第七話 我、俗物を従える
その報せは、翌日の昼下がりに建設現場へと届いた。
代官ボルクが、兵を引き連れてやってくる——と。
「クラウ、大丈夫なの? あいつ、絶対ろくなこと考えてないよ」
ラナが、不安げに尻尾を揺らす。その周りには、昨日の一件で怯えた魔物たちが、身を寄せ合っていた。せっかく芽生えかけた希望を、また権力に踏み潰されるのではないか——その恐怖が、居住区に満ちていた。
「案ずるな」
クラウディアは、泰然と腕を組んでいた。
「闇に選ばれし我が在るかぎり、汝らの平穏、何人にも侵させはせぬ」
(大丈夫。みんなのことは、わたしが守るから。)
やがて、砂埃を上げて、一団が現れた。
でっぷりと肥えたボルクが、十数人の兵を従え、しかし自分は一番後ろで、ふんぞり返っている。その顔には、昨日の報告を受けた時の焦りは、もうなかった。代わりに浮かんでいるのは——嗜虐的な、勝ち誇った笑みだった。
「クラウディア様ぁ。ずいぶんと、派手なことをしてくれたそうですなぁ」
ボルクが、ねっとりと切り出した。
「儂の兵が二人、大怪我をして運び込まれましてなぁ。聞けば、あなた様が魔物どもと結託して暴行を働いたとか」
「ほう」
「これは由々しき事態。公爵令嬢ともあろうお方が、魔物を扇動し、王国の兵に牙を剥く。……これはもう、反逆と言ってもよろしいですなぁ?」
ボルクの魂胆は、透けて見えた。
クラウディアを「魔物を扇動した危険人物」に仕立て上げ、王都へ報告する。厄介な令嬢を罪人として排除し、なおかつ「危険分子を見抜いた有能な代官」として、自らの評価を吊り上げる。保身と、出世欲。その二つが、この男を突き動かしていた。
「兵ども、その娘を捕らえよ! 神妙にお縄につけば——」
「——待て。ひとつ、問おう」
クラウディアの声が、静かに、その場を制した。
「その兵二人。何ゆえ、傷を負ったのだ?」
「なに……?」
「順を追って語ろうか。汝の兵は、我が民の居住区に土足で踏み入り、家を壊し、火を放った。そして——逃げ惑う幼子に、殺意の炎を向けた」
クラウディアの目が、す、と細められる。
「我はそれを止めた。ただ、それだけのこと」
「ぐ……そ、それは魔物どもが先に——」
「先に、何をした?」
ぴしゃり、と。
「言ってみよ。我が民が、汝の兵に何をした。水が、かかっただけであろう? それすら、幼子が消火のために撒いたものだ」
ボルクの言葉が詰まった。
クラウディアは一歩前へ出る。
「ヴァルンシュタイン公爵領内において。その領主が娘たる我が、我が民を用い、我が居城を築く。これに、何の咎があるか」
「な……」
「むしろ問おう。汝の兵が、公爵令嬢たる我に火を放った。この一事、我が父——アルベラート・フォン・ヴァルンシュタイン公が耳にすれば....どうなろうな?」
ぴき、と。
ボルクの、脂ぎった額に、汗が滲んだ。
「そ、それは……兵が、勝手に……儂は、関与しておらず——」
「関与しておらぬ兵を、なぜ従えてここへ来た? なぜ今、我を『捕らえよ』と命じた?」
(自分で言っちゃってるよこの人。焦りすぎ)
「う……ぐ……」
理屈が、音を立てて崩れていく。ボルクは、退路を塞がれ、じりじりと後ずさった。追い詰められた男の顔から、勝ち誇った笑みは、とうに消えていた。
その姿を魔物たちは、固唾を呑んで見つめていた。
あれほど偉そうだった代官が、人間の権力そのものだったあの男が、令嬢一人の言葉に、みっともなく崩れていく。そんな光景を、彼らは生まれて初めて目にしたのだ。
(……人って、追い詰められると、こんな顔をするんだ)
クラウディアは、その醜態を、静かに見ていた。
(保身のために嘘をついて、責任を人になすりつけて。……差別って、こういう「自分可愛さ」から生まれるのかもしれないな。なんだか、悲しい)
大仰な仮面の下で、クラウディアは、ひとつ、人間の弱さを学んでいた。
だが——追い詰められた小物ほど、恐ろしいものはない。
「……ぇ」
ボルクの、震えていた唇が。
ぐにゃり、と歪んだ。
「おのれ……おのれぇ! こうなれば——!」
血走った目で、ボルクが叫んだ。
「兵ども! 火を放て! この魔物の巣窟、街ごと焼き払え!!」
「なっ……!?」
「魔物どもが暴徒と化し、街に火を放った——そういうことにすればよいのだ! 証拠も、小娘も、汚らしい獣どもも! 何もかも、灰にしてしまえばァ!」
狂気じみた命令に、兵たちが、いっせいに火魔法を放った。
ごぉっ——!!
十数発の火球が、居住区へと降り注ぐ。乾いた木々の家々に炎が襲う。悲鳴、逃げ惑う魔物たち....子供の泣き声。
「きゃあっ……!」
「みんな、逃げろ——!」
炎が、街を舐め尽くそうとする。
——その、時だった。
「——度し難し」
クラウディアの声が、低く、響いた。
(子供が、みんなが、いるのに。街ごと、燃やす……? そんなの、絶対に、させない)
「見るがいい、俗物ども。これが——真の闇よ」
ざぁっ、と。
クラウディアが、腕を大きく広げた。その瞬間、あたり一帯に、漆黒の帳が下りた。まるで夜が、真昼の空を塗り潰すように。燃え盛る炎すら、その闇に...呑み込まれていく。
「闇の帳よ、開け。凍てつく氷獄——ニブルヘイムの息吹、ここに来たれ」
——それは、傍目には。
すべてを呑む、恐るべき闇の魔法に見えた。
だが、その帳の内側で、起きていたことは違う。
漆黒の目くらましに紛れ、クラウディアは、そっと指を鳴らしていた。生じたのは——水。膨大な、水の魔法。闇に隠れて放たれたそれが、炎という炎を、一瞬にして鎮火していく。じゅうぅっ、と白い蒸気が上がり、そして——
闇が、晴れた。
そこには。
一軒の家も、焼け落ちていない、無傷の居住区が、広がっていた。
炎は、跡形もなく消えている。
まるで、最初から何も燃えてなどいなかったかのように。
「……は」
ボルクが、腰を抜かした。
「ば、化け物……闇で、炎を……喰らった、だと……!?」
「安心せよ」
クラウディアが、ゆらりと、ボルクを振り返る。その双眸が闇の残滓を纏って爛と光った。
「汝の魂までは、まだ喰ろうてはおらぬ」
(大丈夫、殺したりしないよ。でも、ちょっとは怖い目、見てもらうけどね)
「ひ……ひぃっ……!」
ボルクは、地べたに這いつくばった。でっぷりとした体を、みっともなく震わせて。
「じ、自首します! 自首しますからぁ! ど、どうか、命ばかりは——!」
情けない命乞いが、居住区に響き渡った。
魔物たちは、呆然と...その姿を見ていた。あれが...あれほど恐ろしかった、人間の権力が、今や地を這い、命を乞うている。クラウディア、ただ一人の前で。
クラウディアは、しばしその哀れな男を見下ろしていた。
そして——
「……自首など、せずともよい」
「へぇっ……?」
「顔を上げよ、ボルク」
意外な言葉に、ボルクが、おずおずと顔を上げる。そこには、罰を下す冷酷さでも、慈悲深い赦しでもない——もっと、静かで、底知れぬ何かを湛えた、クラウディアの顔があった。
「汝を裁くは、容易い。だが、それでは何も生まれぬ」
クラウディアは、ボルクの眼前に手を差し伸べた。
「ゆえに——我に従え、ボルク。汝のその地位、その権、これよりは我が理のために用いよ」
(この人を罰して、新しい領主が来ても、また同じことの繰り返しかもしれない。それなら……この人を使ったほうが、みんなの街のためになる。……ごめんね、綺麗事だけじゃ、街は守れないんだ)
「我が意に沿うかぎり、汝の身は保証しよう。だが——二度、我を欺けば」
クラウディアの指先に、ちり、と闇色の火花が散った。
「その時こそ、汝の魂、ニブルヘイムの底へ送ってやろう」
(もう裏切らないでね。次は、本気で怒るから)
「ひ……ははっ、し、従いますとも! この身、クラウディア様に、生涯お仕えいたしますぅ!」
ボルクは、何度も何度も額を地面にこすりつけた。その変わり身の早さに、魔物たちは、あきれ返る。恐怖と保身の前では、差別も矜持もかくも容易く投げ捨てられるのか...と。
こうして。
辺境の代官は、闇に選ばれし令嬢(自称)の、最初の手駒となった。
「して、ボルクよ。さっそくだが、良質の木材と、石材の手配を頼む。街づくりには、まだまだ人手も要る。汝の権限、大いに役立ててもらうぞ」
「は、はいぃ! ただちに手配いたしますぅ!」
たった今まで街を焼こうとした男が、今度はぺこぺこと街づくりに奔走し始める。あまりの現金さに、ラナが、ぽつりと呟いた。
「……クラウってさぁ。優しいのか、こわいのか、わかんないよね」
その隣で。
ゴルドーが、ふ、と。
初めて——
ほんの、わずかにだけ...口の端を緩めていた。




