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俺、凡人。異世界で世界大戦の仕掛け人になる  作者: 風間 秋
第2章 『異物の生存戦略』
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13.汚濁の中を這いずる覚悟

 館の主の執務室を辞し、窓の小さな廊下を歩くこと暫し、俺たちはちょび髭ことヘズコウの執務室の前まで戻ってきた。


 この黒の家、外から見た時にも思ったのだが、かなり堅牢な造りだ。

 居住を目的とした館というよりは、防衛施設を思わせる。

 これが刑務所のように、中にいる人間に対して向けられるものならば、強制居住区(ゲットー)という性質上納得がいく。しかし廊下を歩く限り、そういった造りには見えない。


 疑問に首を傾げていると、ヘズコウがドアノブに手をかけた後、ふと思い出したかのように俺に顔を向けた。

 そうして眉間に皺を寄せ、視線を頭のてっぺんから足の先まで往復させる。


「おい。あー、なんだ。ヤトイつったか、おめえちと臭えんだよ。水場行って身体洗ってこい」


 鼻を摘まみ上体を少し仰け反るようにして、これでもかというほど、不快感を露わにして見せる。

 汚れにも臭いにも辟易していたので、それは願ってもないことなのだが。


「キース。ついて行って、その糞みてえのをなんとかしろ」


 それにしても酷い言われようである。


 穴倉で生活すれば誰でもこうなる。

 その穴倉に俺を放り込んだのは、他でもないあんただろうに。


「おれはその間に、どこぞの糞ガキが増やした糞仕事の始末をしてくる」


 そうして足を一歩踏み出しかけ。


「ああ、部屋には勝手に入るなよ。ってさっき入ってやがったな、クソ」


 俺を改めて汚物認定した後に、無駄に足音を鳴らしながら来た道を戻っていく。

 それにしてもクソクソ言い過ぎだろう。くそ。俺はそんなに臭うのか。

 二の腕を鼻に寄せかけて止めた。無駄に心の傷を増やすことはない。


「オレたちも行くか。場所は……あそこがいいな。少し歩くぞ」


 辺りを窺いながら速足で進むキースの背を、俺は小走りで追いかける。

 人を避けているらしいことはすぐに分かった。

 原因はまあ、言うまでもないだろう。


 黒の家――その呼び名に敷地を含めてよいのかは不明だが――は広かった。

 正門から館までの距離はそこまででもなかったのだが、館そのものが大きかったし、裏手には大小様々な施設が立ち並び、林まで広がっている。


 人目を忍んでいた俺たちは、敷地を取り囲む塀に沿って歩いていた。

 それゆえに気づいたのだが、この広大な敷地は元からあったものではなく、後から広げられてできたものらしい。


 キースが案内した水場は、敷地の外れにある林の中にあった。

 茂る下草を割るように石畳が伸びていて、その先には石垣を背に、石を組んだ水場が設けられている。

 確かこういうのを、共同洗い場とか言うのだったか。

 水を溜める槽が段々に繋がっていて、食材なんかは上の段、衣類なんかは下の段を使うことで、一定の水質を保ちつつ、水量も確保できる、という。


 ただここは普段使われていないのだろう。

 水は止められている。流れの滞った水は濁り、草まで浮いていた。

 音はどこからか聞こえてくるのだが。


 どうするのかと思って見ていると、キースは洗い場に隣接する石垣へと近づき、そこから石の板を引き抜いた。

 ごぼごぼと音を立て、洗い場へと水が流れ込む。


 これは、水道か?

 林の中に石垣とは妙だと思ったが。ここには、いやこの街には、水道が整備されているのか?


 考えてみれば不思議なことはない。

 穴倉のあれだけの規模の地下水路が、なんの理由もなく存在するはずはないのだ。


「はい注目。水道を使う時の鉄則」


 キースがふざけているような、けれど真剣な調子で注意を促す。


「ひとつ、無駄使いをしない。ふたつ、使い終わったら閉める。特にふたつ目な、破ると鞭打ちだから。あと、閉めるのを邪魔して垂れ流しのまま放置させたら、連帯責任でやっぱ鞭打ち。注意できるのにしなくても同じ。気に入らない相手でも、閉め忘れていることに気づいたらしっかり言うこと」


 鞭打ちという生々しい単語が、当たり前のこととして語られるのに戦慄する。

 こくこくと一も二もなく頷いた。


「常に開けてていい場所もあるんだけどな、そこはたぶん使えないだろう。それから、黒の家の外にある水道は有料許可制。勝手に使うと酷い目に合うからな?」


 そうキースは早口に言ってから、俺のぼろぼろの服を見て顔を顰める。


「その服はダメそうだな」


 服はフィオを助けた時に破れたものをそのまま使っている。予備なんてないからだ。

 ただでさえ乱闘なんかで擦り切れていたものを、切れた布の端を強引に結んで使っているので、それはもうみすぼらしい。


「なにか持ってくるから、これ使って体流しとけ」


 木桶が投げて渡される。

 受け取った桶を覗いてみると、底に立派なヒビが入っていた。

 まあ、使って使えないことはないだろう。


 顔を上げた時には、キースはすでに林の外に向かって歩き出していた。

 見張りはしなくていいのかね。まあ俺に逃げる場所なんてないが。


 のろのろと水の吹き出し口に近づいた。

 俺の体は、割と限界だった。

 張り詰めていた緊張が解け、全身を倦怠感が支配していた。


 そのまま流れ出る水の中に頭を突っ込む。

 水のひんやりとした感触が心地よい。

 そして少し顔を上げると、流れ出る水を口いっぱいに含んだ。

 喉を抜け、空っぽの胃に水が流れ込むのを感じる。

 体が欲するままに水を飲み、荒く息を吐く。


 息が落ち着くころには、気怠さも幾分か取れていた。


 俺は、生き延びたのか。

 実感が薄い。

 話が想像もしなかった方向へと流れ続けた。

 置き去りにされる形で決まった状況は、未だにわかには信じ難い。


 しかし、これでは道化にでもなった気分だ。

 俺がなにをしようと結末は変わらなかった。滑稽な独り相撲を続けていたのではないか。そんな妄想に捕らわれそうになる。

 事実はまるで違うというのに。


 キースがいなければこの状況にはならなかった。

 そしてキースが動いたのは、その思惑に俺が手を貸したことがあったからだ。


 俺が自らの手で勝ち取った未来。

 だというのにそんな妄想に惑わされる。


 それもこれも――。


 首元へと手を伸ばす。指先に触れるのは小さな金属板。

 俺がどんなに足掻こうとも、これがなければすべては徒労に終わった。

 その現実が立ちはだかるからだ。


 生き延びた?

 ハッ。生かされたのだ。


 助けられたと考えることができればよかったのだろう。

 だがそう思うには、いささかこの世界は俺に対し理不尽に過ぎた。

 ああ、ここに俺が在ることからして不条理の極み。

 自らの意思が介在する余地のない世界。そこですべてが決まる。なんと不愉快。


 だがいいさ。生き延びたという事実は受け取っておこう。

 頼り切るつもりはない。

 しかし、使えるものは豚の糞だろうと使ってやる。

 既に汚泥に塗れた地虫がごとき身よ。今更その程度、躊躇ってなんになる。


 唇が自然と歪む。

 髪を伝い、顎を伝い、足もとには濁り淀んだ水溜りが広がっていく。


 まずはそうだな、初心に立ち返ろう。

 印なしという異物だと露見した以上、その中身までもが異物であると気取られるのはよろしくない。

 俺の命を繋いでいるのは信仰だ。

 ならば、ふむ。やはり情報を集めるところから始めよう。

 ラクハサから簡単な説法は受けたが、覚えきれるものではない。

 生粋の闇月の(しもべ)を装うよりも、そうあろうとする者を装う方が、己の身の丈に合っている。


 まあそれよりも先に、今はここに来た目的を果たすことしよう。

 俺は襤褸(ぼろ)を裂くように脱ぎ捨てると、桶に水を取り頭から被った。


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