15.魔法と気づき
魔物退治と聞いて俺が落ち着いていられたのは、予想していたから、というのもあるが、実はもうひとつ大きな理由がある。
それは穴倉での乱闘に塗れた日々だ。
俺について言えば、印なしの露見を恐れて、取っ組み合いに加わるようなことは稀だった。
それでも、暴力に首まで浸かったような生活だ。荒事には慣れもする。
こと逃げることに関して言えば、子供たちの中でも屈指だった。
残念ながら俺の身体能力は高くはない。
低くもないのかもしれないが、年下のフィオには大きく水をあけられている。
おまけに、大人たちの中には傭兵をやっていた奴も混じっている。
大人と子供。いや、傭兵だった大人と子供の身体能力には、大きな隔たりがある。
地球の大人と子供の比ではない。
ただ、逆に傭兵ではない大人と子供の差は地球ほどではない。
魔法的な作用が関与しているのだと推察できるが、その答えは追々聞き出せばいい。
ともかく、そんな人間離れした連中を相手に逃げ回っていたわけだ。
普通にやれば捕まる。だから色々と小細工をしたものだ。
元傭兵には正対せず視界の端に映る程度に留め、組しやすい他の連中の相手をしたり、年寄りを間に置いて盾にしたり、食糧を確保した子供に一時的になすりつけたりと色々だ。
魔物相手にどれほど通用するかは不明だが、俺たち2人で仕事をするわけではないという。
なら、頭を使えば最悪の事態を避ける手はいくらでもある。
正面から取り組むつもりなんて、端からないのだ。
並べられた武器を前に、あーでもないこーでもないと論じ、体力が底をついているのに打ち込みまでして選んだのは、柄の長い80センチメートルほどの手斧。
我ながら実に無難な選択だと思う。
柄頭は小振りだが、刃先は長く取られていて有効打を与えやすい。
鉞が近いだろうか。
金太郎が持っているのも鉞だが、あれとは形状がだいぶ違う。
両手で持って使うのが基本だろう。しかし柄の中ほどを握ることで、片手で扱うこともできる。
柄の斧頭と反対の端は、石突として加工されていた。
いざとなれば槍のように突いて、打撃を与えることも可能だ。
キースはと言えば、俺が素人であることに未だに納得がいかない様子であった。
それでも、命を預けるものだからと、露骨な剣推しは途中からなくなった。
そこまでが非常に長かったのだが。
実戦で使うものは後で探しに行くことになった。
今日はそのまま水路での立ち回りの手ほどきを受ける。状況を想定し、どう動くかといったものが中心だった。
途中、またキースがパンの粥を持ってきてくれた。
晩飯はもう少しマシなものが食えると教えてくれる。
騒ぎになると面倒だから、閉まる直前に行くつもりだと告げられた。
日が傾き、室内の暗さもいよいよとなった辺りで、館に戻ることになった。
立ち並ぶ施設を大きく迂回し、館の裏口を目指す。
道中、今日の残りの予定を確認していた時だ。
「あぁっ!」
キースが素っ頓狂な声をあげた。
「なんでヤトイが素人じゃないと感じるのか分かった」
おや、そいつは気になるな。
というか、そんなに素人らしく見えないのか。素人なのに。
身体に動きでも染みついているのだろうか。
「お前、武器持つと性格変わるだろ」
……ホワッツ? じゃなくて、冗談抜きで本当に?
自分ではまったく気づいていない。
「いつもあれだけびくびくしてるのに、手にした途端にそれが消えてる」
おおう。なにその危ない奴。
お近づきになりたくない。
「武器握ってるときのお前って、腰が入ってたじゃんか」
そりゃね。刃物振り回すのに、へっぴり腰じゃ危険が危ないでしょ。自分も周りも。
それが誤解を招いたならなるほど。普段は腰が引けてる感じになるよう努めているからな。
しかしどうしたものか。
演技のために身を危険にさらすのは本末転倒というもの。本意ではない。
「おまけに踏み込みに迷いはねえし、打ち込みには容赦がねえ」
「だって、キースって強いでしょ」
「ん、確かにそうだな。近い年の奴らで俺に勝てる奴はいない」
ふん、と鼻を鳴らしている。
まんざらでもない様子。子供っぽい。
あまり褒められ慣れしていないのだろうか。これほど優秀だというのに。
「お前にその話をしたことはなかったけどな」
どこで知ったんだ。そんな疑惑の眼差しが刺さる。
初見で、とは言えなかろう。
構えただけで判断できるとか、俺が傭兵の動きを見慣れていると、公言しているようなものだからな。
武器選びの時に適当に真似てみたのとはわけが違う。
演じている性格との落差も酷い。
それ以外からも判断できなくはないが、断言するには弱いな。しくじった。
「期待してたのは頭の回りと、ブリ公じみたしぶとさだったんだ」
評価してるんだろうが、なぜだろう。あまり嬉しくない。
罵倒されるより気持ちが沈む。
「オレが守ればいい、なんて考えてたけど、気が変わった」
鞘を握る手にぐっと力が入る。
ああ、これは。嫌な予感しかしない。
「ヤトイには俺の隣に立てるように――」
「ムリ」
俺は即答した。
隣ってお前、根っからの前衛志向だろ。
戦いなんてないぬるま湯の中でぬくぬくと育ったパンピーであるところの俺が、なんでそんな危険な役回りを引き受けにゃならんのだ。
「やれるだろ、初めてであれだけ動けてたんだ」
いやあ、訓練と実戦を同列に語らないでくれませんかね。
戦場の記録あるけど、びびって動けない自信あるよ。
獣兵に迫られた場面を思い出すと漏らしそうな恐怖感あるし。
というか本気で?
「僕の身体、性能良くないよ」
これ本当。割と切実に。
「別に大した問題じゃないだろ。身体強化の魔法さえ覚え、れ……ば」
キースが表情を凍りつかせた。足も凍りついたように止まっている。
やっぱりあったのか、身体能力の強化。
しかし魔法な、魔法。
ラクハサの説法に頼るまでもなく知っているぞ。神の奇跡。賜りもの。恩恵、恩寵。
そしてそれらは、聖印を介して授けられる。
はてさて、根本的な問題として、俺に魔法が使えるのかね。
神の寵愛があれば自然と使えるようになるらしい。そうでなくとも、魔法ごとに適性はあるらしいが、修業で使えるようになるとか。
ああ、修行というのは坊さんがするような修行ね。信仰とか精神の。
黒の民も魔法は使える。消魔結界はどれほど高度な魔法でも消し去るが、生き物の内側にだけは作用しない。
だからその身の内側に作用する魔法に関しては、問題なく扱える。
逆を言えば、殆どの魔法は使えても使い物にはならない、ということになるのだが。
俺の場合はいかがなものか。
印なしだと気づいてからというもの、目の前の問題をどうにかするのに忙しくて、考えようすら思わなかったが。
少なくとも寵愛からは程遠い。
これは印なしという以上に、俺が神の恩恵とやらを欠片も感じていないからだ。
境遇とかそういった話ではなく。
まるで魔法を使える気がしない。
「キースは使えるの?」
「まあ、な。親父から教わった。けど」
言い淀んでいるのは、キースがやったのと同じやり方をしたとして、俺に魔法が使えるようになるとは思えないからだろう。
「見せてもらうのってできる?」
「それくらいなら」
そう言って、ひとつ息を吐くと。
「黒の月よ――」
呟きに重なるように、異様な感覚が走った。
ぞわりと、なにかが身の内を撫でるようなそれは、悪寒にも似ている。
些細なものだ。
風が吹けば掻き消されてしまうのではないかと思うほどに。
けれど、これは錯覚ではない。
俺の視線はキースの胸元に向いていた。
陽炎のようなかすかな揺らぎがそこにはある。
この世界で目を覚ました後に見た聖印は、まさにあの揺らぎの位置にあったのではないか。
「御身が僕に献身の機会を」
揺らぎは、キースが祈りの言葉を終えた後も残り続けている。
「使ったはいいけど、これどうやって使ってることを伝えればいいんだ?」
「どうやってって」
見れば分かる。出そうになったその言葉を、俺は無理やり呑み込む。
迂闊な言葉は慎むべきだ。
キースの話からすると、魔法を使っていることは、見てそうと分かるものではないのだろう。
魔法陣が現れたりするわけでもなければ、聖印の周りが揺らいだりするわけでもない。
「素振りで違いが分かると思うか?」
俺の内心の戸惑いを知らないキースは、大真面目に、どうしたら魔法を使っていることが証明できるかを悩んでいる。
気づかれていないことに胸をなでおろした俺だったが、別の疑問を抱く。
魔法を使うことで聖印の周りに変化が生じる。それはいい。
俺だけが見えているかもしれない。それもいい。
ではいつから見えていた。
穴倉には元傭兵もいた。彼らが魔法を使っていたのはほぼ間違いない。
けれど俺はそれに気づいていない。
ん、待てよ。逆なのか?
今だから気づけた。
魔法を使うことを知っていて、全神経を傾けていた今だから。
穴倉の緊迫した空気の中、あの擦り切れた精神状態で、果たして吹けば飛ぶような感覚に意識を傾けることができただろうか。
「走ってみるとか」
とりあえず適当に提案してみる。
「いくぞ」
一歩足を引くと、オリンピック選手も真っ青な勢いで飛び出した。
ふむ、無理だな。
知った上でも追い切れない。
そしてキースは風のように舞い戻ってきた。
「いつもあれくらいで走れる?」
「まさか」
「だよね」
「あんなので納得したのか」
「いや、あれだけ違えば十分だと思うよ」
穴倉の元傭兵の中には、キースよりも早く動ける者はいた。
いい年してるのに、いつも真っ先に食糧を確保して去っていく奴だ。
相手にしたことはない。
その一方で、下もいた。
速さだけで言えば、キースは下級の傭兵とは渡り合えるレベルということになる。
ああ。穴倉に居た傭兵はほぼ下級だ。
この街に送られてくる傭兵は、ほとんどがそうなのではなかろうか。
その理由にも思い当るところがあるが、断言するにはまだ情報が足りない。
「ならいいか」
自然な動作で指先が聖印を服の上から撫でる。
するとそこにあった揺らぎが幻のように消え去った。
「さーて、これから部屋の引っ越しか。その前にどこに移るのかヘズコウさんに確認しないとな」
キースは背を向けると、館に向けて歩き出す。
聖印に現れる揺らぎが、魔法と関係しているのはどうやら間違いない。
となると、これの使い道はひとまず研究用になるか。
魔法が使えるのなら、それに越したことはない。
取っかかりは得たのだから、色々と試してみる価値はある。もちろん、目立たない程度に、だが。
「キースの隣に立つのは無理だね」
俺はその後を歩きながら念を押しておく。
それでもやれるだろ、なんて言われても困るのだ。
「むむむ。でもそれならそれで訓練は厳しくいくからな」
結構。元よりそのつもりである。
「よろしく。僕も死にたくはない」
そう、俺は死ぬわけにはいかない。だから――。
仕事に出るまでもう少し時間くれよ! 早すぎだろ!
黒の家にやってきて4日目。早くも俺は現場に駆り出されていた。




