第十五話 我が瞳、精霊を映す
「——貴女が、クラウディアか」
アーシェラの声には、まだ、隠しきれぬ警戒の刃が、滲んでいた。
「ラナを...同胞たちを...癒したのは、貴女だと聞いた。人間の貴族の貴女がなぜだ?なぜ、我らのためにそこまでする。人間の貴族が我ら魔物に情けをかける?そのような話...私は、生まれてこのかた聞いたことがない」
問い詰めるような口調だった。
無理もない。彼女は、人間の貴族に森を焼かれ同胞を奪われた。その傷は、癒えることなく深く刻まれている。だからこそ目の前の「善きことをする貴族」が信じられない。何か裏があると疑わずにはいられない。
しかし当のクラウディアは...
そんなアーシェラの、鋭い眼差しを——静かに受け止めていた。
「ふ。汝が我を疑うは道理」
「……なに?」
「人間どもは、汝らから奪い続けてきた。森を、暮らしを、そして誇りを。その業、この我とて同じ人の血を引く者。ならば汝が我に向ける刃のごとき警戒——それこそが道理よ。安易に手を取る者などむしろ、闇より昏き愚か者」
(あなたが警戒するのは当たり前。人間にひどいことされてきたんだもん。すぐ信じるほうがおかしいくらいだよ)
「————」
アーシェラの息が詰まった。
責められると、思っていた。あるいは、薄っぺらい善意を、押しつけられると。だが、この娘は——そのどちらも、しなかった。自分が「疑われて当然の側」であることを、あっさりと、認めてみせた。
(……この娘)
ゴルドーが同じ言葉に心を揺らしたようにアーシェラの頑なだった警戒がその根っこから静かに緩み始める。
「案ずるな!我は、汝に『信じよ』などと強いはせぬ。ただ——その双眸にて刻むがよい!この地に、我が刻みゆく理の一部始終をな」
(時間はかかってもいい。ゆっくり、確かめてくれたらいいから)
そう言って、クラウディアが、ふ、と微笑んだ——その、瞬間だった。
「————む?」
クラウディアの視線が。
アーシェラのすぐ傍らの宙で止まった。
その双眸が、みるみる、輝いていく。不敵な光ではない。もっと、幼く無邪気な——きらきらとした光。
「……おお。おおおっ! そなた、精霊ではないか!」
「——なっ!?」
クラウディアが、指さす先...アーシェラの肩のあたりに——ふわり、と。風をまとった小さな人型の影が揺れていた。
風の中位精霊シルフ。
アーシェラが、契約を交わし常に傍らに並んでいる風の眷属。だが、それは——エルフのような、精霊に愛された種族にしか視えないはずのもの....人間の目には、決して映らないはずのもの。
下位の精霊は意識がなくただの光の粒だが、それと人間には視えず知らぬ間に魔力を吸われるだけの存在。ましてや人の形をとる中位精霊など——エルフのような限られた種族にしか視えないはずだった。
それがこの人間の娘には見えている様だった。
「わぁ……! 風の精霊さんだぁ……! かわいい……!」
(ほわほわしてる! きれい! さわってみたい……!)
仮面も忘れてクラウディアは、目を輝かせ子供のようにはしゃいでいた。
「……ば、馬鹿な」
アーシェラの声が震えた。
「精霊が……視えるのか?人間の貴女に……ありえない!人間に精霊が視えるなど……聞いたことがない……!」
エルフにとって精霊とは世界の理そのもの。そして、精霊は——決して、心根の穢れた者には、寄りつかない。自然を害する者や悪しき魂を持つ者を精霊は忌み嫌う。
その精霊が、クラウディアの無邪気なはしゃぎ声に応えるように——ふわり、と、彼女の指先に寄り添った。まるで懐くように。
アーシェラは悟った。
理屈では、ない...同胞の証言でも、ゴルドーの信頼でもない。彼女自身の心が告げていた。
——精霊に愛される者。それは、疑いようもなく。
「…ゴルドーが認めるわけだ…」
呆然と、アーシェラが呟く。
長年、握りしめてきた人間の貴族への不信。それが——精霊という、人の理を超えた存在によって音もなく氷解していく。
「……む? どうした、アーシェラ。呆けた顔をして」
(あれ? どうしたんだろ、この人)
当のクラウディアは、精霊に夢中でアーシェラの内心の激動には、まるで気づいていなかった。
「あははっ! クラウ、精霊に夢中じゃん! てか、アーシェラもなんかすごい顔してるし!」
そこへラナが、けらけらと割り込んできた。
「ねぇねぇクラウ! アーシェラとも、もう仲良し、ってことでいいっしょ? だったらさー、あだ名、あだ名! あたしのこと『ラナ』って呼ぶみたいにさ、アーシェラにもなんかつけたげてよ!」
「ふむ。魂を彩る仮初の名...か」
クラウディアが、顎に手を当て思案する。そして——ぴん、と、閃いたように顔を上げた。その双眸に、再び不敵な光を宿して。
「よかろう。風の眷属に愛されし、翠玉の射手よ。——今より汝を、『シルフィリア・ヴェントゥス』と呼称しよう」
(風の精霊と仲良しの、弓の名手さん! かっこいい名前つけてあげる!)
「……は?」
アーシェラの、笑みが、固まった。
「あっはははは! なにそれ! シルフィ……なに!? 長っ! ウケる、ウケるってクラウ!」
ラナが、腹を抱えて大爆笑する。
一方アーシェラは――
その、あまりに大仰で気恥ずかしい二つ名を真正面から浴びせられて——苦虫を噛み潰したようななんとも言えない複雑な顔になっていた。
断れ...ない。この娘は、心の底からの善意とそして、絶大なる自信でその名を、贈ってきている。無下にすれば、この精霊に愛された同胞の恩人を傷つけてしまうかもしれない――
だが——受け入れるには、あまりにも...
「……ラナ」
アーシェラは、助けを求めるように小声でラナに囁いた。
「これは……私は、なんと返せば……」
「あははっ! 無理無理、アーシェには荷が重いって!」
ラナは、ひとしきり笑うとぽんと二人の間に割って入った。
「はいはい、クラウ! 気持ちはわかるけどさ、それ長すぎて誰も呼べないって! こういうのはさ、シンプルが一番なの! ……クラウディアだから『クラウ』、あたしが『ラナ』、で——アーシェラだから、『アーシェ』! これでいいっしょ!」
「アーシェ……?」
きょとん、と、アーシェラが繰り返す。
「うん! アーシェ! あたしらは、もう仲間なんだからさ! 堅っ苦しいのは、なしなし! ね、アーシェ!」
その、屈託のない笑顔に。
アーシェラの——アーシェの強張っていた頬がようやくほどけた。
「……アーシェ、か……悪くない」
(シルフィリア、なんとやらよりは遥かにいいな……)
「むぅ。我が渾身の命名が……」
(せっかく、かっこいいの考えたのに)
不服そうなクラウディアにラナとアーシェが顔を見合わせて笑った。
賑やかな笑い声が、冬支度の街にあたたかく響く。
——ただ一つ。
この時、誰も気に留めなかったことがある。
人間でありながら、精霊を視るクラウディアのその目が、いずれ——この地に奇跡を、もたらすことになるとは――
そして、その奇跡が遠い王都の誰かの耳に届いた時、穏やかな日々に次なる波乱が忍び寄ることになるとは——
まだ、誰も知らない。




