第九話 我が秘宝、俗物を蕩かす
森から持ち帰った岩塩は、小山のように、クラウディアの家の庭に積み上がっていた。
白銀に輝く、大量の塩の原石。これが金になる——誰もが、そう確信していた。
だが、そこには、ひとつ問題があった。
「……白銀の宝、いまだ真の姿を現出せず」
(このままだと商品にならないなぁ)
クラウディアは、岩塩の塊を手に取り眉をひそめた。採ってきたばかりの岩塩は、土や不純物が混じりごつごつとして黒ずんでいる。商品として売るには、これを砕き不純物を取り除き真っ白な塩に精製せねばならない。
「案ずるな。かかる雑物、我が闇の魔力にて——」
クラウディアが、岩塩に手をかざす。
すると——ぼぼぼっ、と....魔力に反応した岩塩がなぜかぶすぶすと黒い煙を上げ始めた。
「……む?」
じゅわ……と、塩の一部が焦げたように変色していく。
「……むむ?」
(あれ? なんか、黒くなってる……?)
クラウディアは、慌てて手を引っ込めた。手の中の岩塩は、精製されるどころか、無残に焦げついて、余計に汚くなっていた。
「……ぬ」
(え、なんで? 魔法で綺麗にできると思ったのに……)
もう一度、試す。今度は、そっと。
ぼぼっ。
「…………」(またダメだった……)
大地を割り、崖を崩し、業火を振るうなど規格外の魔力を誇るクラウディアであったが——こと【塩を精製する】という繊細な作業に関しては、まるで勝手が違った。力で大地を動かすことはできても、塩の結晶を傷つけず不純物だけを選り分ける——そんな器用な芸当は魔法の領分ではなかったのだ。
「おーい、クラウ。どうしたわけ? さっきから、塩、焦がしてない?」
通りかかったラナが、きょとんと首をかしげる。
「……ふ。これは、その。塩に宿りし不浄を祓っておるところよ」
(ぜんぜんうまくいかない……。魔法って、万能じゃないんだ……)
「ふーん? なんかクラウが触ると、塩どんどん黒くなってってるけど……」
「…………」
クラウディアは、無言で、そっぽを向いた。その耳がほんのり赤い。
——と。
「なんじゃ、騒がしいのう」
のっそりと、工房から顔を出したのは、ゴブじいことダビンだった。庭に積まれた岩塩と、その傍らで焦げた塩を握りしめ、いじけたように黙り込むクラウディアを見てぎょろりと目を丸くする。
「……お前さん。まさか、その岩塩魔法で精製しようとしとるのか?」
「……いかにも」
「たわけ。塩ってのはな、そんな力任せにどうこうするもんじゃねえ」
ダビンは、やれやれと首を振ると、岩塩の塊をひょいと一つ拾い上げた。
「貸してみい。……こんなもん、こうして——」
そこからの、ダビンの手際は鮮やかだった。
まず、岩塩を細かく砕く。それを大鍋に張った水に溶かす。じっくりと熱し布で濾して土や砂といった不純物を取り除く。そうして澄んだ塩水を、今度はゆっくりと煮詰めていく。
数刻後、水分が飛び鍋の底に——真っ白なきらきらと輝く美しい塩の結晶が残った。
「……ほれ。できたぞ」
ダビンが、こともなげにそれを差し出す。
その手のひらの上には、雪のように白くさらさらとした上質な塩が山盛りになっていた。
「おお……! おおおおっ! これぞ、我が求めし白銀の精髄よ!」
(すごい! すごいよゴブじい! こんなに真っ白になった!)
「ふん。岩塩を溶かして、濾して、煮詰める。ただそれだけのことよ」
ダビンは、鼻を鳴らしたが、その顔は、まんざらでもなさそうだった。
「言っとくがな。この精製なんぞ、慣れりゃ誰でもできる。……むしろ、あんな死の崖から、こんな山ほど岩塩を採ってくるほうが、よっぽど一苦労だぞ。まったく、どういう手品を使ったんだか」
「ふ。それを語るは、禁忌よ」
(採り方は、ちょっと言えないんだよね。えへへ)
こうして....
クラウの採取と、ダビンの精製。二つが合わさり、ついに——売り物になる、極上の塩が、完成したのだった。
◇
数日後...
「こ……これはっ……!!」
代官屋敷。
クラウディアが持ち込んだ塩の見本を前にボルクは、でっぷりとした体をわなわなと震わせていた。
その、脂ぎった指が、そっと塩をつまみそれを舐める。
「う、美しい……! なんという白さ、なんという純度! こ、こんな上質な塩、王都の高級店でも、そうそうお目にかかれませぬぞ!?」
ボルクの目が、ぎらぎらと、金貨の色に輝いた。
塩は、貴重品だ。それも、これほど高純度のものとなれば値は青天井。
売れば、莫大な富になる。商才だけは持ち合わせているこの俗物は、一瞬でその価値を見抜いていた。
「く、クラウディア様! こ、これほどの量を、いったい、どこから——」
「問うな」
クラウディアが、す、と手をかざし、ボルクの言葉を遮った。
「その塩の出処は、闇の淵。我が秘中の秘よ。凡俗の知るところにあらず」
(採ってきた場所は、内緒。教えたら、みんなが群がって危ないし、王国に目をつけられちゃうからね)
「は、はぁ……」
「よいか、ボルク。汝に課すは、ただ一つの使命。この白銀を、しかるべき地へ、然るべき対価とともに解き放て。……その源泉を詮索すること、まかりならぬ。汝はただ、流れを司る水路たれ」
(この塩を、いい場所で、いい値段で売って。どこから来たかは詮索しないで。あなたは流通だけ担当してね)
ボルクは、ごくり、と唾を飲んだ。
出処は、分からない。だが——目の前のこの令嬢は、闇で炎を喰らい、兵を一撃で沈めた、得体の知れぬ化け物だ。 その「秘中の秘」を詮索するなど——考えただけで、背筋が凍る。
(う、迂闊に詮索せぬほうが、身のためだ……! このお方の機嫌を損ねれば、儂の魂も、闇の淵とやらに引きずり込まれかねん……!!)
出処が分からないからこそ、かえって恐ろしい。ボルクの中で、クラウディアへの畏怖は、いや増すばかりだった。
「しょ、承知いたしました! この塩の流通、このボルクめに、すべてお任せを! 幸い、儂には、王都や地方都市の商人との、太いつながりがございます! 『辺境の秘塩』として、高値で売りさばいてご覧に入れましょう!」
現金なもので、金の匂いを嗅ぎつけたボルクは、すっかり乗り気だった。
「うむ。励むがよい」
(よろしくね、ボルク)
こうして、塩は、ボルクの持つ正規の商流に乗り、「辺境の秘塩」の名で、売り出されることとなった。
産地は不明、製法も不明、ただ、極上の品質だけが、確かな謎めいた特産品として。
その希少性は、かえって商人たちの購買欲を煽り——塩は、飛ぶように売れた。
◇
それから、数日。
塩の初取引が、大成功を収めた祝いだと言ってボルクがいそいそと居住区へやってきた。
その手には、大きな包みが抱えられている。
「クラウディア様ぁ! こ、これを、どうぞ! 王都から取り寄せた、高級な菓子でございます! ぜひ、召し上がってくださいませ!」
包みを開くと、中には色とりどりの焼き菓子が、ぎっしりと詰まっていた。
露骨なご機嫌取りである。
「ふむ」
クラウディアは、その菓子を一つ、つまみ上げ——そして、周りに集まってきていた子供たちへと、差し出した。
「闇の眷属の子らよ。汝らも、食すがよい」
(はい、みんなで食べよ)
「わあ……! いいの!?」
子供たちが、目を輝かせて菓子に群がる。うさぎ耳の女の子も、ちょこんと受け取っておそるおそる口に運んだ。
「……! おいしーっ!」
ぱあっ、と、子供たちの顔が、輝いた。ほっぺたを押さえて、きゃっきゃとはしゃぐ。
その様子を——
ボルクは、複雑そうな顔で、見ていた。
自分がクラウディアに媚びるために買ってきた菓子が、よりにもよって、魔物の子供に食われている。かつての彼ならば、『けだものに、儂の菓子を!』と、激怒したところだろう。
だが。
菓子を頬張り、幸せそうに笑う、その小さな顔を見ていると——なぜだか、その怒りは、湧いてこなかった。
「……ぐ。ぐぬぬ」
ボルクは、なにやら、むずむずとした、居心地の悪い顔をした。そして、ぷいとそっぽを向いて——吐き捨てるように言った。
「え、ええい! そんなに、うまいか! ……ま、また、買ってきてやる! だ、だが、儂が直接やるのではないぞ! クラウディア様に渡すのだ! クラウディア様から貰え! よいな!?」
早口で言い捨てると、ボルクは逃げるように、そそくさと帰っていった。
その、真っ赤になった耳を隠しもせずに。
「……なにあれ。ボルクのおっさん、超わかりやすいじゃん」
ラナが、あきれたように、ぷっと吹き出す。
クラウディアも、くすりと笑った。
「ふ。凍てついた俗物の魂にも、光は差すものよ。……あの男、根の底まで闇に堕ちてはおらなんだか」
(お菓子、また買ってきてくれるって。子供たちに懐かれて、まんざらでもないみたいだね。……ふふ、素直じゃないなあ)
差別に凝り固まっていたはずの俗物の心にもほんの小さな春の芽吹きが。
子供たちの無邪気な笑顔は、いつのまにか頑なな大人の心すら少しずつ、溶かし始めていたのだった。




