改めて、宣言します。
第九十七幕からしばらくした頃のお話です。
晴れ渡った空の下、コーデリアは久しぶりに大書架へ向かうために屋敷を発った。
半月前に幽霊の一件があった後、城に向かうのは今日が初めてだ。
先日見舞いに来たヴェルノーからは「城に来るときは俺かジルに声をかけろよ。ジルのところに寄れば美味い紅茶が飲めるからな」と言われたものの、声をかけると言っても用件がないのでどう伝えてよいのかもわからず、今日は特に向かうことは伝えてはいない。
(そもそも今、もの凄くお忙しいでしょうし)
幽霊の件についてはいくらルフィナ本人が正体を隠していたうえ、襲撃を受けることが本人の計画であったとしても、クリスタ王国としては狙われた隣国の王女様をそのまま『お疲れさまでした』と帰すわけにもいかず、また幽霊のこれまでの悪行やこれからの裁きについて話す必要もあるため、ルフィナの帰国にはシルヴェスターが同行したと聞いている。
そろそろ帰ってくる頃だと思うのだが、たとえ帰ってきていたとしても不在時に溜まった仕事があるだろうし、邪魔をするのは申し訳ない。
だから今日寄らないのはまっとうな理由があるからで、決して避けているわけではない。ひと段落がついたようならお菓子を作って差し入れることだって……。
「でも口説かれる宣言を聞いておいて、どういう顔をして差し上げればいいのかしら」
ジルがシルヴェスターだということは分かった。
わかったが、以前からジルがそういう気持ちを抱いていたことを知らなかったので、やはり今まで通りのジルへの対応というのも違う気がする。
そんなことを考えていると顔がむずむずとするのだが、妙な顔をして城内を歩くわけにもいかず、コーデリアは一度考えることをやめた。
いずれにしても今日は会わないのだ。
そう思いながら城に到着した後、大書架に向かって回廊を歩いていた時だった。
「そういえば聞きましたか? この間、ヘストン伯爵がまたシルヴェスター殿下に娘を妃にどうかとひたすら直談判していたって話ですよ」
「そりゃもう十年間ずっとだろう。あの人は娘に自信満々だからな。だが、この間はついにマクラウド侯爵も……って、こんな話はこんなところでするもんじゃないだろう」
「え、マクラウド侯爵のところのご令嬢ってまだ七歳じゃ……詳しく聞かせてくださいよ、こんなところ人なんて誰もいないですから」
そう話す二人の男の声と近づいて来た足音を聴いたコーデリアは思わず辺りを見回し、急いで回廊すぐ横にある茂みに身を隠した。しっかりと聞こえています、こんなところで噂話はよくないですよと注意するのが優しさなのかもしれないが、いかんせんその話題にかかわるかもしれない自身が聞いていると相手に伝わるのは極力避けたい。
そもそもこのように噂が回っているというのであれば、コーデリアにも何らかの噂が出ているのかもしれない。
「……まあ、成人なさったというのに殿下の縁談があまりにも聞こえてこないものだから、たとえ娘が幼女であってもチャンスがあると思われたのだろう。十年もすれば二十七と十七だ」
「それだとまぁアリ……って、でも売り込みが早すぎるでしょう。そこまで残ってるかわからないのに」
「そうだな。というか、実は殿下はご結婚について前々からきちんと考えていらっしゃったらしいしな」
「え、そうなんですか? あ、いや、あの殿下ならご自身の立場も考えてはいらっしゃるでしょうけど……本当ですか? 絶対にそういうことを口になさっていなかったでしょう? 両陛下も何も仰ってないし」
どうやら、シルヴェスターにはそれほどまで女性の気配がなかったらしい。
いや、コーデリアもそれは分かっている。
噂がひとつもないのは知っていたし、誠実な性格なので余計な期待を抱かせるタイプではない。だから令嬢と交流があったとしても、令嬢自身が手ごたえを掴むこともおそらくなかったのだろう。
かつてジルが将来天然たらしになってしまう危険があるのではないかと思ったことはあったものの、あれは素直に好意からきているものであったし――。
(って、そうじゃない、今はそうじゃなくて)
やはり一国の王太子の婚姻となれば並々ならぬ関心を集めているのだと思っていると、男性の足音はぴたりと止まった。
「先輩? どうなさったんです?」
「実はな……マクラウド侯爵に娘を推されていたとき、殿下がいつもとは異なる断り方をしていらっしゃったんだ」
「どう違うんですか?」
「いつもは軽くあしらってらっしゃった。だが、この間は『口説かせていただいている女性がいるので、今は見守ってください』と仰っていた」
コーデリアは思わず吹き出しそうになったのを、必死で押しとどめた。
しかし心臓は大人しくはしてくれなかった。
「……それ、殿下の冗談じゃないですか?」
「殿下は冗談を仰るか?」
「でも、そんな相手が本当にいるんですか? そんな衝撃的な出会いがここ最近であったっていうんですか? それとも他国の姫君ですか?」
納得しがたいと言わんばかりの様子で後輩の男が先輩の男に尋ねる。
先輩の男は唸った。
「皆がいろいろ予想して一部では賭けまで始まっているが、結局賭けが成立しそうにない。大穴狙いならともかく、大概皆が同じご令嬢の名をあげるものだから、倍率が思いのほか低いんだ」
「え? いったいどこの誰が大本命なんですか」
「お前、本当にわからないのか? パメラディア家のご令嬢だよ。フラントヘイム家の御子息と幼馴染の」
そこで自分の名前が出てくるとは思っていなかったコーデリアは、口を両手で塞いだ。これ以上、叫びそうになったり噴出したりしたくはない。だから会話も終えて欲しい。
しかし二人の男の会話は止まらない。
「え? でもあのご令嬢はあまり殿下と交流がないのでは? 昔から定期的に開かれているお茶会にもいらっしゃってなかったでしょう。伯爵だって、娘を売り込んだりはしていませんよ」
「確かにそうだが、お二人に交流がなかったわけではないようだ。あのご令嬢は十四歳で品評会に入賞し、大書架の許可証を賜っただろう? その時に殿下と直接お会いになっている。そのあと交流が続いたかどうかは不明だが、夜会では殿下が自らダンスを申し込まれたこともある。庶民からの人気も高く、家柄もいい。文句の付け所がないだろう」
「えー……でも、難しいんじゃないですか」
「何がだ」
「パメラディア伯爵の娘でしょう? あの伯爵に『娘さんをください』って言うの、普通に怖くないですか」
「……」
「ほら、答えられないじゃないですか」
人の親に向かって何と言うことを言うのだとは思うけれど、王太子相手に堂々と『娘を満足させられるかどうか知りませんけど』という風な内容を継げたことがあるエルヴィスだ。外野からそう思われても仕方がないのかもしれないし、実際に怖いかどうかは別として、どうやったら納得してくれるのかは今はコーデリアにだってわからない。
だが、それを今考えられる時間は長くはなかった。
「面白い話ですが、それはこんなところで話しても大丈夫なものでしょうかね?」
聞こえてきた新たな声はヴェルノーのものだった。
噂をしていた二人の男が驚きで息を吸い込んだ音がコーデリアの耳に届く。ついでに後輩の男のほうがフ、フラン、フラント……という具合にうまく声にならない声を口にしているのも聞こえてくる。とにかく驚いているらしい。
そんな様子にヴェルノーは軽い笑い声をあげた。
「とはいえ、私も楽しんでいるから注意はできませんけどね。ただ、お耳に入った殿下のご感想はどうでしょうね?」
「そうだね。お好きにどうぞ……と言いたいところではあるけれど、あまり金銭を賭けることは推奨できないかな、と言っておこうかな」
なんと、やってきたのはヴェルノーだけではなかったらしい。
シルヴェスターもそこにいる。コーデリアは心の中で後輩の男に対してシルヴェスターがいるのであればヴェルノーよりも先にシルヴェスターに驚かないのかと思わず突っ込みを入れながら、同時に驚かずにはいられなかった。
(無事にご帰還なさったのね)
戻らないのではないかと心配していたわけではないけれど、それでもどこかほっとしてしまった。
そう、ほっとはしたのだけれど……それは一瞬のことだけだった。
落ち着いた次の瞬間にはシルヴェスターの帰還よりもこの話題を本人が耳にしたということにコーデリアの心臓はより強く早鐘を打った。
コーデリア自身は何も悪いことをしていないというのに、おそらくこれは噂をしていた男二人と同じくらい居心地が悪い。
そうコーデリアは思っていたというのに、少なくとも後輩の男はコーデリアとは全く異なる思いを抱いていた。
「では、お好きにということなので……殿下、真相はいかがなのですか?」
反省を示すどころか堂々と尋ねる男に、コーデリアは今すぐ飛び出して礼儀というものを叩き込みたい気持ちにかられた。
「ちょ、お前……!」
「だって、こんなことをお尋ねできる機会なんてもうありませんよ!」
「そういう問題じゃないだろう!!」
もうやめてくれと言わんばかりの先輩の男の悲痛な叫びに、コーデリアは全面で同意したい。
ヴェルノーは本気で面白がっているらしく笑いをこらえていない。そして控えめに笑っているシルヴェスターの声も聞こえてくるので、彼にとっても後輩の男の態度は不快ではないらしい。
「そうだね。マクラウド侯爵にそう答えたのは本当だし、嘘ではないよ。でも……」
「でも?」
「彼女はそういう噂や賭け事があまり好きな女性ではないから、そういう話が耳に届けば私は振られてしまうかもしれないね」
ヒッと、二人の男が揃って息を飲んだ。
それもそうだろう。
一国の王太子が振られるかもしれない原因が自分たちにあるかもしれない、なんてとんでもない脅し文句だ。口では控えめに言っていても、絶対に茶化すなと言っているに等しいではないか。
「「発見次第、やめるよう勧告いたします!!」」
「頼んだよ」
そうして慌ただしく去っていく男たちとは対照的に、足を止めたままのヴェルノーは「参考までに、どんな名前が挙がっているか聞いてから注意してもよかっただろ」なんて言っているが、これ以上心臓に悪いことはやめて欲しいとコーデリアは本気で思う。
だが、シルヴェスターはその言葉には答えなかった。
「ところで、ディリィはかくれんぼって好きだったっけ?」
「……お気づきでいらっしゃいましたか」
できれば盗み聞きしていたことはこのまま気付かないでいて欲しかったと思うし、この茂みから出ていくというのは格好がつかないので避けたかったと本気で思う。
けれど確信をもって呼びかけられた以上、茂みに籠城を決め込んでもそう時間をかけることなく見つかってしまうだろう。ばつが悪いと思いながら立ち上がって回廊に戻ると、シルヴェスターはにこやかに笑い、ヴェルノーはにやにやと笑っていた。他人事だと思って!! とはさすがにこの場では言えなかった。
「さっきドゥラウズ王国から帰ってきたんだけど、パメラディア家に寄ったらこちらに向かったばかりだと聞いたから」
「それは、御足労をおかけいたしました」
「気にしないで、勝手に行っただけだから。これ、お土産。あと、こちらはルフィナ殿からの手紙だよ」
「ありがとうございます」
見つかりはしたものの、先ほどの件には一切触れないでいてくれていることに、コーデリアはひとまず感謝した。
「ドゥラウズはこちらとはまた違った自然の景色が多いところだったよ。ルフィナ殿は見飽きたとは仰っていたけれど、それでも誇りにしていらっしゃる様子だった」
「それは、ぜひいつか拝見したいですね」
「その時は案内するよ。しっかりとルフィナ殿に観光案内も叩き込まれてきたからね」
緊張していた割に、話し始めればシルヴェスターにジルが重なって見えるようで、少し緊張も薄れてきた。ジルと声は違うが、話し方や調子は似ている。シルヴェスターは生命の危機に関するどころか恩人だという意識が無意識に働いているためか、前ほど即座に逃げなければという意識もない。
ただ、本当にジルが相手であるときのように話せるかというと話は変わってくるのだが……。
「……お前ら、別にいいけどここでデートの約束をするをするのはどうかと思うぞ。誰がいつ通るか分かった場所じゃないからな」
「えっ!?」
「ああ、新婚旅行か?」
新婚旅行どころかデートの約束なんてした覚えがないと思って勢いよくヴェルノーを見れば、ヴェルノーは肩をすくめていた。
「まあ、少なくともディリィはそんなつもりがないのは知っているが」
「ヴェルノー、茶々いれないでよ。久しぶりに会えたんだから」
「はいはい。まぁ、ディリィもジルの部屋に寄ってけよ。時間はあるだろう? 俺もシルヴェスター殿下よりジルが相手のほうが話しやすいから、人に聞かれない場所のほうがいい」
「え……? はい」
一応大書架目当てで来ているので用事が全くないわけではないが、今日どうしてもという用事でないこともまた事実。
正当な理由なく面前で断るということもしにくいうえ、確かにこのまま立ち話を続けるとさきほどのように噂が広まる原因にもなるだろう。
態度を決めかねている立場である以上、余計な噂はとどめておきたい。
ここは腹を括って招かれるしかないだろう――そう思っていると、ばっちりとシルヴェスターと目が合った。
「ごめんね、大書架に用があってきてるのは知ってるんだ。でも私も話をしたいと思っているし、ディリィから申し出がなければ気にしないで大書架にどうぞとは私からは言えないかな」
「えっと……時間は、大丈夫です」
「よかった」
そしてあまりに嬉しそうに笑うので、コーデリアは反射的に顔を逸らせてしまった。喜んでもらえるのはいいことなのだが、ここまで面と向かって嬉しいと伝えられるのは恥ずかしい。
しかし、シルヴェスターの言葉はそれで終わらなかった。
部屋に先導するために「こっちだよ」とコーデリアの前を歩き始めたシルヴェスターが、不意に足を止めて振り返った。
「あと、聞こえたと思うけど……本気で口説き落とせるように頑張るからね?」
「え、あの」
「宣言はしたものの、すぐにドゥラウズに行くことになってしまったから。話がリセットされていたら困るから、改めて言っておくね」
すぐにシルヴェスターの顔は正面を向いてしまい、コーデリアが返事をする暇はなかった。しかし、たとえもう少しシルヴェスターと長い時間目が合っていたとしても、何も言うことはできなかっただろう。まだシルヴェスターに対してはどう対応していいのかわからない。
そんなコーデリアの気持ちをことを知ってか知らずか、ヴェルノーが笑った。
「聞こえていたと言えば、あいつらが伯爵が怖いって言ってたのは同意できるけどな。ジルは納得させられるのか?」
「それくらいできない男じゃ、ディリィを口説き落とすのもそもそも無理でしょう。何をすれば認めてくれるかなんてまだわからないけど、そもそも今の私はまだ伯爵に報告できるところまでたどり着いていないわけだし」
「まあ、ほどほどにな。気合が空回りしてディリィに引かれないようにしておけ」
「ちょっと、ヴェルノー様」
「なんだ、釘を刺してやってるだけじゃないか」
それはありがたいと言えばありがたいのだけれど、そういうことは目の届かない範囲でやってほしい。そんなことを眼前でやり取りされても、どう反応してよいものか全くわからないのだ。この距離であれば、聞こえないふりもできやしない。
抗議をしたコーデリアにシルヴェスターもゆるく笑った。
「とりあえず、一杯お茶だけでも飲んで行ってよ。私も最近はうまく淹れられるようになってきたから」
「……え? 殿下が淹れてくださるのですか?」
ヴェルノーが以前美味しい紅茶が飲めると言っていたのは覚えているが、まさかシルヴェスター自身が淹れるとは想像していなかった。聞き返してしまったけれど、今の言葉はどう考えてもシルヴェスターが自身で淹れると言っている。
しかしシルヴェスターから返事がない。
「殿下?」
「その、悪いんだけど……可能であれば、殿下ではなく名前で呼んでほしいなぁ、と……」
「ええっと……」
「もちろん人前では『殿下』でも構わないよ。ヴェルノーだってそうしてるし」
確かに先ほどヴェルノーはシルヴェスターのことをジルと普段から呼んでいるようなことを言っていたので、それも間違いではない。
(友人から殿下と呼ばれるのは、遠いということなのかしら)
ただ、『シルヴェスター様』と呼ぶのは少し気が引ける。
「では……やはりジル様、でしょうか……?」
ジルではない姿にジルと呼ぶのも不思議な気はするけれど、コーデリアが知っているのはシルヴェスターではなくジルだ。同一人物であるとはいえ、シルヴェスターの側面をコーデリアは知っていない。
恐る恐る尋ねてみれば、シルヴェスターはにこりと笑った。
「ありがとう」
「いえ」
「やっぱりそう呼んでもらえるだけで落ち着くや」
そうしてほっと息をつくシルヴェスターを見て、シルヴェスターも決して余裕があるわけではないのだとコーデリアは気が付いた。
豹変というものではないかもしれないが、今までとずいぶん違う様子に戸惑っていたものの、シルヴェスターもコーデリアがどう受け止めるか緊張するところではあったようだ。
(そりゃ、告白した相手からの返事がまだで、緊張しないわけがない……よね……)
告白をしたことがないので明確にわかるわけではないが、何となく予想はできる。
そういう風に思う余裕が今までなかったけれど、そう思えば少しだけ心に余裕ができた。
もちろん申し訳なさや後ろめたさもまだあるけれど、ただ単に、この状況は一人置いてけぼりに陥っていたわけではないらしい。
そのことだけで、安心だ。
「美味しいお茶をいただきましたら、次は私もお菓子を用意せねばなりませんね」
「お、手作りか? そうなると、これはどう足掻いてでも、こちらのご令嬢に満足していただけるお茶を淹れなければいけませんねぇ、殿下?」
「……それって、まずは私が出していいと納得できるまで淹れ直すことも可能なのかな?」
茶化すヴェルノーに、本気ともとれる声色でシルヴェスターは迷っていた。
それにコーデリアとヴェルノーは思わず笑った。
(まだどう返事をさせていただけばいいのかわからないけれど、あまり構えないほうが考えも早くまとまるのかもしれない)
少なくとも賭けを笑顔で握りつぶしたシルヴェスターは、外堀から埋めるようなことはしていない。それなら改めて向き合い、考える時間もきちんと取ることができるはずだ。
ぶつぶつとどの紅茶を選ぼうか真剣に考えているシルヴェスターを見て、コーデリアはそうはっきりと感じた。




