第五話 我が居城建築開始
家の建設が始まって、十日が過ぎた。
結論から言えば——ゴルドーの見立ては、外れた。
「三日と保つまい」と言い捨てられた公爵令嬢は、三日どころか十日が過ぎた今も朝から晩まで泥にまみれていた。
「ぐ……この岩、我が闇の眷属となるがよい……!」
(重ーい! もうちょっと……! んーっ!)
土台に据える大石を、クラウディアが全身で押している。上等だった旅装は今や土と汗にまみれ、白かった手には、いくつもの豆とそれが潰れた跡があった。
貴族の娘が柔らかいベッドと傅く召使いに囲まれて育ったはずの娘が。
来る日も来る日も、魔物たちに混じって、石を運び、土を掘り、木を担いでいる。
その光景を、魔物たちは、最初は遠巻きに眺めていた。
(どうせ、気まぐれだ)
(三日で音を上げて、館に帰る)
(貴族が、俺たちみたいに手を汚すものか)
だが——十日である。
クラウディアは、帰らなかった...音も上げなかった。
むしろ、日ごとに手際を上げ、魔物の子供に「我が闇の子らよそなたらの身に危険が生じておるぞ!」と声をかけ、老人には木陰の休息を勧め、誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで槌を振るった。
そうなると——さすがに、魔物たちの心も動く。
最初は、一人。水汲みを手伝う若いゴブリンが現れた。
次に、二人。力自慢の獣人が、黙って大木を運んできた。
気づけば、五人、十人...ぽつり、ぽつりと、手を貸す者が増えていく。
まだ、心を許したわけではない。
だが——「あの変な貴族、何考えてるかわからないが見ていて元気になる」
そんな空気が、じわじわと、居住区に広がりつつあった。
「クラウー! 差し入れ持ってきたよー!」
ラナが、水と果実を抱えて駆けてくる。その後ろには、彼女に懐いた魔物の子供たちが、ちょろちょろとついてきていた。
「おお、ラナか! 感謝する!」
(わーい、のどカラカラだった! ラナ大好き!)
「あははっ、クラウってばドロッドロじゃん! お貴族様が台無し〜!」
「ふ……これぞ、大地と交わりし証よ」
(土いじり、意外と楽しい。えへへ)
子供たちが、きゃっきゃとクラウディアの周りに集まる。中でも一番小さな、うさぎ耳の女の子が、こてん、と首をかしげた。
「ねえおねえちゃん、これ、なにつくってるの?」
「うむ。我が居城——ゆくゆくは、皆で暮らす大きな街の始まりの一歩よ」
(みんなのおうち。ここを、誰も追い出されない、あったかい場所にするんだ)
「わあ……!」
子供の目が、きらきらと輝く。その無邪気な笑顔に、クラウディアの頬も自然とゆるんだ。
——だが。
その、あたたかな空気を、ぶち壊す者が現れた。
「おいおい、なんだこりゃあ?」
無遠慮な声とともに、数人の男たちが、建設現場にずかずかと踏み込んできた。
揃いの鉄鎧、腰には剣。町の警備兵たちだ。先頭の赤ら顔の大柄な男が、げらげらと下品に笑った。
彼らは、領主ボルクに命じられて来ていた。「公爵令嬢の様子を見てこい」と。万一クラウディアの身に何かあれば、自分の責任問題になる——ボルクの保身がその理由だった。
もっとも、兵士たちにとっては、迷惑な命令でしかなかった。魔物の巣窟へ足を踏み入れるなど、まっぴらごめんだった、その苛立ちがそのまま、剥き出しの悪意になっていた。
「うわっ、くせぇ! 魔物の臭いがプンプンしやがる!」
「見ろよあれ、魔物どもが家なんか建ててやがる。ぷはっ、身の程を知らねえのか?」
兵士たちは、げらげらと嘲笑しながら無遠慮に現場を踏み荒らしていく。積まれた木材を蹴り倒し、魔物たちを小突き唾を吐く。
「おい。そこのお嬢様よぉ」
赤ら顔の兵士が、クラウディアを見てにやりと笑った。
「こーんな汚らしい獣どもと戯れて、楽しいですかぁ? 公爵家のご令嬢が、地に堕ちたもんだ。ひひっ」
「……貴様ら」
クラウディアの声が、す、と低くなった。
だが、兵士たちは意に介さない。それどころか、赤ら顔の男が建てかけの家の柱にどんっと蹴りを入れた。
「あーっはっは!こんなもん——こうしてやらぁ!」
めきり、と嫌な音を立てて十日かけて組み上げた柱が傾く。
「あっ——!」
魔物たちが、悲鳴を上げた。
「へへっ、いいねぇ。ほら、もっとだ」
別の兵士が、呪文を唱えると指先に火を灯す。ぼっ、と赤い焔が躍った。
「魔物のあばら家なんざ、燃やしちまえばいいんだよ!」
火の玉が、建てかけの家へと放たれた。
ぼっ——と、乾いた木材に火が燃え移る。ぱちぱちと、炎が這い上がっていく。
十日分の汗が、苦労が、あっという間に赤く舐められていく。
「やめて……!」
小さな影が、動いた。
先ほどの、うさぎ耳の女の子だった。手にした木桶の水を、必死の形相で燃える柱にかける。ばしゃ、と水が跳ねた。
だが——その水しぶきが。
運悪く、そばにいた赤ら顔の兵士の足にかかった。
「……あぁ?」
兵士の顔が、醜く歪んだ。
「この家畜がぁ!……よくも、この俺様に水をかけやがったな!」
「っ……ご、ごめんなさ——」
どっ、と。
兵士の蹴りが、小さな体を跳ね飛ばした。うさぎ耳の女の子が地面を転がる。
「あうっ……!」
「調子に乗るなよ、家畜風情が! 躾けてやる!」
先ほどより長めの詠唱を唱えると兵士の指先に、再び、火が灯る。今度は、先ほどよりも、大きく。それを——蹴り倒された無力な子供へと向けた。
殺す気だ。
このクズは、本気で子供を殺す気だ。
「——ッ、やめろぉぉ!!」
遠くで、地面を蹴る音がした。
ゴルドーだった。クラウディアの様子を遠巻きに見ていた彼が、異変を察知し血相を変えて駆けてくる。
だが——すこし遠い。
そして、彼の足は。
あの、古傷を負った足は。
こういう時に、ほんの一歩を、届かせてくれない。
「(間に合え……間に合えッ……!)」
ゴルドーの顔が、絶望に歪む。丸太のような腕を伸ばしても、その巨躯と、傷ついた足では——どうしても、あの子には、届かない。
守れない。
また、守れないのか....俺は。
——だが。
火の玉が、放たれたその刹那。
ひゅっ、と。
一つの影が、子供の前に滑り込んだ。
炎が、その背に炸裂する。ボンッと爆発音とともに黒煙が上がった。
「——ぐ」
小さく、呻いたのは。
うさぎ耳の子を、その身で庇った——クラウディアだった。
「え……」
ゴルドーの足が、止まる。
炎の中に、クラウディアが立っていた。
公爵令嬢が魔物の子供を背に庇い、兵士の火魔法を、その身に受けてなお——倒れなかった。
ぱさり、と。焦げた外套が、地面に落ちる。
その下から現れたクラウディアは、無傷だった。
「大丈夫か、我が闇の子よ」
(大丈夫!?怪我はない!?)
「おねえちゃんは、大丈夫なの?」
「我は、問題ない。あの程度の炎我が闇の衣を越えることはできぬ」
(ちょっとあつかったけどやけどもしてないよ!)
「けど、おねえちゃんのお城が...」
「ふむ、我が居城が闇に消えてしまったか」
(……ああ、もう。ぜんぶ、ぜんぶ台無し。せっかく、みんなで作ったのに)
その双眸が、ゆらりと、兵士たちを捉えた。
「して、そこの愚物どもよ」
(でも、それより——)
「……よくも」
クラウディアの拳に、ぶわりと、黒い靄が纏わりついた。禍々しい、闇色のオーラ。
——否。
それは、闇ではない。闇に見せかけた、その実、光魔法による身体強化。彼女が「闇しか使えぬ」など、真っ赤な偽り。だが、そのからくりを知る者は、この場に一人としていない。兵士たちの目には、ただ——魔物の王が牙を剥いたかのごとき、恐るべき闇の力に映った。
「よくも、我が民の子に——手を上げたな?」
(子供に、手を出すなんて。……絶対に、絶対に、許さない)
ぞわり、と。
その場の空気が、凍りついた。
今の声には、底冷えするような本物の怒気が籠もっていた。
「な、なんだ、その手は……ひ、ひるむなっ! 相手は闇しか使えん、出来損ないの令嬢——」
「闇の炎に抱かれて眠れ、この下郎」
言葉は、短かった。
次の瞬間、クラウディアの姿が掻き消える。
ずどんっ!
鈍い音がした。赤ら顔の兵士の腹に、闇を纏った拳が、めり込んでいた。
「ごぶっ……!?」
大柄な兵士の体が、くの字に折れ、宙を舞いそのまま地面に叩きつけられる。
「ひっ……!?く...くるな...!!」
もう一人が、腰を抜かしかけた、その時にはもう、クラウディアは目の前にいた。
「安心せよ。殺しはせぬ」
にこり、と。クラウディアが微笑んだ。凍てつくような笑顔で。
「——ナーストレントには送らぬ」
(あなたたちには、ちょっとだけ痛い目を見てもらうからね)
ぼこっ!!
そして、もう一人の兵士の意識も消えていった。




