第十七話 我、古(いにしえ)の眠りを覚ます
クラウディアの私財は、惜しみなく投じられた。
塩の交易で得た、莫大な金貨。彼女自身の取り分がそっくり食料へと替えられ飢えた一団のもとへ運ばれた。
温かい粥が、痩せこけた腹を満たしていく。子供たちの頬に少しずつ赤みが戻りマーサたち大人も、幾らか生気を取り戻していった。
だが——
「……爺様が、また一人」
老人たちは、そうはいかなかった。
長い逃避行と飢えは、老いた体を深く蝕んでいた。食べ物を得てなお、衰弱から抜け出せぬ人たちが幾人もいた。数日の間に、静かに息を引き取る人たちが続いた。
「……急がねば」
(はやく...みんなが安心出来る街にしなきゃ...)
クラウディアは、唇を噛んだ。
食料を買い続けるだけでは、根本は変わらない。
この者たちが...そして、これから助けを求め集まってくる者たちが、自らの手で生活ができる街を...一日でも早く。
「開墾を始めるぞぉ!」
ゴルドーがそう叫ぶと人々が、集まった。
「して我が右腕よ。ここを、闇の眷属の為のブリュンヒルデを呼べばよいのだな?」
(ここをまっ平にすればいいんだよね!がんばるぞっ!!)
クラウディアが、森を見据える。
そびえ立つ古木の群れ。分け入る隙間もない深い森だ。これを切り開き平らな農地にならすには、本来途方もない人手と月日が要る。
だが――
「——闇よ」
クラウディアが、片手をかざした。
ずしん、と――大地が鳴動する。
次の瞬間——森の一角が、根こそぎ宙へと浮き上がった。何十本もの古木が土くれごと、まるで羽根のように軽々と...そして、傍らへとうずたかく積み上げられていく。地面は、みるみるうちに平らな更地へと変わっていった。
たった、数呼吸の間に。
「な…は…?」
その光景に、腰を抜かしたのは、マーサたち移住組だった。
「な、なんだいこりゃあ……! 森が……森が、消えちまったよ……!? あ、あの嬢ちゃん何者なんだい……!」
「「「…………」」」
一方、古株の魔物たちは――
「まあ、クラウディア様だしなぁ」
「いつものことだな」
「んだんだ、見慣れるとなんてことねえよ」
見慣れたものだった。
規格外のその光景を、もはや、日常の一部として受け入れている。その温度差にマーサたちは、目を白黒させるばかりだった。
「よし——!」
野太い声を張り上げたのは、ゴルドーだった。
「クラウディアが、道を開いてくれた! ……だがここからは、俺たちの仕事だ! いつまでも、クラウディアに頼りきりじゃいられねえ! 開梱班!畑作るぞ!——大工班は、木材を加工して街へ運べ!!!できることをやるぞ! 野郎どもぉ気合を入れろ!」
「「「おおーっ!!」」」
魔物たちが、声を上げる。
鍬を担ぎ、桶を抱え我先にと、更地へ駆け出していく者。積み上げられた木の枝葉をおとし木材にする者。そこには、古株も、移住組の垣根はすでになかった。出来るものが協力するといった行動が当たり前のように...
マーサたちも、「あたしらも、働かせておくれ!」と、その輪に加わっていく。
救われた者が、今度は自らの手で明日を耕す。あたたかな活気が開かれたばかりの大地に満ちていた。
——その時だった。
「…………?」
クラウディアの、足が止まった。
(……なに、これ)
聞こえた。
ざわめく人々の、そのはるか奥。誰の耳にも届かぬはずの森のさらに深く。
——声が...聞こえた。
言葉にはならない。ただ、ひどく、悲痛な...何かを訴えかけるような。すすり泣きにも、うめきにも、似た——か細い...けれど、確かな声。
「クラウ? どうしたの、ぼーっとして」
ラナが、覗き込む。
「汝には、聞こえぬか。……この、声が」
(なにか聞こえる...悲しそうな...)
「声? なんも聞こえないけど……」
ラナは、きょとん、と、首をかしげた...だが。
「……いや。待て」
低く鋭い声を上げたのは、アーシェラだった。
その、長い耳がぴくり、と、動く。切れ長の目が森の奥へと向けられる。その顔からは、みるみるうちに血の気が引いていった。
「……聞こえる。かすかに、だが……確かに、何かが…精霊か?…」
「アーシェにもこの闇の囁きが木霊するのか?」
(アーシェにも聞こえるの?)
「……ああ。だが、私には、これが、精一杯だ。ごく、かすかに……」
アーシェの声が震えた。精霊に愛されしエルフの鋭敏な感覚。それをもってしてようやく、拾えるか拾えぬか。その、程度の声。
だが...
「——む。次第に、その嘆き、我が耳に染み入ってくる。哀切なる調べよ……なれど、言の葉の意味までは、いまだ闇の帳の向こうか」
(だんだん、はっきり聞こえてきた。すごく哀しそう……でも、何て言ってるのかは、まだ分からないな)
クラウディアは、事もなげに、そう言った。
「……は?」
アーシェの顔が、凍りついた。
「はっきり、と……? まさか、クラウ……精霊の声が、そんなにハッキリと聞こえて...いるのか……!?」
「うむ。何者かが、切実に、我を呼んでおる。……この闇が、導かれる先は——あちらよ」(誰かが、必死に呼んでる感じがする……こっちだよ!)
クラウが示す方角は、森の奥。
アーシェは、絶句した...自分もシルフと契約しているが精霊が何を言っているかは感覚でしかわからない。よもや言葉としてハッキリと会話は出来ない。しかしクラウは——まるで、当たりまえのように精霊の言葉を理解していた。
(……クラウは、どこまで私の常識の外にいるのだ)
戦慄する、アーシェをよそに。
「うむ。この嘆き捨て置くこと、我が理が許さぬ。……ラナ、アーシェ、我と共に来るがよい」
(このまま放っておけない。……ラナ、アーシェ、一緒に来て)
クラウディアは、声の方へと歩み出した。
森の奥。人の手の入らぬ深部へ...
声は、近づくほどに悲痛さを増していく。
やがて——ひらけた、木々の狭間。そこに、足を踏み入れた瞬間だった。
「————っ!!」
アーシェラの傍らで。
ふわり、と揺れていた風の精霊シルフが。
突如、激しく明滅した。まるで、怯えるように...そして警告するかのように、アーシェラの周りをぐるぐると飛び回り肩へと、必死に身を寄せた。
「シルフが……こんなに、怯えて……! いったい、何に——」
その視線の先。
木漏れ日の、差す、苔むした地面の上に、それは...あった。
一体の亡骸。
朽ち果ててもいない。
かといって、生きてもいない。
長い金の髪。
今は、色褪せてはいるが、かつては、美しかったであろう髪に古い、装束。そして尖った耳。
——エルフの遺体だった。
だが、異様なのは、その遺体を包み込むように淡く青白い光の靄がゆらゆらと纏わりついていることだった。
まるでその骸を、何かが離すまいとしがみついているかのように。
「……エルフの...亡骸。それも……古い」
アーシェの、声が掠れた。
その、装束を見て。彼女の顔が、さらに険しくなる。
「あの装束……様式が、古すぎる。私の知る、どの時代とも...違う。……いったい、何百年、前の…それにしては亡骸が新しすぎる…」
その時。
ぶわり...と
遺体を包む青白い靄が。ひときわ大きく膨れ上がった。
『————ォ』
声が、あの悲痛な声が、今度は、はっきりと一同の耳を打った。
『————サナイ』
靄が、渦を巻き、うねり、そして——ゆっくりと、立ち上がっていく。
人の形をとろうとするように...その中心で、エルフの遺体の閉じられていた瞼が。
ぱちっと
——開いた。
その、眼窩に宿るのは、青白く、燃える、狂気の光。
「——いかん!! 二人とも下がれ!!」
アーシェが、叫んだ。その手には、既に大弓が握られている。
「あれは……"精霊の愛し子"の、成れの果てだっ……! 精霊に憑かれ、狂った亡骸だ……! 私が、食い止める! その間に——」
キリリと、弓が引き絞られる。
だがその声には、隠しきれぬ、焦りが滲んでいた。




