第十二話 我が留守を、災禍が襲う
その日、塩の輸送はいつも通りに始まった。
「よーし、今日も張り切っていこー!」
ラナが、荷車の上でうんと伸びをする。荷台には、精製されたばかりの純白の塩が麻袋に詰められ山と積まれていた。これを、町のボルクのもとへ運べば、また街の実りになる。
輸送隊は、総勢十数名。ゴルドーを頭に、屈強な男衆が数名、そして荷運びや道中の世話をする女衆と、それにどうしてもついて行くと聞かなかった数人の子供たち。あのうさぎ耳の女の子もその中にいた。
「こら、あんまり端に寄るなよ。危ねえからな」
ゴルドーが、子供たちに太い声で釘を刺す。その横顔は、以前の険しさが嘘のように穏やかだった。
平和な道行きのはずだった。
塩の道を、半分ほど進んだ森の際...
——それは、突然だった。
グルルルル……
低い唸り声が、茂みの奥から響いた。
ゴルドーの足が、ぴたりと止まる。
全身の毛が逆立った。この気配を...この殺気を...彼は、よく知っていた。
「……全員、止まれ」
低く...鋭い声。
次の瞬間。
ガサッ——!!
茂みを割ってそれは、飛び出してきた。
灰色の巨躯に裂けた口。血に飢えた、金色の瞳....狼だ。それも、尋常な大きさではない。人の背丈ほどもある、巨大な魔狼だった。しかも——一頭ではなかった。
一頭、二頭、三頭……次々と、茂みから現れる。
さらにその奥、地面を揺らして、のっそりと姿を見せたのは——見上げるほどの、巨大な熊。爛々と光る双眸が、輸送隊を、獲物として捉えていた。
モンスターの群れだった。
言葉を持たず、ただ人を襲う。魔物とは、まるで違う純粋な暴力の化身。
冬を前に飢えた獣たちが、餌の匂いに——あるいは、塩の匂いに、引き寄せられたのだ。
「……ちっ。よりによって、この数か」
ゴルドーが、舌打ちする。
輸送隊に、戦える者は多くない。屈強な男衆とて、しょせんは荷運びだ。
狩人ではない。まして、この数のモンスターを相手取れるのは——
「くそっ...アーシェラがいれば……!」
思わず、ゴルドーの口からその名が漏れた。
街の守りの要たるあの戦士。精霊に愛されしエルフの彼女さえこの場にいればあるいは...
だが——彼女は今、この場にはいない。冬を越すための、狩りのために、遠く離れた地へと赴いていた。皆を、飢えさせぬために。
守り手のいない時...それを、狙われた。
「——来るぞ! 女子供を、真ん中に! 荷車を、盾にしろ!」
ゴルドーが、吼えた。
刹那、魔狼の群れが殺到する。
ゴルドーは、その巨躯を真っ向からぶつけていった。丸太のような腕が、飛びかかる魔狼を、殴り飛ばす。ぐしゃり、と、鈍い音。だが、一頭を退けても、二頭、三頭が、牙を剥いて襲いかかる。
「ぐ、おおおっ!」
男衆も、必死に応戦する。棍棒を振るい、鍬を叩きつけ、女子供を守ろうと身を挺する。
だが——多勢に、無勢だった。
しかもモンスターは、狡猾だった。ゴルドーという最大の脅威に、数頭が群がって足止めし、その隙に別の個体が手薄な方へと回り込む。
その、手薄な方に——
「きゃあっ!」
逃げ遅れた、あのうさぎ耳の女の子がいた。
転んだのだ...逃げる途中で、足がもつれて。
その、小さな体に——一頭の魔狼が、牙を剥いて躍りかかる。
「————!!」
ゴルドーが、気づいた。だが...遠い。彼は今、三頭の魔狼に囲まれている。そして、その足は——あの、古傷の足は.......
こんな時に、また。ほんの、数歩が届かない。
「(間に合え——ッ!!)」
ゴルドーの絶望の形相。
——だが。
「させないっ!!」
影が一つ。
飛び込んだ。
ラナだった。
猫のような身のこなしで、女の子と魔狼の間に割って入る。そして、我が身を盾に女の子を庇った。
「ラナ——!!」
魔狼の牙が。
ズブリ.......!!
ラナの、左腕に無情にも深々と——喰らいついた。
「……ぁ、あああああっ!!」
鮮血が、飛び散る。
ぶちり、と、嫌な音がした。魔狼が、獲物を引きちぎろうと猛然と首を振る。ラナの腕が、ありえない方向にねじ曲がり——裂けていく。
「ラナ! ラナぁっ!!」
女の子が、泣き叫ぶ。
だが、ラナは血を流し、激痛に顔を歪めながらも——それでも、女の子を抱きしめる腕を離さなかった。
「……にげ、て……はやく……」
かすれた声で、そう言ってラナは、なおも幼子を庇い続ける。もう一頭の魔狼が、その無防備な背に、顔に、襲いかかっても——決して。
「おのれェ——ッ!!」
その時、ゴルドーの中で、何かが爆発した。
囲む三頭を、なりふり構わず、その身に牙を受けながら力尽くで薙ぎ払う。
「どけぇぇぇぇぇぇっ!!!」
背に、爪が食い込む。噛みつかれていた脇腹が、裂ける。だが、構わなかった。血振りをまき散らし鬼の形相で、ゴルドーはラナのもとへ突進した。
「ラナから、離れろォォッ!!」
丸太のような拳が、魔狼を女の子ごと庇うラナから引き剥がす。
渾身の一撃で、巨大な熊すらたじろがせる。
「グルァアアッ!」
ドゴォァッ!!
巨大な熊の顔面にゴルドーの拳がめり込む。熊がたじろぎ踵を返し逃げていった。そこからゴルドーは鬼神のごとき働きだった。
背を裂かれ、脇腹から血を流し、満身創痍でありながら。それでも、彼は倒れなかった。倒れるわけにはいかなかった。守るべき者が、背後にいるのだから。
やがて——数を減らし、手負いの獲物にこれ以上の犠牲を嫌ったか。
モンスターの群れは、じりじりと後退し——森の奥へと消えていった。
「はぁっ……はぁっ……」
静寂が、戻る。
ゴルドーは、肩で、荒く息をしながら辺りを見回した。
——悲惨な状況だった。
倒れ伏す、負傷者たち。血に染まった地面。泣きじゃくる、子供たち...かろうじて、命を落とした者はいない。だが、深手を負った者があまりに...多かった。
そして..............
「……ラ、ナ……」
その中心でラナが倒れていた。
左腕は、ちぎれかけ赤く染まっている。庇い抜いた顔の、片目のあたりも鋭い爪に裂かれていた。それでも、その腕の中には——無事な、うさぎ耳の女の子がしっかりと抱かれている。
「ラナ! おい、しっかりしろ、ラナ!!」
ゴルドー自身、背も脇腹もぱっくりと裂け立っているのが不思議なほどの重傷だった。だが、彼は自分の傷など目に入っていなかった。
ふらつく足で、ラナに駆け寄る。
「……ゴ、ルドー……あの子は……?」
「無事だ! お前が、守ったんだ! だから——だから、しゃべるな! 血が……くそっ、血が、止まらねえ……!」
ゴルドーの太い声が震えた。
これほどの傷....街の、まともな手当てでは——いや、たとえどんな手当てをしようと助かるかどうか...魔物に、回復魔法などという、救いはない。ポーションを買う金があっても、売ってくれる者すらいない。
それが——彼らの生きてきた世界だった。
「……だ、誰か! 誰か、街へ走れ! クラウディア様に、報せろ——ッ!!」
ゴルドーの、悲痛な叫びが、森にこだました。
◇
「——ッ!!」
その報せを聞いた時。
クラウディアは、街の外れの自らの居城にいた。
「怪我人だと……!? モンスターの...襲撃!?みんなは大丈夫なの!!!?」
血相を変えて、駆け出す。厨二の仮面も、悠長な足取りも、かなぐり捨てて...ただ、ひたすらに走った。
(ラナ……! みんな……! お願い、無事でいて……!)
胸の奥で、心臓が早鐘を打つ。嫌な予感が、全身を締めつける。
そうして——輸送隊が、運び込まれた広場へ。
たどり着いた、クラウディアが目にしたものは。
血の匂いと、うめき声と、涙に、満ちた——変わり果てた光景だった。
「——これは……!」
クラウディアの、瞳が。
大きく見開かれた。




