居るんだ! まさか、見捨てるつもりなのか?」
「なに言ってるかさっぱりすよ。ケビン先輩とは話ついてるじゃねえですか」
それに、とキースは続ける。
「オレたちに与えられてる役割、仕事上での義務ってのを果たさねえでどうすんです」
「頼む。今ならまだ、皆を助けられるかもしれないんだ。これまでのことは謝る。ケビンにも謝らせる。他の皆にも。だから手を貸して欲しい」
キースは開きかけた口を一度噤み、それから強い口調で言い放つ。
「話にならねえな。オレたちは初めから危険を減らそうって動いてたんだ、それをてめえの意地で突っぱねたのは誰だ」
鞘を握る手には、ぐっと力が込められていた。
「ああそうかい。君たちに頼んだボクが馬鹿だった!」
声高に叫ぶクスーラ。
「君たちにとってケビンたちは、死んだとしても心も痛まないような存在なのだろう。でもボクにとっては違う。ケビンもネリアルも――」
キースが動いた。
鞘に納められていた刃が、刹那の後にクスーラの口元に沿えられる。
「うるせえよ。ちったあ状況考えろ」
潜めた声は、未だ子供の高い声ながらも、大人顔負けの威武を含んで聞こえた。
クスーラも赤から青に顔色を変じ、こくこくと頷いている。
「そんなに行きたきゃ勝手に行け。てめえがなにを言ったところで、オレたちのやることは変わらねえよ」
クスーラはケビンとよく似た瞳でキースを睨み、背を向ける。
俺たちがその背を見送ることはなかった。
互いの意思を踏み出した一歩で確認する。そして背後の足音を耳に響かせながら、出口に向けて脇目も振らず走った。




