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第十三話 我(われ)が理となろう

血の匂いが、広場に満ちていた。

クラウディアが駆けつけた時、そこは地獄だった。

うめき声...すすり泣き...地面に横たえられた無数の負傷者。

手当てをする者の手も、足りていない。

あるだけの布が、みるみる赤く染まっていく。


「クラウディア様……!」


魔物の一人が、彼女に気づいて顔を上げた。その目には、諦めが色濃く滲んでいた。


「もう、だめかもしれねえ……手のひどい奴らは、とても……」

「——狼狽えるな、我が眷属よ」


クラウディアは、静かにしかし、はっきりと言い放った。

そして、一番近くで倒れていた若い獣人の傍らに膝をついた。

腹を裂かれ、青ざめた顔をした青年だった。


「案ずるな。汝の魂、この闇が黄泉路より引き戻してくれよう」

(大丈夫。絶対に、助けるから)


クラウディアの手が、その傷にかざされる。

次の瞬間——

ふわ、と。

清らかな、白い光が彼女の手から溢れ出した。

闇ではない。あたたかく、慈愛に満ちた——光の輝き。


「——え?」


周りの魔物たちが、息を呑んだ。

その光に包まれた瞬間、裂けていた青年の腹の傷がみるみるうちに塞がっていく。

血が止まり、肉が盛り上がり、青ざめていた顔に赤みが戻っていく。


「……いた、みが……消えた……?」


青年が、呆然と自分の腹をさすった。傷は、跡形もなく消えていた。


しん、と。


広場が静まり返った。

【回復魔法】それは、教会が独占する聖女の秘蹟。魔物になど生涯無縁のはずの救い。

それを——「闇魔法の使い手」と思っていた、この令嬢が...


「く、クラウディア様……! あんた、闇魔法しか……!」

「問答は、後よ。愚問を重ねる暇があらば、指の一本でも動かせ」


クラウディアは、立ち上がり次の負傷者へと歩を進めた。


「今は、ただ一つ!この地に満ちた死の神の気配から我が眷属を取り戻す!」

(説明は後でいい。今は、みんなを助けなきゃ)


そこからのクラウディアは、まさに光そのものだった。

倒れた者に、次々と手をかざす。

折れた骨を繋ぎ、裂けた肉を癒し、失われかけた命を、この世に繋ぎとめていく。

ひとり、またひとり...彼女が触れるたびに、絶望が、希望へと、塗り替えられていく。

魔物たちは、ただ涙を流してその奇跡を見つめていた。

生まれて初めて、与えられる「救い」。人として、当たり前に差し伸べられるその手に。


だが——


「……待て」


ふと、クラウディアの、手が止まった。

治療を進めるうちに、彼女は、気づいてしまったのだ。ある...違和感に。


「ラナは、いずこだ。……ラナが、おらぬ。それにゴルドーも」


一番、傷が浅い者から順に治療が進められている。

だが——あの二人がいない。


「あ、あの……その、二人は……」


魔物の一人が、言い淀んだ...そして、力なく広場の隅を指さした。

物陰.........人の、あまり通らない暗がり。

そこに——ラナと、ゴルドーは、寝かされていた。

他の負傷者から離され...まるで.....「もう、助からない者」として。


「……なぜだ」


クラウディアの、声が、低く揺れた。


「なぜ、あの二人が、あのような死の神が好みし暗がりに?」

「……傷が、ひどすぎるんです」


魔物が、涙ながらに絞り出した。


「オレたちだって救いてぇ!必死に守ってくれたあいつらを!!!!でも...オレたちの世界じゃ……助かる見込みのある奴から、手当てするしか...ねえんです。全部は、救えねえから……あんなにひどい傷は、もう……見送るしか……それが、オレたちの、掟で……」


——見送る。


助からない者は諦める。

限られた手当てを、助かる者に回す。それが、何も持たざる者たちが生き延びるために身につけてしまった哀しい掟。

助けを与えられてこなかった者たちの救いなど望めなかった者たちの....

その、諦めの掟。


「…フン………ふざけた掟よ」


ぽつり、と。

クラウディアの声が、底冷えするほど低くなった。

「そのような理、この闇の主である我が、断じて認めぬ!」


つかつかと彼女が、暗がりへと歩み寄る。


「聞け、我が眷属ども! この地に、そのような理は必要ない!」


広場中に響くクラウディアの澄んだ声。


「助かる者だけを掬い上げ、あとは死の神の元に送る——そのような理、我は認めぬ! 汝ら、ことごとくが、我が眷属! ただの一人たりとて、死の神になど、くれてやらぬ!」


その双眸に宿るのは、王者の怒り。


「それが、この世の理でないと言うのなら——」


クラウディアは、ラナとゴルドーの前に膝をつき天を衝くように宣言した。


「——我が、理となろう!!」


その言葉が、意味するもの。それをこの時、まだ誰も分かってはいなかった。

まず、彼女は二人の傷を見比べた。

ラナ——左腕がちぎれかけ、顔の片目も潰されている。むごい傷だ。

だが。


「……ゴルドー。汝のほうが深いな」


クラウディアの目は、見抜いていた。ゴルドーの背中が子供たちを庇ってその広い背を、熊の爪にえぐられ脇腹を狼に食いちぎられた傷。気合で、意識を保っているだけでその命の火は、ラナよりもなお危うい。


「されば、まず汝から——」

「……よせ」


だがゴルドーは、掠れた声で、それを拒んだ。


「……ラナを、先に...頼む...ゴホッ...そい...つは……まだ、若い.....俺...は……いい。も...う、じゅうぶん...ゴハッ...生....きた」


満身創痍で。自分こそ死にかけていながらそれでもこの期に及んで、なおこの男は——他者を先にと言う。

自分の命よりも、若い者を....守るべき者を....最後の最後まで。


「……この愚物め」


クラウディアの声が詰まった。


「汝という男は。何度、我を感服させれば気が済む」

(もう……! こんな時まで、そんなことばっかり……! だから、あなたは……)


だが、譲るわけには、いかない。

命の天秤において優先すべきは、より危うい方だ。


「黙して、我が光に、身を委ねよ。——これは、闇の長であるこのクラウディアの命である」


クラウディアは、ゴルドーの裂けた背中に手をかざした。

白い光が、迸る。

ゴルドーの、深い深い傷が塞がり始める。えぐれた背の肉が盛り上がり——


「……っ、う」


だが...

思った以上に、魔力が、持っていかれる。

ゴルドーの傷は深すぎた。これほどの、致命傷を完全に癒すのは——初めての経験だった。ごっそりと、体の芯から力が抜けていく。


(クゥッ……重い。回復魔法が、こんなに……! でも...まだ……!)


その時。


ごぷぅ...


クラウディアの口から、赤い血がこぼれ落ちた。

吐血。身の丈を、超えた魔法の行使....その......代償だった。


「——おい!?」


ゴルドーの目が、見開かれた。すぐ間近で、その血を見てしまった。


「お前……口から、血を……! よせ、やめろ! なぜ、そこまで……!」


慌てて身を起こそうとするゴルドーを、クラウディアは、光をかざしたまま鋭く制した。


「動くな。……この程度の血、闇を統べる我には、些事よ」

(大丈夫。まだ、いける……! ゴルドーを、置いていけない……!)


ゴルドーの傷が、半ばまで塞がったその時。

ぐらり、と、クラウディアの視界が、揺れた。

魔力の、枯渇。それが、目の前まで迫っていた。


「……もう、いい」


ゴルドーが、言った。傷は、まだ完全ではない。だが、峠は、越えていた。もう、この男の頑強さなら、耐えられる。


「……あとは、俺の、気合で治す。だから…俺に回復をかけてくれるつもりなら…ラナを...ラナを....頼む」

「…フッ…我が…眷属は誰もつれていかせはせぬ…」


ふらふら...とクラウディアは、ふらつく足で、立ち上がった。

そして——ラナの、傍らへと歩み寄る。

ラナは...

ぐったりと、横たわっていた。血を、流しすぎた。その顔は、蝋のように白い。


「……ラナ」


クラウディアが、呼びかける。

ラナの、まだ無事なほうの目が、ゆっくりと彷徨った。焦点が合っていない。


「……クラウ? ……そこに、いるの……?」


——その言葉に。

クラウディアの、心臓が凍りついた。

明らかにラナの状態が先ほどより悪化していた...もうほとんど見えていない。ラナの目は、すぐそばにいるクラウディアの姿すら捉えられなくなっていた。命が、こぼれ落ちていくその証だった。


「ここにおる。汝の、すぐ、そばに」

(ここだよ。ここにいるよ、ラナ)


クラウディアは、ラナの、冷たくなった手を握った。


「……えへへ。よかった……クラウの、声、聞けて...クラウの手あったかい...ねぇ」


ラナの、口元が、わずかに微笑む。


「あのさ……クラウ。あたし、さ。……クラウに会えて。ほんとに……よかった」

「……ラナ。喋るな。今、治す」

「クラウと、いた...毎日……まじで、楽しかったんだ。お店とか、塩とか……バカみたいに、はしゃいで……。あたし、こんなに、笑ったの……初めてで……あうっ...」

「よせ。……よせ、ラナ」

「だから……ありがと...あたしを...友達にしてく...れて....あなたのこと……クラ...ウって、呼ば...せ....てくれ....て……あ.........たし........ほんとに——」

「——やめてっ!!」


その瞬間だった。

クラウディアの口から、迸ったのは。

もう、「我」では、なかった。

いつもの仮面は、とうに剥がれ落ちていた。

そこにいたのは——ただ、大切な友を、失いたくない。それだけの、必死なひとりの女の子だった。


「やめてよ……! お別れみたいなこと言わないでよぉ……!」


ぼろぼろと。

クラウディアの、瞳から涙が溢れた。


「まだ、なにも、してあげてない……! これから、もっと、いっぱい……! お店だって、もっと大きくして……! ラナと、みんなと、いっぱい、笑って……! そういうの、ぜんぶ.....ぜぇんぶこれからなのに……!」


震える手を、ラナのちぎれかけた腕にかざす。


「死なないで……お願い、ラナ……! 死なせない……! わたしが、絶対に!!!死なせないから……!!!!!」


ありったけの、魔力を振り絞る。

もう、ほとんど残っていない。枯れ果てた、その底から、無理やりこじ開けるように、光を引きずり出す。


...ごぼっ...

クラウディアの口から、再び、赤い血が溢れた。二度目の吐血。


「……クラウ……? だめ、だよ……その音……クラウ、もう、魔力が……」


見えていないがラナの耳が、その吐血の音を聞きとがめた。


「……もう、いいよ……クラウ。じゅうぶん、だよ。クラウ、すごく……頑張った。だから……あたしのことは、もう……」

「——いいわけ、ないでしょ!!」


血を吐きながら。

クラウディアは、叫んだ。


「ここで、あなたを助けられないで……! 大切な人を、守れないで……! なんのための、魔法なの!? なんのための、力なの!? なんのための——貴族なのよ!!」


それは...

追放されたあの日から、ずっと、ずっと、彼女がその胸に抱えてきた——問いの答えだった。


力とは、何のためにあるのか。

貴族とは、何のためにあるのか。


——決まっている。


こういう時に。大切な誰かを守るためにあるのだ。


「うぁ、あああああああっ!!」


クラウディアの、全身が白い光に包まれた。

魔力の、枯渇も関係ない!吐血する体も関係ない!何もかも無視して!ただ【助ける】その一念だけで、彼女は奇跡を起こして見せた。


まばゆい、光がラナを包み込む。


ちぎれかけた、左腕が繋がっていく。裂けた肉が癒えていく。潰れた、片目に——光が宿る。

そして.....


「……ぇ」


ラナの、閉じかけていた両の目が。

ぱち、と。

——開いた。


「……見え、る」


かすれた声で、ラナが呟いた。


「……クラウの、顔……見える、よ……」


その、視界に。

血まみれの口元で、それでも、くしゃくしゃに、笑って泣いている——クラウディアの顔が映っていた。


「……ラナ……! よかった……! ほんとに、よかった……!」


クラウディアは、ラナにすがりついてわんわんと泣いた。

厨二も、王者の威厳も、かなぐり捨てて。

ただの女の子として、友の生還を心の底から喜んで。

その光景を。

治療を終えた魔物たちも、半ば傷の癒えたゴルドーも皆が、涙を流して見つめていた。


——闇に選ばれし、令嬢。


そう、名乗っていた娘の正体...それは誰よりも、あたたかな、光を宿した——本物の聖女だった。

いや...

聖女などという、言葉すら彼女には、生ぬるいのかもしれない。

彼女はただ——己の理を貫いただけ。


『一人も、見捨てぬ』


その、たった一つの理をこの差別に満ちた世界に力ずくで刻みつけた。

そして——その日。

魔物たちは、悟ったのだ。

この娘に、ついていこうと。

この、クラウディア・フォン・ヴァルンシュタインという、規格外の令嬢が自分たちの、光なのだと。


「……クラウ」


半身を起こしたゴルドーが、掠れた声で呼んだ。

そして——この、辺境一の豪傑は誰よりも頑なだったこの男は。

その、大きな体を折りクラウディアに向かって——深く、深く、頭を垂れた。

膝をついて。


「あんたに……この命、預ける。あんたの征く道の、先を、見せてくれ。……一生、ついていく」


かつて、人間に、膝を撃ち抜かれた男が今、自らの意志で、一人の人間の前に膝を折る。

その膝は——もう痛まなかった。

いつのまにか、クラウディアの光が、あの古い傷跡さえ癒していたことに。

ゴルドーが気づくのは、もう少し後の話である。



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