第十六話 我、民を拒まず
アルブローゼン。
クラウディアが名付けたその街は、冬を越え春を迎えていた。
かつて、貧しい魔物の居住区だった場所は、今や貧しかった時の面影などなかったかのように整った家々、賑わう市場、笑い声。塩の交易で得た富は、街の隅々にまで行き渡り、人々の暮らしをあたたかく潤していた。
だが——その、順風満帆に見える街にも静かに影が差し始めていた。
「……売上が、落ちてきておるな」
クラウディアの居城。その一室で帳簿を広げたゴブじいが唸っていた。
「辺境の秘塩、初めのうちは飛ぶように売れたがな。物珍しさが、落ち着いてきたんじゃろ。今は、そこそこ、といったところじゃ」
「ふむ。栄枯盛衰は、世の理よ」
(塩だけに頼るのは、そろそろ限界かな……)
クラウディアは、腕を組み考えていた。街は、大きくなったがそれを維持するには、塩だけでは、心許なく次の一手を考えねばならない時期に来ていた。
——と思案していた時だった
「クラウ! 大変! ちょっと来て!」
慌ただしく、ラナが駆け込んできた。その顔は、いつもの明るさとは違い強張っている。
「えっとね...なんか……よそから、魔物の人たちがいっぱい来てさ。それが……その、見てられないくらいボロボロで…どうしよう…」
◇
街の入り口にその一団は、いた。
約100人ほどの魔物たちの一団...だが——その姿は、あまりにも変わり果てていた。
痩せこけた頬、落ち窪んだ目、ぼろぼろの衣、歩くのもやっとの老人や子供達...誰もが、飢えと疲労で今にも倒れそうだった。中には、動かない者を背負っている者までいる。
その先頭に、一人の年老いたクマ系の獣人の女が立っていた。
大柄な体は、今はやつれしかしその双眸には、まだ消えぬ光が宿っていた。子供たちを守り抜いてきた強者の光が。
彼女は、クラウディアの姿を認めると地面に膝をつき深く頭を垂れた。
「……お願い...します」
しわがれた声だった。
「あたしは、マーサと言います。北の....フェンリスという街からやってきました。私達全員とは言わないですが...どうか……どうか、子供たちだけで良いので...この子らだけでも助けてやってくれないかい...」
「面を上げよ、クマの母よ……その身に刻まれし、飢餓の刻印。何が、汝らをかくも蝕んだ?時間は悠久にある詩吟のごとく歌うとよい」
(マーサさん立って……こんなにボロボロになって。何があったの?ゆっくりでいいから 話して?)
「……あたしらが住んでた街はね...もう、駄目なんだ」
マーサは、絞り出すように語った。
北の街——フェンリス。そこでも魔物たちは、人間に使われ働いていた。
だが、ここ最近作物の実りがめっきり悪くなった。それでも人間たちは、税として容赦なく食料を取り立てた。魔物に回る食料は、日に日に減っていった。
「働いても、働いても……あたしらの口には、何も入らない。あたしたち大人はまだ良いよ...でもね子供が、飢えて...飢えて死ん....だんだ。食べたい盛りの子供に食べさせてあげれなくて....それで年寄り達が少しでも食べさせようと...自分の分を分けてさ...そして段々...動けなくなって、死ぬ者も出てきた……その状況を見ても人間たちは、言ったよ。『魔物が一匹減った』と笑いながらさ...結局あたしたち魔物は死んでも減ったって...それだけさ」
淡々と、語られる地獄。
「このままじゃ、どうせ皆死んじまう……なら、いっそ他の街にと思って逃げたんだ。南には魔物の楽園があるって...……でもね途中で、何人も死んじまったさ。それでも、ここまで来ればってその一心で!!!」
マーサの皺だらけの手が震えていた。
「でもねぇあたしはもういいのさ、歳だからね……でも、この子らには、まだ未来がある。頼むよ...あたしの命なんだ...この子らだけでも——」
その必死の懇願に。
クラウディアの胸が締めつけられた。
(……見捨てられるわけないよね。こんなの)
答えは、決まっていた。彼女の理は、いつでもただ一つ。「一人も、見捨てぬ」
「——面を、上げよ思慕深きクマ母よ」
クラウディアが、口を開こうとしたその時。
「……待て、クラウディア」
低い声が、それを遮った。
ゴルドーだった。
「気持ちは....分かる。痛いほどにな……だが、すこし待ってくれ」
その顔は、苦渋に歪んでいた。彼とて、同胞の窮状を見捨てたいわけではなかった...むしろ誰よりも助けたいはずだった。だからこそ——その口から出る言葉は、重かった。
「クラウディアすまない...少し外そう……話が...ある」
◇
居城の一室
クラウディア、ゴルドー、ラナ、そしてアーシェが顔を突き合わせていた。
「俺はあの一団の受け入れは反対だ」
開口一番ゴルドーは、そう言った。
「ゴルドー……! なんで?なんでそんな——!」
食ってかかろうとするラナをゴルドーは、手で制した。
「最後まで、聞けラナ...」
その声は、静かでしかし揺るがなかった。
「いいか?できるなら...俺だって、あいつらを助けたいさ。同じ、辛酸を舐めてきた同胞だ……だが感情だけで、受け入れてその先はどうする?」
「その先……?」
「食料だ」
ゴルドーの指摘は、鋭かった。
「今のアルブローゼンの蓄えは、今いる街の者を養うのが精一杯だ。そこへ...約100人。しかも、飢えて弱った者たちを受け入れる。……冬を越えたばかりだ。 全員分の食料の備蓄があるのか?」
「……っ...でもっ...あたしたちの食べる量を少しづつ分ければ...」
「それで飢えていってひもじいと子供たちにいわれたらどうする?」
「!?...っ...でもっでもっ!!それでも....」
ラナが、言葉に詰まる。
「中途半端に、受け入れて結局食わせてやれずに共倒れ……そうなれば、救うどころかあの者たちも俺たちも皆、飢えて死ぬ。それが、一番悲惨な結末だ」
重い、沈黙が落ちた。
ゴルドーの言葉は、冷たいようでいて——その実、誰よりも現実を見据えた優しさだった。助けたい。だが、助けるなら中途半端は、許されない。全員を生かしきる算段がなければ。
「……アーシェは、どう思う」
クラウディアが問う。
「私は……受け入れたい...同胞を、見捨てるなど...できぬ」
アーシェラは、そう言いかけてしかし目を伏せた。
「……だが...ゴルドーの言うことも正しい。狩人として、言わせてもらえば——養える数を超えて群れを抱えれば、群れごと飢えて滅ぶ。それが自然の理だ」
受け入れ派の、二人でさえ。ゴルドーの、理屈の前には、頷かざるを、得なかった。
——そう
誰も、間違っていない。
助けたいクラウディア、守りたいラナ、同胞を思うアーシェラ...そして、全員を生かす道を探すゴルドー。全員が、優しさゆえに悩んでいる。
だからこそ、クラウディアは――
静かに、口を開いた。
「案ずるな」
その声は、凪いだ水面のようだった。
「食料の憂い、案ずるに及ばず。我に、秘策あり。……白銀の宝がもたらせし財宝、我が取り分は、いまだ封印されしまま蔵に眠っておる。その黄金を、解き放てば——飢えの影などたちどころに払えよう」
(わたしの取り分のお金がまだ全部残ってるの。それで食料を買えば今は乗り切れるよね?)
貴族の令嬢たるクラウディア。その懐には、塩の交易で得た莫大な私財が彼女自身は一切使わないまま眠っていた。それを投じれば、約100人分の食料など造作もない。
「これで、問題は——」
「クラウディア...それは、駄目だ」
だがゴルドーは、またも、静かに首を振った。
「……なぜだ、我が眷属よ」
(え……?)
「金で食料を買う。それは、確かに当座はしのげる……だがそれは、一過性のものだ」
ゴルドーの眼差しは、まっすぐ遠くを見ていた。
「考えてもみろ。北の街が、なぜ、ああなった?作物が、実らなくなったからだ。……もし、この不作がこの地にも及んだら? 金があっても、売る食料そのものがどこにもなくなったら? その時、金はただの金属の塊だ」
「————」
クラウディアの、目が見開かれた。
「一時の金で飢えをしのぐのは、対症療法に過ぎん。根本の解決には、ならねえ。……本当に、あの者たちをそして、この街を末永く生かすなら...必要なのは——」
ゴルドーは、ぐっと拳を握り叫んだ。
「俺達の手で、食い物を生み出す力だ」
その言葉に、クラウディアの胸が震えた。
——ああ、そうだ。この男は、ただ反対していたのではない。感情でも、保身でもない。この街の...遠い...未来を、見据えていたのだ。
「ゴルドー。汝の言、しかと聞いた」
(すごい……。わたしより、ずっと先を見てる)
クラウディアは、まっすぐ、ゴルドーを見据え質問した。
「では——問おう。我らが、自らの手で、糧を生むには、いかにすればよい」
ゴルドーは、ふ...と口の端を上げた。まるで、その問いかけを、待っていたかのように。
「決まってる!……この際だ。あの連中を受け入れられるくらい...いや...これからもっと...クラウディア...お前を頼るものが来るだろう。そいつらもまとめて受け入れるくらい居住区を、広げて...全員が食えるくらいの畑を作ろう。俺たち自身の農地をな!!」
農業
魔物たちが、自らの手で大地を耕し糧を得る。それは、搾取される側だった彼らが初めて、自分たちの食い扶持を自分たちで握るということ。
「……ふ。ふふ」
クラウディアの口元に笑みが浮かんだ。
「よかろう!さすがは、我が右腕。その献策、我が理に寸分違わず適う!」
(さすがゴルドー! それだよ、それ! 畑を作れば、みんなを養える!)
「右腕は...余計だ」
「ならば、我が漆黒の参謀と呼ぼう」
「それも...いら...ん」
ゴルドーの呆れ顔にラナと、アーシェが、ふっと笑った。張り詰めていた、空気が途端に緩む。
こうして...
アルブローゼンは、新たな一歩を踏み出すことになった。
飢えた同胞を、迎え入れ共に生きるための——農地の開墾へと。
「して。畑を作るには、まず土地よな?……ゴルドー、どこぞ良い土地に心当たりは??」
「ああ...目星はつけてある。街の東の森を、少し切り開けば、日当たりの良い広い土地が取れるはずだ」
その、何気ない一言が...
やがて、クラウディアを——この地に、永く眠りし時の理を司る者との邂逅へと導くことになるのであった。




