第十話 我、民に問う「汝、何を欲する」
【辺境の秘塩】は、飛ぶように売れた。
ボルクが持ち帰ってきた初取引の売上は、ずしりと重い革袋いっぱいの金貨となって、クラウディアの前に積まれた。魔物たちが、生まれて初めて目にする大金だった。
「うむ。上々の首尾よ」
(やった! こんなに売れるなんて!)
クラウディアは、満足げに頷くと、傍らに控えていた二人——ゴルドーとゴブじいを、振り返った。
「さて。これより、この白銀の実りを、いかに分かつか。まずは汝ら二人に、取り分を授けようぞ。ゴルドー。そして、ダビン——」
「……は?」
ゴルドーが、きょとん、とした。
「なぜ、俺に聞く」
「む?」
「取り分、だと? ……なぜ、俺が、それをもらう話になる」
ゴルドーは、本気で、意味が分からない、という顔をしていた。クラウディアもまた、同じ顔で、首をかしげる。
「はて。異なことを申す。塩の在り処を我に示せしは、汝。ともに魔の崖へ赴きしも、汝であろう。功ある者が実りを得る——これ以上の道理が、どこにある」
「…………」
「ダビンよ。汝とて同じ。汝の技なくば、あの岩塩は、ただの石くれのまま朽ちたであろう。汝の業が、石を金に変えたのだ。であれば——」
「ま、待て待て待て」
ゴブじいが、慌てて手を振った。その皺だらけの顔が、戸惑いに歪んでいる。
「なんで、儂がもらえるんじゃ。儂は、ただ、塩を煮ただけじゃぞ? そんなもんで、金を……いや、そもそも、な」
ゴブじいは、言葉を選ぶように、ぼそぼそと続けた。
「儂らは……魔物だ。人間様の下で、働いて。成果は、取り上げられて。それが、当たり前だった。もらうなんて……そんなこと、考えたこともねえ」
その言葉に、ゴルドーも、静かに頷いた。
「……ああ。俺たちは、そういうふうに、生きてきた」
しん、と。
その場に、重い沈黙が落ちた。
働いても、奪われる。成果は、当然のように、取り上げられる。対価をもらうという、ただそれだけのことを——彼らは、知らなかった。「もらえるわけがない」と、心の底まで、思い込まされていた。
それが、どれほど残酷なことか。
クラウディアは——理解が追いつかなかった。
(え……。なんで? みんなで働いて、みんなで得たお金なのに。なんで、受け取らないの? ……そんなの、当たり前のことなのに)
クラウディアにとって、それは、あまりにも自然な道理だった。共に汗を流した者が、その実りを分かち合う。人として、当たり前のこと。
だが、その「当たり前」を、この者たちは生まれてから一度も与えられてこなかったのだ。
「…………ふ」
クラウディアは、静かに口を開いた。
「よかろう。ならば——この地に、新たなる理を刻もうぞ」
すっと、二人を見据える。その双眸に、静かな光が宿った。
「聞け。これは施しにあらず。憐れみにもあらず。汝らが、汝らの爪牙で、汝らの血と汗もて掴み取りし——正当なる戦利品だ。誇りとともに、受け取るがよい。奪われるがままの旧き世は、今この時をもって終わる。これよりは——我が理となろう」
(あなたたちが働いたから、得られたお金。だから、あなたたちが受け取るのは、当たり前のこと。……もう、奪われるだけの毎日は、終わりにしよう)
ゴルドーと、ゴブじいが、息を呑んだ。
その言葉の意味を——長年、諦めることに慣れきった心が、ゆっくりと、ゆっくりと、噛みしめていく。
「……そう、か」
ゴルドーの、太い声が、かすかに、震えた。
「もらって、いいのか。俺たちも……」
「無論よ」
クラウディアは、力強く、頷いた。
「なら....やりたいことがある...俺達が金貨をもらったとしてもまともに物も買えない。だからかわりにみんなから欲しいものを聞いて買ってやってほしい」
「ふむ。我が眷属の願いたしかにこのクラウディアが聞きとどけよう!!!」
(たしかに、このまま金貨でわたしても欲しいものがかえなかったら意味がないもんね!)
金貨をそのまま配ったところで、問題がある。魔物たちが、その金を持って町の店へ行けば、どうなるか。「魔物風情が」と、法外な値をふっかけられ、買い叩かれるのが、目に見えている。差別は、こんなところにまで、根を張っているのだ。
「では、この我が一人ひとりの魂に、直々に問おうぞ。汝、何を欲する、とな」
必要なものを、直接聞く。そして、その品を、ボルクの伝手で、正規の値で仕入れ、配る。そうすれば、誰も、買い叩かれることはない。
「我が闇の盟友。ラナ、汝も我が供をせよ」
「んー? いいけど。何すんの?」
「我が眷属の望みを、この耳で聴いて回るのよ」
(みんなが、何を欲しがってるのか。ちゃんと、知りたいから)
こうして、クラウディアとラナの、風変わりな聞き取りが、始まった。
◇
最初に訪ねたのは、あのうさぎ耳の女の子の、家だった。
「さあ、何なりと望みを申せ。闇の眷属の子よ」
クラウディアがそう問うと、女の子は、うーん、と、ちいさな眉を寄せて一生懸命に考えた。
そして——
「あのね。あのね、わたしじゃなくて、おかあさんにあったかい肩掛けをあげたいの!」
「……ほう」
「おかあさんがね、いつもねさむそうにしてるの。わたしのはおかあさんが作ってくれたのがあるのに、おかあさんのは、ふるいのしかないの……だから、おかあさんのあたらしい肩掛けがほしいの!」
自分の物ではなく、母のための願い。その小さな胸に宿った優しさにクラウディアは目を細めた。
「——よき願いかな。その健気なる祈り、この闇の名において、しかと聞き届けた」
(えらいね。ちゃんと、叶えてあげるからね)
次に訪ねたのは、若いゴブリンの青年だった。彼は、照れ臭そうに、頭をかいた。
「お、おれは……その、まともな、仕事道具が欲しいっす。今の、錆びた道具じゃ、ろくなもんが作れねえ。ちゃんとした道具があれば、もっと、街の役に立てると思うんで」
自分の欲ではなく、街のため。その心根に、ラナが「おー、青年、いいこと言うじゃーん」と、けらけら笑った。
「ふ。己より街を思うか。……天晴れな心根よ。汝が望み、我が闇にかけて贖おう」
(いい心がけだね。ちゃんとした道具、用意するからね)
そうして、幾人もの望みを聞いて回った。皆、慎ましい願いばかりだった。誰も、贅沢は言わなかった。ずっと、諦めてきたからこそ、その願いは、どこまでも、ささやかだった。
やがて、一軒の、古びた家にたどり着く。
そこには、一人の、年老いた住人が住んでいた。背の曲がった、白髪の老爺。長い年月を、この差別の地で、生き抜いてきた者だった。
「翁よ。汝は、何を欲する。我が闇の名において遠慮は無用!」
だが、老人は、しわがれた声でこう答えた。
「……儂は、何もいらんよ」
「む?」
「ほれ...もう、この歳さ。今さら欲しいものなど……ないさ。儂の分は、若いもんにでも回してやってくれ」
その言葉に、クラウディアは、ふと寂しさを覚えた。
これは、謙遜ではない。この老爺は——「望む」ということ、そのものを忘れてしまっているのだ。何十年も、「魔物は、望んではいけない」と言い聞かされ続けて願いを持つ心すら擦り切れてなくなってしまっている。
それは、差別が刻んだ最も深い傷だった。
「……翁よ」
クラウディアは、その老魔物の前にしゃがみ込んだ。そして、静かにたずねた。
「望むことは、罪にあらず。……たったひとつでよい。汝が魂の奥、いまだ消えぬ熾火はないか。遠き日に、心震わせし、ささやかな灯は」
(何十年我慢してきたの?……もう、いいんだよ、ひとつくらい願ったって)
老魔物は、しばらく黙っていた。
皺に埋もれた目が、遠い、遠い昔をたどるように揺れた。
そして——ぽつり、と。
「……昔なぁずうっと若い頃に、一度だけ人の町の商人からこぼれ落ちた……甘い...甘い果実を拾って食うたことがある。あんな、うまいものは……後にも先にも、あれきりでなぁ」
震える声が、続けた。
「…叶うなら…もう一度だけ。あの赤い果実を....食いたい...のう」
ささやかすぎる願いだった。たった一つの赤い果実。それが、この老爺が、何十年もの果てにようやく口にした望みだった。
「闇の眷属よ!——しかと、その願い聞き届けた」
クラウディアの声は、少しだけ掠れていた。
「案ずるな、翁。その甘露、我が必ずや汝がもとへ届けよう。——否。一つと言わず、汝が食い切れぬほど山と積んでくれるわ」
(絶対に。絶対に、届けるから。……もう、我慢しなくて、いいんだよ)
◇
聞き取りを終え、帰り道。
夕焼けに染まる居住区を、クラウディアとラナは、並んで歩いていた。
「……ねえ、クラウ」
ラナが、ぽつりと、口を開いた。いつもの、けらけらとした調子はなかった。
「あたしさ。ずっと、当たり前だと思ってたんだ。あたしらは、もらえない。望んじゃいけない。……そういうもんだって」
「……」
「でも、クラウは、違うって言う。当たり前に、あたしらに聞いてくれる。何が欲しい?って……なんか、それだけで...それだけで、あたし……」
ラナの声が、詰まった。猫の耳が、ぺたんと伏せられる。
その先を、クラウディアは、言わせなかった。
「ラナよ」
ふわりと、笑って。
「これは、序章に過ぎぬ。やがてこの地は、あらゆる者が望みあらゆる者が笑いさざめく豊穣の都と化そう——闇に選ばれし我が、この名にかけて、そう成してみせる」
(あなたたちが、我慢しなくていい街を。ちゃんと、作るから。約束する)
「……っ、うん! うん!」
ラナが、ぐしぐしと目元を拭って、大きく頷いた。その顔には、もう、いつもの明るい笑顔が戻っていた。
その日から。
クラウディアは、ボルクを通じて聞き取った望みの品々を次々と揃えていった。あったかい肩掛け。新しい仕事道具。そして——山ほどの、赤い...甘い果実。
それらが、魔物たちのもとへ届けられたとき。
居住区は、これまで見たこともないようなあたたかな笑顔と涙で満ちあふれたのだった。




