第十一話 我が街に、市(いち)が立つ
塩が、街を変えていった。
あの死の崖への道は、今や、すっかり整備されていた。クラウディアが「闇の御業」で切り拓いた道を、魔物たちが踏み固め、手すりをつけ、荷車が通れるほどに広げたのだ。おかげで、かつて命がけだった崖は、今では皆が安全に通える「塩の道」となっていた。
塩づくりは、見事な分業で回っていた。
屈強な男衆が、崖から岩塩を切り出す。それを、崖のふもとに設けた作業場へ運び、ラナや、うさぎ耳の子の母をはじめとする女衆そして手の空いた老人たちがゴブじい直伝の手順で丁寧に精製する。そうして出来上がった純白の塩を、荷車に積み隊列を組んで町へと運ぶ。
誰も、遊んではいなかった。誰も、余され者ではなかった。それぞれが、それぞれの持ち場で、汗を流し——その汗が、確かな「富」となって街に還ってくる。
「辺境の秘塩」は、ボルクの商流に乗って、面白いように売れた。その利益は、居住区に目に見える形で還元されていく。まともな食料、あたたかな衣類や頑丈な建材。かつて「魔物には過ぎたもの」とされていた品々が当たり前のように人々の暮らしを潤していった。
魔物たちの顔つきも、変わってきた。俯きがちだった目線は上がり諦めに沈んでいた声には張りが戻った。
そんな、ある日のこと。
代官ボルクが、めずらしく、思い詰めた顔で、クラウディアのもとを訪れた。
「クラウディア様。折り入って、ご提案が……」
「ふむ。申してみよ、俗物よ。汝の胸中この我が聞き届けよう」
(あれ? ボルク、なんだか神妙だね)
ボルクは、脂ぎった額の汗を拭いながらおずおずと切り出した。
「その……儂、考えたのですが、せっかく皆が金を得てもそれを使う場所がないのです。金はつかえなければ価値がわからない。しかし町の店は...その……相変わらず、魔物には法外な値をふっかけますしそもそも入れてもらえんことも多い」
「……うむ」
その通りだった。いくら稼いでも、それを使う場が、外の町の店しかないのでは、結局そこで搾取されてしまう。差別は、「売る」場面にも、根を張っているのだ。
「そこで....です」
ボルクは、ごくり、と唾を飲み意を決したように言った。
「この居住区の中に……店を作りましょう!魔物たちの、魔物たちによる店を...ここでなら、誰も法外な値を取られることはない。稼いだ金が、この街の中でぐるぐると回る。……そういう、仕組みを作るのです。仕入れは儂が引き受けますので...」
しん、と、クラウディアは、ボルクを見つめた。
ボルク自身も、自分の言葉に戸惑っているようだった。
——なぜ、儂は、こんなことを考えているのだ?
かつての彼ならば、あり得なかった。魔物のために、知恵を絞るなど...魔物が、豊かに暮らす仕組みを作ってやるなど...「けだものに、そこまでする道理があるか」と、鼻で笑っていたはずだ。
だが、今の彼は——気づけば、真剣にこの街の未来を考えていた。
(子供らが、菓子を食う、あの顔が……ちらついて、いかん)
自分でも、認めたくないその変化に、ボルクは居心地悪そうに身をよじった。
一方、クラウディアは...
「……ふ。ふふ」
小さく、笑っていた。
「な、なにか、可笑しなことを、申しましたかな……!?」
慌てるボルクに、クラウディアは、ゆるりと首を振る。
「いや。天晴れなる献策よ!ボルク我が眷属よ。凍てついた汝の魂に芽吹いた、その知恵——見事!見届けた」
(すごいじゃない、ボルク。ちゃんと、みんなのこと考えてる。……あなた、変わってきたね)
クラウディアは、その提案を心から称賛した。
これは、まさに、クラウディアが目指していたものだった。街が、自分の力で富を生みその富が、街の中で循環する。外の世界に、搾取されない、自立した経済圏。
それを——よりにもよって、かつて最も差別的だった、このボルクが、自ら提案してきたのだ。
(人は、変われる。……ゴルドーも、ゴブじいも、ボルクも。少しずつ...でも...確かに。
……ふふ、なんだか、嬉しいな)
「よかろう。ならば、この地に、新たな理を打ち立てようぞ。名づけて——『常闇の市』! 我が眷属らの、富の循環せし聖域よ!」
(みんなのお店、作ろう!)
「と、常闇の市……! はっ、ただちに、手配を——!」
こうして、居住区の中心に街ではじめての「店」を作る計画が動き出した。
◇
計画は、とんとん拍子に進んだ。
広場に面した一角に、ゴブじい指揮のもと大きな木造の建屋が建てられる。棚が並び、量りが据えられ、そこに商品が並んでいく。
外から仕入れた、日用の品々。そして——街の者たちが、自ら作った品々。
若いゴブリンが打った鉄の農具。手先の器用な獣人が編んだ丈夫な籠。うさぎ耳の子の母が、あの新しい肩掛けのお返しにと縫ったあたたかな衣。それぞれが、それぞれの手仕事を、持ち寄っていく。
「うっわ、なにこれ! すごいじゃん!」
開店の日。店に並んだ品々を見て、ラナが目を輝かせた。
「ここで、みんなの作ったもの、売れるってこと!? あたしの採ってきた薬草も!?」
「無論よ、我が闇の盟友。この市は、汝ら自身の手が生みし、汝ら自身のための聖域。何を売り、何を購うも、汝らの意のままぞ」
(みんなが作ったもの、みんなで売り買いできる。ここは、そういう場所だよ)
魔物たちが、おそるおそる店に足を踏み入れる。
そして——自分たちの作ったものが、きちんと値をつけられ売れていく。買い叩かれることも、蔑まれることもなく。当たり前の商いがそこにあった。
生まれて初めて、「客」として扱われ「売り手」として認められる。その、当たり前の尊厳に——魔物たちは、静かに、打ち震えた。
「……なあ、クラウ」
店の賑わいを眺めながら、ゴルドーがぽつりと言った。
「今まで...考えられなかった。俺たちが、こうして……人と同じように物を売り買いして笑ってる。こんな日が来るなんてな」
その、太い声には、深い.....感慨が滲んでいた。
「ありがと.....」
「ふ。これしきで瞠目するには、まだ早いぞ、ゴルドー」
クラウディアは、ゴルドーの言葉を遮り、賑わう市を見渡し不敵に笑った。
「この地は、いまだ産声を上げしばかりの雛。いずれは王都すら影に沈める、豊穣の都と化してみせよう。——その黎明を、しかとその目に焼き付けておくがよい」
(もっともっと、大きくするから。みんなが、幸せに暮らせる街に。楽しみにしててね)
その言葉を、ゴルドーは、もう疑わなかった。
この、風変わりな令嬢の言うことなら——きっと、本当に成し遂げてしまうのだろうと。
そう、思えるようになっている自分がいた。
賑やかな市の喧騒が、あたたかな陽光の下いつまでも響いていた。
——この、ささやかで、かけがえのない平穏が。
やがて、無残に打ち砕かれることを。この時は、まだ誰も知らない。




