第十四話 我が街に、エルフの戦士が帰りて
冬の、足音が近づいていた。
森の木々は葉を落とし、朝には、白い霜が降りるようになった。
そんなある日の朝、辺境の街に一団の影が帰り着いた。
エルフの狩猟隊である。
しなやかな長身に、長い耳。
背には大弓と大量の獲物——毛皮や牙。彼らは、冬を越すための食料とそして街へ納める「税」のために遠く離れた狩場へと長い遠征に出ていた者たちだった。
魔物は、人間の街に税を納めなければならない。金がなければ、奉公や奴隷という形で身をもって納めさせられる。エルフたちは、同じ居住区の仲間たちをそのような形で納めさせられないよう、その優れた狩りの技術で毛皮と牙を売った代金で、毎年人間の代官へと納めさせられていた。遠方へ遠征という最も過酷な行為を命がけで。それが、この地の魔物に課せられた理不尽の一つだった。
その、隊の先頭を歩く一人の女エルフが、ぴたり、と、足を止めた。
名をアーシェラといった。
すらりと背の高い、凛とした佇まいのエルフである。切れ長の目に、結い上げた長い髪。背には、彼女の身の丈ほどもある大弓。精霊に愛されし、辺境一の狩人にしてこの街の——本来の守りの要。
その涼やかな双眸が今、驚愕に見開かれていた。
「…な…なん...だ。これは?」
出発した時そこは、粗末な小屋が寄り集まっただけの、貧しい居住区だったはずだ。俯いて暮らす、諦めた顔の同胞たち。
だが、今、アーシェラの目の前にあるのは整備された道、頑丈な家々、賑わう市場。
胸を張り、笑い、商いに励む同胞たち。
まるで、別の街だった。
「……何が、あった。私が、留守にしていた、数ヶ月で」
だがその困惑は、すぐに別の感情へと塗り替えられることになる。
同胞の一人を、捕まえて、問いただす。いったい何があったのか、この状況は何なのか、と。返ってきた答えに——アーシェラの、眉が険しく寄せられた。
「…クラウディア…人間の貴族....だと?」
この街を変えたのは、クラウディアとかいう、人間の貴族の娘だという。
アーシェラの、胸に、警戒が満ちた。
——人間の貴族。
アーシェラには、どうしても、信じられなかった。いや、信じてはならないものだった。
彼女は、知っていた...人間の貴族が、どれほど残酷であるかを。
かつて、彼女の森も彼女の同胞も——人間の貴族の身勝手によって焼かれ奪われた。だからこそ彼女は、この辺境の居住区へと流れ着いたのだ。
その、忌むべき【人間の貴族】が今この街の中心にいる。
「……何が、目的だ」
低くアーシェラは呟いた。
魔物を、豊かにする人間の貴族などいるものか。どうせ、裏があるに違いない。魔物たちを、より効率よく搾取するための罠か?あるいは——甘い顔で油断させいずれ、根こそぎ奪うための算段か...
同胞たちが、騙されている!!!
この眼前の光景はそうとしか...思えなかった。
「アーシェラ——!!」
その時。
聞き慣れた、明るい声が響いた。
「アーシェラ! おかえりーっ!」
人混みを、かき分けて猫のように駆けてくる獣人の少女。
「……ラナ」
強張っていた、アーシェラの頬がふっと緩む。この天真爛漫な妹分の顔だけは、いつだって彼女の心を和ませた。
「ああ、ただいま。ラナ。留守の間、変わりは——」
言いかけて。
アーシェラの視線が、ラナの、左腕に留まった。
まくれた袖から、覗く——生々しい痕。
「……ラナ。その、腕は」
「え? ああ、これ? へへっ」
ラナは、悪びれもせずけらけらと笑った。
「実はさー、こないだ、モンスターの群れに襲われちゃってさぁ! あたし、腕ちぎれかけたんだよねー。あと、目もやられてさ。いやーあの時は、マジで死ぬかと思った——」
「————」
その、あまりに軽い口ぶりに。アーシェラの思考が止まった。
腕が...ちぎれかけた...目を...やられた?死ぬかと...思った!?
「——馬鹿な!!」
抑えていた感情が迸る。
「ちぎれかけた、だと!? 目をやられた!? お前それは……!」
「わ、わわっ、アーシェラ!?」
「私が、ついていながら! いや——私が、いなかったから! 私が狩りになど出ていたからお前は……!」
普段の折り目正しい武人の口調は、どこにもなかった。アーシェラは、ラナの両肩を掴む。その切れ長の目からは、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「この、大馬鹿者がァ——ッ! なぜそんな怪我をするような無茶をする! お前が、死んでいたら私は……!」
「アーシェラ……ごめんね?心配かけて。……でも、あたし、平気だから! ほら、ぴんぴんしてるっしょ?」
「……無事で、よかった。ほんとうに……」
「もー!アーシェラ心配し過ぎっしょ」
ラナを、ぎゅうと抱きしめて、抱き返されて...
辺境一の女戦士は子供のように泣いていた。
だが——ひとしきり泣いた後、アーシェラは、ふと我に返る。
「……そうだラナ、その傷....ちぎれかけた腕を、癒してくれたのは誰だ?これほどの傷を癒せる者など…よほど高位の聖女…か高位のポーション...でもそのお金は...ぶつぶつ」
「あ、それはね! クラウだよ! クラウが回復魔法で、みんなを助けてくれたの!」
「……回復魔法!?」
アーシェラの、目が、細くなった。
「……あの、教会が独占する、聖女の秘蹟を?我々魔物に!? 人間の貴族が?!何のために使ったと言うのか」
「あたしとクラウは親&友だから!クラウってすごいっしょ!」
すごい、どころではない。
アーシェラの、警戒は、頂点に達した。
回復魔法。それは、人間の中でも、限られた聖女のみが操る至高の秘蹟。それを魔物などに施す人間の貴族がいるものか。ますます....怪しい。何か、途方もない企みがあるに違いない。
「……ラナ。その、クラウディアという娘に会わせてくれ」
「...ん?アーシェラなんか警戒してる?ウケるぅ。わかったいっとくねぇ」
ラナはあっけらかんとアーシェラに返したがアーシェラの瞳には警戒の色が滲んでいた。
◇
その日から数日たつと、アーシェラの警戒は——静かに揺らいでいくことになる。
すぐには、クラウディアに会わなかった。まず、この街を自分の目で確かめようと思ったのだ。何か、裏があるならそれを見抜いてやる...と。
だが。
見れば、見るほど。
彼女の、警戒は行き場を失っていった。
同胞たちの顔は、かつて諦めに沈んでいたが、今は、生き生きと輝いている。子供たちは、腹を空かせておらず笑い、駆け回っている。市場では、同胞たちが商人として、堂々と商いをしている。誰も、俯いていない。誰も、怯えていない。
これは——搾取されている者の顔ではない。
「……私たちに...こんなことが、許されるのか...」
アーシェラは、呆然と呟いた。
彼女が、何十年もの間当たり前だと思ってきた「魔物の暮らし」がここには、なかった。
あるのは、ただ——人として当たり前に笑って生きる同胞たちの姿だった。
その変化の中心に、あのクラウディアという人間の貴族がいるという。
アーシェラの、胸中には警戒とは違う別の感情が——芽生え始めていた。
希望。あるいは——期待に、似た何か。
(……その娘は。一体、何者なのだ)
◇
そして、さらに数日後。
アーシェラは、ついにその娘と相見えることになる。
だが——その初対面は、彼女の想像とはまるで違う形で訪れた。
街の広場
アーシェラが、そこに足を踏み入れたその時だった。
「クラウディア様ぁ! 本日も、貢ぎ物を持って参りましたぞ!」
聞き覚えのある声だった。
でっぷりと肥えた脂ぎった男。両手に菓子が入っているだろう包みと金の袋を抱えて揉み手で駆けてくる——アーシェラは、その男を知っていた。
代官、ボルク。
毎年、税を納めるたびに魔物を「けだもの」と蔑み獲物の毛皮を買い叩いてきた、あの差別主義者の代官。
その、ボルクが街の中心にいる。
そして——その菓子の包みにわらわらと、魔物の子供たちが、群がっていく。
「わーい! ボルクのおじちゃん、お菓子ー!」
「っ——!!」
アーシェラの全身が凍りついた。
まずい。あの男が子供たちに何をするか。蔑まれ、小突かれ追い払われる——あるいは、もっと、ひどいことを....長年の、経験が最悪の光景を予感させた。
咄嗟にアーシェラは、駆け出そうとした。子供たちを庇うために。
——しかしその視界の隅で。
ゴルドーがいた。腕を組んで、その光景をただ穏やかに眺めていた。止めもせず、慌てもせず、まるで見慣れた日常のように。
「え……?」
アーシェラの足が、止まる。
そして、次の瞬間。彼女は、信じられない光景を目にした。
「ええい、群がるでない! 行儀の悪い! ……ほれ、一人ずつだ。順番に並ばんか」
ボルクが。あの、差別主義者の代官が。
子供たちに、菓子を、配っていた。
しかも——照れ隠しのように、そっぽを向きながらむすっとした顔で言いわけを吐いていた。
「言っておくが、儂が優しいわけではないからな! これは、クラウディア様からの下賜品だ! 儂は、ただ届けているだけよ! ……クラウディア様に感謝するのだぞ。よいな!」
「はーい! クラウおねえちゃん、ありがとー! ボルクのおじちゃんもありがとー!」
「なっ……! 儂に礼を言うな! ……まったく...これだから子供は...」
満更でもない顔で、ボルクは、そっぽを向いた。その赤らんだ耳を隠しもせずに。
「…………は?」
アーシェラの頭が。真っ白になった。
あれは誰だ???魔物をけだものと蔑んでいたあのボルクが、今子供たちに菓子を配りそして——照れて...いる?
「な、なにが、どうなって……あの男が、なぜ……」
理解が、追いつかない。彼女の知る「世界の常識」が音を立てて崩れていく。差別主義者のあの男が、魔物の子供に菓子を配る。そんなことが、この世にあっていいのか。
「あははっ、アーシェラ、すっごい顔してる!」
混乱するアーシェラの背にラナの、明るい声がかかった。
「びっくりするよねー! ボルクのおっさん、最初はマジ最悪だったんだけど、今じゃあんな感じでさ! クラウにこき使われてんの!」
「ラナ……これは、一体……」
「だーかーらー、ぜんぶ、クラウのおかげなんだって! ……あ、ちょうどいいや。ほら、あそこ。あれが、クラウだよ!おーいクラウー!!」
ラナが、その少女に声をかけた。
「ふっ、その様な冥界の魔狼のごとき咆哮、我が同胞よ何かあったか?」
(ラナどうしたの?なにかあった?)
上等だけれど、どこか土の匂いのする衣装。その双眸に、底知れぬ光と不敵な笑みを湛えて魔物の子供たちに囲まれ、その頭を優しく撫でている。
クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。
その姿を目にした瞬間。
アーシェラは、一目で理解した。あの、諦めていた同胞たちが、あの頑固なゴルドーが、あの、差別主義者のボルクさえもが皆、この小さな娘の周りで変わったのだと。
だが——それでもまだ、彼女の中には、最後の警戒が残っていた。
長年、染みついた人間の貴族への不信、それが簡単には、消えない。
アーシェラは、意を決しその娘の前へと歩み出た。
「——貴女が、クラウディアか」
その声に。クラウディアが、振り返る。
そして、二人の——厨二の令嬢と、警戒の女戦士の奇妙な邂逅が始まった。




