第十八話 我、時を統べる者と契る
『————サナイ』
ギチィ
エルフの遺骸が、青白い靄に操られ起き上がったがあまりに異様な動き方だった。
「——避けろぉラナ!!」
アーシェが、叫んだその刹那。
シュン!!
遺骸の姿が掻き消えた。
いや...消えてはいない...速すぎるのだ。まるで、その一瞬だけ時が飛んだかのように、次の瞬間には、遺骸の腕が目の前に迫っていた。
ブゥォン
「——ぐっ!?」
なんとか弓で受けたが、衝撃は重くじりじりと後退させられていた。
「この力……! やはり、何の精霊に...憑かれて…っ…!」
アーシェの額に汗が滲んでいた。
狙いを定め矢を放つがその矢は、遺骸に届く寸前でぴたっと止まった。まるで、そこだけ空間が凍りついたかのように...そして、力なく地面に落ちる。
「攻撃が……通らぬ……! くっ……」
目の前の遺骸は、エルフ最強の狩人たるアーシェをもってしても防戦一方という状況であった。
「クラウ! ラナ! すまない……私が食い...止める.. その隙に離れて——」
「アーシェ。なぜ、その者と戦っている?」
その時、クラウディアが質問した。
戦いの渦中にありながら。その声は、落ち着いていて、ただまっすぐに疑問を口にした。
ギィン!!
「....っ.....掟だっ....はぁっ!」
アーシェが、遺骸をいなしながら叫ぶ。
「精霊に愛されすぎた契約者は……死してのち精霊が執着する! その執着が反転し悪霊と化す前に……骸を焼き精霊を解き放つ! それが、我らエルフの掟なのだ! 目の前のあれは愛し子の...成れの果て! 狂った...精霊に操られた亡骸にぃ...過ぎん!」
シュバッ!!
アーシェラは一気にまくし立てた。それが、エルフに代々伝わる理由だった。異形と化した愛し子は、憐れみをもって被害が増える前に執着の元を燃やす。それが慈悲なのだと。
しかしクラウディアは、じっと遺骸の中心を見つめていた。
「……違う」
そしてクラウディアは、確信したかのようにアーシェラに告げた。
「……違うな、アーシェ。あの者が纏うは、狂気にあらず。……もっと、深く...昏き——嘆きよ」
(あの声……ずっと泣いてる。狂ってるんじゃない。……哀しんでるんだ)
「クラウ!? 何を——」
「アーシェ...我が闇の同胞よ。下がっていよ」
そしてクラウディアが、一歩、前へ出た。
「あの者の、相手は——我が務める」
その瞳に。もはや、迷いはなかった。
「クラウあぶな――」
「——闇よ」
ジャララララッ!!
クラウディアの足元から漆黒の鎖が幾条も噴き出した。それは、宙を這い暴れる遺骸へと絡みついて逃れようとしているその体を縛りつけるように、がっちりと拘束した。
クラウディアは、拘束した遺骸を傷つけようとは、しなかった。
ただ、動きを止めただけでそれ以上は何も...
そして彼女は、暴れる遺骸に静かに歩み寄った。その悲痛な叫び続ける青白い靄へと。
「……ねえ」
いつもとは違う、しゃべり方だった。ただ一人の少女が哀しみに暮れる何かに語りかけるように。
「ずっと、泣いてたんだね。……ひとりでずっと」
『————ォ、ォォ……』
靄が揺れる。まるで——初めて自分の声を聞いてもらえたかのように。
「教えて?あなた、何をそんなに守ろうとしてるの?」
クラウディアの問いかけに、靄は、ゆっくりとうねりながら意思を伝えてきた。言葉ではなく想いの奔流をクラウディアの心に直接思いを届けた。
——ずっと、一緒だった。
——この子の事が大好きだった。ずっと、ずっと、一緒に...いたかった。
——でも...この子は、動かなくなってつめたくなった。
——だから、時をとめてこの子が、くずれていかないようにずっと、ずっとこのままでいられるように。
——長い長い間しずかに、ふたりでいたのに....この子が傷つかないようにしないといけない...だから...おいはらった。しずけさを守るために。
その、想いのあまりのいじらしさに。
クラウディアの胸が締めつけられた。
(……そっか。この子、ずっと大好きな人の時間を止めて……二人だけでいようとしてたんだ)
悪霊でも、狂気でもなかった。
ただ——愛していた。
ただ――失いたくなかった。
だから、時を止めて朽ちゆく亡骸をその姿のまま留めていた。
何百年も...たった一人の大切な人と寄り添って。
その、あまりに深くそして報われぬ愛情をクラウディアは、そっと受け止めた。
「……聞いて」
彼女は、その青白い靄へと——優しく語りかけた。
「あなたが、この人を大好きなのはわかったよ。ずっと、一緒にいたかったのも……でもね」
靄がふるえる。
「この人はね……もう、疲れてるんだ。……本当は、ゆっくり眠りたいんだよ」
『————』
「あなたが、大好きだからこの人もあなたを置いていくのが辛くて……だから、ずっとあなたに応えようと留まってた。お互いを想うあまり二人とも、前に進めなくなってた」
クラウディアの、声は涙で震えていた。
「もうね...いいんだよ?……この人を、一緒に天国へ送ってあげよう。ちゃんと、お別れしてなきゃ…もう大丈夫だよって伝えてあげて?…そうすればこの人は、安心して眠れるから」
長い....長い............沈黙
『....わかった』
やがて——靄は、ゆっくりとまるでうなずくように揺れた。
寂しげに、だが....どこか、ほっとしたように....何百年と抱え続けた重荷をようやく下ろすように。
「……うん。えらいね」
(さよならしてあげようね。ちゃんとあなたの大好きな人に)
クラウディアが、そっと遺骸へと手をかざす。
「——安らかなれ。汝の魂、時の軛より解き放たん。とこしえの微睡みのなかへ」
清らかな、白い光がエルフの亡骸を包み込んでいく。
止まっていた、時がゆっくりと動き出す。硬く閉ざされていたその姿が、淡く光の粒子へとほどけていく。安らかに...まるで深い眠りに就くように。
「バイバイ……ゆっくり、おやすみ」
(名前は、知らないけど。あなたのこと、大切に想ってた子がいる。だからきっと幸せな一生だったね)
光が、天へと昇っていく。
『ありがとう聖女様...あの子の...ノルンの事....お願いします...』
まるで可憐な鈴のような声がクラウの耳にそっと届いた
そしてその光を青白い靄がじっと見送っていた。
そして、その光が空の彼方へと消えるその間際。
『…………リーリャ』
ぽつり、と。
靄が——ノルンが...初めて、言葉を紡いだ。
たった、一言...愛おしむように、慈しむように、何百年と共に在ったその人の名を。
『……バイバイ。リーリャ』
『バイバイだね...ノルン大好きだったよ....』
光は、瞬きそして——消えた。
静寂が、森に満ちる。
残されたのは、行き場を失った青白い靄が一つ。
その靄は、今にも消えそうで...ただ、力なく揺れていた。長い、長い...執着から解き放たれた....けれど——その拠り所を失ってしまっていた。
『…わたし………ひとり……また、ひとり……』
震えるその想い。
何百年もの孤独をようやく手放したけれど、その先に待っていたのは——ふたたびの孤独であった。
その寂しそうな呟きに、クラウディアは、考えるよりも先にその小さな靄をぎゅっと抱きしめていた。
「…約束したから…あなたを...ひとりにはしないよ」
『————』
「もう、ひとりじゃないよ……わたしがいる」
(あなたのこと、ほうっておけないよ。だってこんなにも優しい子なんだもん)
ノルンが....
クラウディアの腕の中で——おずおずとその姿を変えていく。
風にほどけていた、青白い光が寄り集まり。やがて——ちいさな人の形をとっていた。
銀の髪の少女の姿。まだ、あどけないけれどその瞳には、悠久の時間を生きているかのような光が宿っている。
その幼い精霊は、クラウディアの腕の中から、そっと見上げて——問うた。
『……いっしょに、いて、くれるの?』
不安げに...けれど、すがるように。
クラウディアは、ふわりと笑って頷いた。
「うん。ノルンずっと一緒だよ」
『…………うん』
こく、と。
少女が——ノルンが、頷いた。
パァァァァッ
その瞬間、二人の間に淡い光が結ばれた。魂と魂を繋ぐ絆。それは——精霊契約の成立を意味していた。
「……はっ!?」
その一部始終を見ていたアーシェが、あんぐりと、口を開けたまま固まっていた。
「せ、精霊が……人型に……!....えっ見える?!?!ラナあれが見えてるか....!?!? それにノルンだとっ!——最上位精霊…の…!? 時の理を司りし"ノルン様"……!?」
アーシェラの声が裏返る。
「さ、最上位精霊と契約など……! そのような話伝承の中でしか……! ありえぬ、ありえぬぞ、そのようなこと——!!」
一方その隣でラナは...
「まー、クラウだしねぇ。それにしてもノルンちゃん可愛いね!」
けろっとしていた。
「ラナ!? な、なぜ、そう、平然と……!」
「だってクラウだよ? 今さらっしょ?」
アーシェラの常識が...音を立てて崩れていくその傍らでラナは、うんうんと一人、納得していた。
そんな、二人をよそに。
「して、ノルンよ」
契約を終えたクラウディアは、早くもいつもの不敵な笑みを、取り戻していた。
「時を司りし、太古の精霊よ。汝の力——いかなるものか、我に示してみせよ」
(ねえねえ、ノルンって、どんなことできるの?)
『えっとね』
ノルンが、こてりと首をかしげる。
『物の時間を、はやめたり、おそくしたり、できるよ。とめたり、もどしたりも。……でも、世界全部の時間は、無理だよ? まきもどしたり、とばしたりは、できないの!』
「ふむ」
(世界の時間は無理かー。まあ、そりゃそうだよね)
クラウディアは、顎に手を当てて考える。
物の時間を操る?ならば——
「ノルンよ。ひとつ問おう。……たとえば、畑の作物。その、時を早めれば——実りを早く得ることも叶うか?」
(畑の野菜とか、早く育てられたりする?)
『出来るよ!場所をきめてくれたら、その中の時間を早められるの!リーリャも一杯お野菜そだててたよ!!』
その答えに、クラウディアの目が——かっ、と輝いた。
「——でかしたぞ、ノルン!!」
(やった! これで、食料問題ぜんぶ解決だよ!!)
飢えた同胞を救う手立て...それが思いがけぬ、出会いの果てに今クラウディアの手の中に収まった。
こうして.....
アルブローゼンは、時を統べる精霊を新たな仲間に迎え。
飢えを克服する——豊穣への道を歩み始めることになる。




