第六話 我、領主と相見える
兵士二人が地に沈み、辺りはしんと静まり返っていた。
魔物たちは、誰も動けなかった。
目の前で起きたことが、信じられなかったのだ。
人間の——それも貴族の娘が、魔物の子を庇い、その身に炎を受けそして加害者たる人間の兵士を、返り討ちにした。
そんなことが、この世にあっていいのか。
クラウディアは、伸びた兵士を見下ろしふぅと息をついた。
「ふ……我が鉄槌、些か過ぎたか。だが是非もなし」
(うっ、ちょっとやりすぎちゃったかも……でも、子供に手を出すほうが悪いんだからね!)
「案ずるな。この者どもの魂、未だ現世に繋ぎとめてある。じきに、無様な目覚めを迎えよう」
(気絶させただけだよ。死んではいないから、安心してね)
その、あまりに大仰な口ぶりに魔物たちは毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「おねえちゃん……!」
うさぎ耳の女の子が、ぽろぽろと涙をこぼしながらクラウディアの足にしがみついた。
「こわかったよぉ……! でも、おねえちゃん、かっこよかった……!」
「ふ。案ずるな。我が眷属に仇なす不届き者は、この闇が許さぬ」
(もう大丈夫だよ。よく頑張ったね、えらかったね)
クラウディアは、しゃがみ込みそっとその小さな頭を撫でた。瓦礫の散らばる中で、その手つきだけはどこまでも優しかった。
その様子を——
少し離れた場所で、ゴルドーがじっと見ていた。
彼は、動けずにいた。
間に合わなかった。また、守れなかった....その古傷の疼く足で、必死に駆けてもあの子には届かなかった。
そのはずだった。
だが、あの子は、生きている。
笑っている。
涙を流しながら、確かに笑っている。
——守られたのだ。
自分ではない、誰かに、人間に、貴族に。
(……なぜだ)
ゴルドーの拳が震えた。
(なぜ、お前が...人間のお前が...俺たちのために、身を挺する!炎に飛び込む!!……そんな義理はないだろうが...)
彼の中で、長い年月をかけて凝り固まっていた「人間」という憎悪の像に、ぴしり、と、ひびが入る音がした。
認めたくなかった。認めれば、これまで自分が抱いてきた憎しみが、拒んできた全てが、揺らいでしまう。
だが——事実は、目の前にあった。
炎に焦げた外套、それと子供を抱く細い腕。そして、その口から漏れる、意味の半分も摑めぬ、けれど不思議と嘘のない大仰な物言い。
「……お前さん、いやクラウディア」
ゴルドーは、絞り出すように口を開いた。
「なぜ、庇った。人間で貴族でもある...お前が、傷を負うかもしれなかったんだぞ。魔物の子供一人のために」
問いかけに、クラウディアは、うさぎ耳の子を撫でたままこともなげに答えた。
「はて?妙なことを問う」
「……なに?」
「この幼子を見捨てて、我が魂に汚点を刻むほうが——よほど、業腹よ」
(この子を見捨てるなんて、できるわけないよね。そんなの、当たり前でしょ?)
「——ッ」
ゴルドーの、息が、詰まった。
当たり前。
そう、言った——ように...聞こえた。
言葉の大半は、ゴルドーには分からない。魂だの業腹だの、大仰な言い回しは、正直、意味を追うだけで骨が折れる。
だが、一つだけ、はっきりと伝わってきた。
この娘は、魔物の子を守ることを心の底から「当たり前」だと思っている。人間には、決して当たり前ではないそれを。
「この地に来て、幾度も告げたはずだ。我は、汝らと共に生きる理を築きに来た、と」
クラウディアは、立ち上がり、まっすぐにゴルドーを見上げた。土に汚れ、炎に焦げてもなおその眼差しは澄んでいた。
「言葉は要らぬ、と汝は言った。ならば、これが我が返答!我が、行いよ!!」
(信じてなんて言わない。でも、これがわたしの本気。ちょっとは、伝わったかな)
ゴルドーは——何も、言えなかった。
丸太のような腕が、だらりと下がる。その厳つい顔に浮かんでいるのは、怒りでも、警戒でもない。ただ、深い、深い——戸惑いだった。
長年、握りしめてきた憎しみの置き所を見失った男の顔だった。
「……ゴルドー」
そっと、ラナがその大きな背に手を添えた。ゴルドーは、何も答えずただぐしゃりと自分の顔を片手で覆った。
その肩が、わずかに...震えていた。
クラウディアは、それ以上何も言わなかった。
(今は、いい。ゆっくりで、いいよ。……いつか、あなたが、心から笑える日まで。わたしは、ここにいるから)
まだ、ゴルドーは膝を折ってはいない。完全に心を開いたわけでも...ない。
だが——確かに、この日。凍てついていた何かが溶け始めたのだった。
◇
一方、その頃、代官館では...
「なんじゃとぉ!?」
ボルクの怒声が、響き渡っていた。
「兵が、やられただと!? あの、魔物どもにか!?」
「い、いえ。それが……」
報告に来た兵士が、しどろもどろに答える。
「魔物では、なく……く、クラウディア様に直々に……」
「……は?」
ボルクの、脂ぎった顔が、ぽかんと固まった。
「公爵令嬢が、兵を...伸した……?」
「はい……子供の魔物を庇って、その火魔法ごと受け止めた挙句兵二人を一撃で……」
ボルクの脳内で、様々な思惑が、目まぐるしく駆け巡った。
まず、恐怖。公爵令嬢が、それほどの武力を持っているという事実。次に、焦り。自分が送った兵が、公爵令嬢に手を出した——これが公爵家に知れれば、自分の首が飛びかねない。
そして、最後に。
醜い保身の算段が....
「……ふん。よろしい」
ボルクは、でっぷりとした頬を、いやらしく吊り上げた。
「これは、好機やもしれん。あの小娘、魔物に入れ込みすぎだ。放っておけば、この地の秩序が乱れる。……いや、それだけではないぞ」
彼は、ずるり、と舌なめずりをした。
「公爵令嬢が、辺境で魔物を扇動し、あろうことか王国の兵に暴行を働いた——そう報告すれば、どうなる?」
「そ、それは……」
「王都の覚えめでたい儂の評価は、うなぎ登り。厄介な小娘は、罪人として片付けられる。ふはは、一石二鳥よ!」
ボルクは、下卑た笑いを漏らした。
その男は、知らなかった。
自分が舐めてかかろうとしている小娘が、あの兵二人を一撃で沈めた化け物であることを。そして、その後ろに——娘のためならば、王家にすら牙を剥く規格外の両親が控えていることを。
「さあて。どう料理してくれようか」
代官の欲深い声が、館の暗がりにねっとりと溶けていった。




