再会のあの日のこと。
シルヴェスター視点で、第七十七幕の前後のお話です。
ガネル子爵家で行う夜会にディリィが出席するかもしれないという話を偶然マイルズから聞いた瞬間、私がすべきことは決まった。
その日は少し予定が詰まっていたけれど、何とかすべて片づけてそこに向かえるよう、早急に手配を行う。それはなにがあってもだ。
まだ確定したわけでなくても、これは絶対に譲れない。
ヴェルノーからニヤニヤと様子を窺われていることはわかっているけれど、こればかりはもうゆっくりとはしていられない。
今年こそ、ディリィに本当のことを話す。
このことに関しては、ヴェルノーから口酸っぱく言われているけれど、自分でも決着をつけなければいけないことはわかっている。
私はディリィより先に成人を迎えている。
そして、いよいよ周囲から妃についてのプレッシャーを与えられていることがよくわかる。以前に便箋の件から想う人がいると気づいてしまった母上がさりげなく先延ばしになるよう助力してくださっているけれど、それもそろそろ限界が近づいてきている。
だからもう引き伸ばせる時間は終わったんだ。
そう、思っていたのに。
夜会前日、私は書類の山と格闘していた。
順調に準備を重ねていたのに、どうしてこうなった。
減らした書類より、追加される書類の数のほうが明らかに多い。
「……こんなことになるなんて、聞いていない」
「仕方ないだろ。まあ、諦めて手を動かせ。タイムリミットは伸びないんだからな」
「わかってる」
愚痴を言いながらも手は止めず、私はその山を切り崩す。
ヴェルノーも手伝ってはくれるけれど、最終的に私がしなければいけないものも多いため、やはり限度はある。むしろヴェルノーはヴェルノーで別に仕事があるだろうに、申し訳ない。
「間に合うか?」
「間に合わせる。でも……ギリギリになってから急ぎのものを一度に大量に持ってこないよう、注意するくらいは許されるかな?」
せめて予告をくれたり、このように溜めたりしないようできている書類から順に持ってきてくれたり、いくらでもやりようがあったと思う。たとえ今日夜会がなかったとしても、想定外の事態はほかの予定を狂わせることになっていただろう。
「ジル……。お前、目だけ笑ってないぞ」
「笑ってるつもりがないからね。でも怒ってるようにも見えないかい?」
「ああ。だからそのほうが怖い。普通に怒りを浮かべてるほうがまだましだ……っていっても、お前が本気で怒る姿って見たことないんだけど」
ヴェルノーが顔を引きつらせながら言っていたけれど、私にもヴェルノーの表情を観察する余裕がなかったので言葉はそのまま受け流した。
なにせ、タイムリミットは刻一刻と迫ってくるのだから。
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そして、仕事を仕上げて当初の予定より若干遅れてガネル子爵家の夜会に向かった。
会場に到着するとエントランスの外で涼んでいるヴェルノーを見つけた。
同時にヴェルノーも私の姿を認めたらしく、普段とは打って変わった礼をとってきた。こういう場だから仕方ないことは百も承知だが、どうもヴェルノーにそのような態度をとられるのは不自然だと感じてしまう。気分が悪いというわけではないけれど、なんだかおもしろい。
もっとも、絶対に本人には言えないことだけれど。
幸いにもまだ帰宅する者が出るような時間ではないため、私たちの会話が聞こえるような範囲に招待客はいない。動作だけ形式的なものにしておけば、声を潜めただけであとはどうにでもできそうだ。
だからヴェルノーも動作は優雅に、しかしいつもの調子で私に話しかけてきた。
「お疲れ。思ったよりは早かったな」
「私としては予定より遅いくらいだよ。それより、ディリィは?」
「早速それか。いるぞ。令嬢の真ん中に囲まれている」
「やっぱり。人気者だね」
ご令嬢方の人気を集めるディリィだから、それは想定の範囲内と言えば範囲内だ。
店のこともあるし、ご令嬢方だけでなくご婦人方も話しかけたいと思っていることだろう。
ただしそうなると私が盛り上がっているところを邪魔するのも申し訳ない気もしてくるけれど、もう遠慮だけしていればいい時間は終わっている。
「さて、どうするんだ王子様?」
「悠長にしていられないのは、知っているでしょう」
長々とした時間はとらないので、少しくらいは許してほしい。
『王子様』なんて呼び方をするとき、ヴェルノーは私をからかっている。
それを承知で、そしてさらにからかわれると分かっていても言わずにはいられなかった。
半ば、宣言でもある。
もちろん本気で嫌悪感を見せられれば、そこで一旦どう動くかは考えるけれど……一切踏み込まないという選択肢は持ち合わせていない。
「まぁ、のんびりもしていられないな。さっきディリィはマイルズと躍っていたんだが、なかなか様になっていたし。あの調子だと、見合いの誘いも増えるんじゃないか」
「え?」
「ま、見合いが来たところで伯爵がなんというかは知らないけどな」
主催者の息子であるマイルズと招待客のディリィが躍るのはなんら不思議なことではない。しかしディリィは成人してからこれまで成人の宴を除けば夜会に出てきたことはない。そうなれば、実質夜会で初めて躍った相手というのはマイルズというわけで――……
「ああ、ガネル子爵は喜んでおられたよ。『パメラディア家のご令嬢は本当に美しいですね。まだあまり夜会には参加されていないとお聞きしていましたが、そのご令嬢にお相手いただいている息子は幸運です』だったっけな」
「……」
私も十二歳の頃に一緒に躍ったことがあるとはいえ、あれは人前ではない隠れた場所であるし、それ以前にシルヴェスターではなくジルだった。
あのときは自分のほうが低いくらいだった背も伸びたけれど、シルヴェスターとしてのコーデリアとの距離感はまったく縮んでいない。
「ヴェルノー、一つ聞くけど……それ、私を鼓舞して言っているのかい? それとも試して楽しんでいる?」
「好きなほうを選んでいいぞ」
「まったく……」
昔からそうだけれど、ヴェルノーは本当にヴェルノーだ。
「これで俺からの情報収集は終わったか? 俺に構うために仕事を早く終わらせたわけじゃないだろう?」
「ああ。ありがとう」
「引く手あまたのパメラディア嬢なんだから、放っておいたらさっさとほかに嫁にいくぞ」
はっぱをかけられているというか、むしろ急かされているというか。
ここまで長く付き合ってくれていることには感謝しかないけれど、それでも多少胃が痛むのはどうしようもないことだろう。
「まぁ、今日は理不尽な課題を終わらせてきた王子様にご褒美でもやらなきゃいけない日だろうな」
「え?」
「会場には百を数えてから入ってこい。一番手とは言わないが、喜べるだけの舞台は整えてやるよ」
そう言ったヴェルノーは言葉とは似合わない最上級の礼を私に向けて行うと、先に会場に戻っていった。
「ひゃく……?」
その期待を抱かせるものいいで、私はそれが正解かどうかわからないのだからと百を数えながら自分をゆっくりと落ち着かせようとした。
けれど、それでも会場ではその落ち着きを維持することは至難の業だった。
ヴェルノーがディリィと踊るための舞台を整えてくれていたのに、どうして落ち着いていられることができようか。
表情には出さないように気を付けたけれど、一秒一秒が少しでも長く続きますようにと願わずにはいられなかった。
人目がある手前『ジル』のことは話せなくても、せめてそれを伝えるためにダンスが終わった後は城に招待することくらいはさせてもらってもいいのではないかと、そう思っていたのに――。
「……ダンスが終わってから、挨拶しかできなかったんだけど」
翌日、私はヴェルノーにこんな愚痴を言う羽目になってしまった。
「それ、さすがに俺がどうこうできる問題じゃなかっただろう」
原因はクライドレイヌ伯爵令嬢が会話に割り込んできたことなので、それは私もよく知っている。けれど、気合を入れていたところに水を差されたことには自分が想像していた以上に落胆している。
「ま、こういうこともあるってことだ。次、がんばれ」
「ああ」
「とはいえ、たぶんまたあのご令嬢は出てきそうだけどな」
「縁起の悪いことでも、本当に容赦なく言うよね」
珍しいほど本気で気の毒がられていることが全面的にわかる声だったのに、続く言葉の不吉さに私は思わずうなだれた。
ただ、そうは言ってもそれが低そうな確率ではないので困ったところだ。
前途多難。
けれどいまさら諦めるつもりはないので、私も自分に気合を入れ直すことにした。
だって、悩んでも後戻りすることはできないのだから。




