↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/48

第七話 我、俗物を従える

その報せは、翌日の昼下がりに建設現場へと届いた。

代官ボルクが、兵を引き連れてやってくる——と。


「クラウ、大丈夫なの? あいつ、絶対ろくなこと考えてないよ」


ラナが、不安げに尻尾を揺らす。その周りには、昨日の一件で怯えた魔物たちが、身を寄せ合っていた。せっかく芽生えかけた希望を、また権力に踏み潰されるのではないか——その恐怖が、居住区に満ちていた。


「案ずるな」


クラウディアは、泰然と腕を組んでいた。


「闇に選ばれし我が在るかぎり、汝らの平穏、何人にも侵させはせぬ」

(大丈夫。みんなのことは、わたしが守るから。)


やがて、砂埃を上げて、一団が現れた。

でっぷりと肥えたボルクが、十数人の兵を従え、しかし自分は一番後ろで、ふんぞり返っている。その顔には、昨日の報告を受けた時の焦りは、もうなかった。代わりに浮かんでいるのは——嗜虐的な、勝ち誇った笑みだった。


「クラウディア様ぁ。ずいぶんと、派手なことをしてくれたそうですなぁ」


ボルクが、ねっとりと切り出した。


「儂の兵が二人、大怪我をして運び込まれましてなぁ。聞けば、あなた様が魔物どもと結託して暴行を働いたとか」

「ほう」

「これは由々しき事態。公爵令嬢ともあろうお方が、魔物を扇動し、王国の兵に牙を剥く。……これはもう、反逆と言ってもよろしいですなぁ?」


ボルクの魂胆は、透けて見えた。

クラウディアを「魔物を扇動した危険人物」に仕立て上げ、王都へ報告する。厄介な令嬢を罪人として排除し、なおかつ「危険分子を見抜いた有能な代官」として、自らの評価を吊り上げる。保身と、出世欲。その二つが、この男を突き動かしていた。


「兵ども、その娘を捕らえよ! 神妙にお縄につけば——」

「——待て。ひとつ、問おう」


クラウディアの声が、静かに、その場を制した。


「その兵二人。何ゆえ、傷を負ったのだ?」

「なに……?」

「順を追って語ろうか。汝の兵は、我が民の居住区に土足で踏み入り、家を壊し、火を放った。そして——逃げ惑う幼子に、殺意の炎を向けた」


クラウディアの目が、す、と細められる。


「我はそれを止めた。ただ、それだけのこと」

「ぐ……そ、それは魔物どもが先に——」

「先に、何をした?」


ぴしゃり、と。


「言ってみよ。我が民が、汝の兵に何をした。水が、かかっただけであろう? それすら、幼子が消火のために撒いたものだ」


ボルクの言葉が詰まった。

クラウディアは一歩前へ出る。


「ヴァルンシュタイン公爵領内において。その領主が娘たる我が、我が民を用い、我が居城を築く。これに、何の咎があるか」

「な……」

「むしろ問おう。汝の兵が、公爵令嬢たる我に火を放った。この一事、我が父——アルベラート・フォン・ヴァルンシュタイン公が耳にすれば....どうなろうな?」


ぴき、と。

ボルクの、脂ぎった額に、汗が滲んだ。


「そ、それは……兵が、勝手に……儂は、関与しておらず——」

「関与しておらぬ兵を、なぜ従えてここへ来た? なぜ今、我を『捕らえよ』と命じた?」

(自分で言っちゃってるよこの人。焦りすぎ)

「う……ぐ……」


理屈が、音を立てて崩れていく。ボルクは、退路を塞がれ、じりじりと後ずさった。追い詰められた男の顔から、勝ち誇った笑みは、とうに消えていた。

その姿を魔物たちは、固唾を呑んで見つめていた。

あれほど偉そうだった代官が、人間の権力そのものだったあの男が、令嬢一人の言葉に、みっともなく崩れていく。そんな光景を、彼らは生まれて初めて目にしたのだ。


(……人って、追い詰められると、こんな顔をするんだ)


クラウディアは、その醜態を、静かに見ていた。


(保身のために嘘をついて、責任を人になすりつけて。……差別って、こういう「自分可愛さ」から生まれるのかもしれないな。なんだか、悲しい)


大仰な仮面の下で、クラウディアは、ひとつ、人間の弱さを学んでいた。

だが——追い詰められた小物ほど、恐ろしいものはない。


「……ぇ」


ボルクの、震えていた唇が。

ぐにゃり、と歪んだ。


「おのれ……おのれぇ! こうなれば——!」


血走った目で、ボルクが叫んだ。


「兵ども! 火を放て! この魔物の巣窟、街ごと焼き払え!!」

「なっ……!?」

「魔物どもが暴徒と化し、街に火を放った——そういうことにすればよいのだ! 証拠も、小娘も、汚らしい獣どもも! 何もかも、灰にしてしまえばァ!」


狂気じみた命令に、兵たちが、いっせいに火魔法を放った。

ごぉっ——!!

十数発の火球が、居住区へと降り注ぐ。乾いた木々の家々に炎が襲う。悲鳴、逃げ惑う魔物たち....子供の泣き声。


「きゃあっ……!」

「みんな、逃げろ——!」

炎が、街を舐め尽くそうとする。

——その、時だった。


「——度し難し」


クラウディアの声が、低く、響いた。


(子供が、みんなが、いるのに。街ごと、燃やす……? そんなの、絶対に、させない)

「見るがいい、俗物ども。これが——真の闇よ」


ざぁっ、と。

クラウディアが、腕を大きく広げた。その瞬間、あたり一帯に、漆黒の帳が下りた。まるで夜が、真昼の空を塗り潰すように。燃え盛る炎すら、その闇に...呑み込まれていく。


「闇の帳よ、開け。凍てつく氷獄——ニブルヘイムの息吹、ここに来たれ」


——それは、傍目には。

すべてを呑む、恐るべき闇の魔法に見えた。

だが、その帳の内側で、起きていたことは違う。

漆黒の目くらましに紛れ、クラウディアは、そっと指を鳴らしていた。生じたのは——水。膨大な、水の魔法。闇に隠れて放たれたそれが、炎という炎を、一瞬にして鎮火していく。じゅうぅっ、と白い蒸気が上がり、そして——


闇が、晴れた。


そこには。

一軒の家も、焼け落ちていない、無傷の居住区が、広がっていた。

炎は、跡形もなく消えている。

まるで、最初から何も燃えてなどいなかったかのように。


「……は」


ボルクが、腰を抜かした。


「ば、化け物……闇で、炎を……喰らった、だと……!?」

「安心せよ」


クラウディアが、ゆらりと、ボルクを振り返る。その双眸が闇の残滓を纏って爛と光った。


「汝の魂までは、まだ喰ろうてはおらぬ」

(大丈夫、殺したりしないよ。でも、ちょっとは怖い目、見てもらうけどね)

「ひ……ひぃっ……!」


ボルクは、地べたに這いつくばった。でっぷりとした体を、みっともなく震わせて。


「じ、自首します! 自首しますからぁ! ど、どうか、命ばかりは——!」


情けない命乞いが、居住区に響き渡った。

魔物たちは、呆然と...その姿を見ていた。あれが...あれほど恐ろしかった、人間の権力が、今や地を這い、命を乞うている。クラウディア、ただ一人の前で。

クラウディアは、しばしその哀れな男を見下ろしていた。

そして——


「……自首など、せずともよい」

「へぇっ……?」

「顔を上げよ、ボルク」


意外な言葉に、ボルクが、おずおずと顔を上げる。そこには、罰を下す冷酷さでも、慈悲深い赦しでもない——もっと、静かで、底知れぬ何かを湛えた、クラウディアの顔があった。


「汝を裁くは、容易い。だが、それでは何も生まれぬ」


クラウディアは、ボルクの眼前に手を差し伸べた。


「ゆえに——我に従え、ボルク。汝のその地位、その権、これよりは我が理のために用いよ」

(この人を罰して、新しい領主が来ても、また同じことの繰り返しかもしれない。それなら……この人を使ったほうが、みんなの街のためになる。……ごめんね、綺麗事だけじゃ、街は守れないんだ)

「我が意に沿うかぎり、汝の身は保証しよう。だが——二度、我を欺けば」


クラウディアの指先に、ちり、と闇色の火花が散った。


「その時こそ、汝の魂、ニブルヘイムの底へ送ってやろう」

(もう裏切らないでね。次は、本気で怒るから)

「ひ……ははっ、し、従いますとも! この身、クラウディア様に、生涯お仕えいたしますぅ!」


ボルクは、何度も何度も額を地面にこすりつけた。その変わり身の早さに、魔物たちは、あきれ返る。恐怖と保身の前では、差別も矜持もかくも容易く投げ捨てられるのか...と。

こうして。

辺境の代官は、闇に選ばれし令嬢(自称)の、最初の手駒となった。


「して、ボルクよ。さっそくだが、良質の木材と、石材の手配を頼む。街づくりには、まだまだ人手も要る。汝の権限、大いに役立ててもらうぞ」

「は、はいぃ! ただちに手配いたしますぅ!」


たった今まで街を焼こうとした男が、今度はぺこぺこと街づくりに奔走し始める。あまりの現金さに、ラナが、ぽつりと呟いた。


「……クラウってさぁ。優しいのか、こわいのか、わかんないよね」


その隣で。

ゴルドーが、ふ、と。

初めて——

ほんの、わずかにだけ...口の端を緩めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。