第四話 我が城、いまだ建たず
辺境の朝は、早い。
鶏の代わりに森の鳥が鳴き、薄い霧が畑の上を流れていく。魔物たちの居住区にその日奇妙な光景が広がっていた。
上等な旅装をまとった公爵令嬢が、腕を組み更地の真ん中に仁王立ちしていたのである。
「ここに——我が居城を築く」
クラウディア・フォン・ヴァルンシュタインは、高らかにそう宣言した。指さす先には、雑草の生い茂る、なんの変哲もない空き地が広がっているだけだった。
その傍らで、猫獣人のラナが、うーん、と首をかしげる。
「居城って言われてもさぁ……クラウ、まず家をどうやって建てるか、あてあんの?」
「案ずるな。闇の力は無限——」
「ないんだ」
「……ある。あるが、まずは資材と、腕のいい職人が要る」
(家の建て方、実はよく知らないけど...できる人を探せばいいよね!)
ラナが、じとっとした目でクラウディアを見上げた。だが、すぐに何かを思いついたように、ぴんと尻尾を立てる。
「あー、職人ならさぁ一人いるよ。腕はマジでいいんだけど...ただぁ」
「ただ?」
「めーっちゃ、偏屈」
◇
ラナに連れられてやってきたのは、居住区の外れにぽつんと建つ、煙突から煙をもうもうと吐く工房だった。
工房の中を覗けば、所狭しと積まれた木材、金具、得体の知れない道具の数々。その奥で、一人の老ゴブリンが、金槌を振るっていた。
小柄で、緑の肌には深い皺が刻まれている。ぎょろりとした目に、分厚い革のエプロン。歳は取っていても、木材を押さえる腕は、太くたくましい。
「じいさーん! 客連れてきたよー!」
ラナが陽気に声をかけると、老ゴブリンは顔も上げずに唸った。
「客だぁ? ……ちっ。見りゃわかる。貴族のガキじゃねえか」
じろり、と...老ゴブリンの目が、クラウディアを捉えた。
値踏みするような、それでいてどこか敵意のこもった視線だった。
彼の名はダビン。この居住区で、ただ一人モノづくりを生業とするゴブリンである。長年その腕を「魔物のくせに」と嘲られ、買い叩かれ、時に成果だけを奪われてきた。人間の...ましてや貴族の相手などまっぴらごめんだった。
「悪いが、お嬢ちゃん。あんたに売る腕はねえよ...とっとと——」
「おお! そなたがラナの言っていた鍛冶の翁か!」
ダビンの言葉を遮り、クラウディアがずいと工房に踏み込んだ。その目は、きらきらと輝いている。
「な、なんだ?」
「見よ、この工房! 火と鉄の匂い、混沌たる創造の坩堝! すばらしい……! そなた、相当の業物を打つと見た!」
(うわぁ、すごい! 道具がいっぱい! この人、絶対すごい職人さんだ!)
「は……?」
ダビンは、面食らった。
貴族といえば、鼻をつまんでこの工房を見下すか、あるいは高圧的に命令してくるかの、どちらかだった。こんな、目を輝かせて「すばらしい」などとのたまう娘は、初めてだった。
「そ、そりゃ、まあ……長年やってっからな」
「うむ! 気に入った! 翁、折り入って頼みがある」
クラウディアは、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。ばさり、と広げてみせる。
そこに描かれていたのは——
「……なんだこりゃ」
ダビンは、思わず眉をひそめた。
羊皮紙には、およそ設計図とは呼べぬ奇怪な図案が躍っていた。やたらと尖塔の多い城のような何か...その周囲には「闇の紋章を配す」だの「魔力循環の陣」だの、意味不明な注釈が書き込まれている。
「これぞ我が理想の居城! 名づけて——『常闇の城』よ!」
(前に本で読んだお城、かっこよかったんだよね! ああいうの建てたい!)
「……嬢ちゃん」
ダビンは、こめかみを押さえた。
「で、これは結局、なんじゃ? 城か? 家か? この、ぐるぐるした線はなんだ。ここに書いてある『魔力循環の陣』ってのは、どういう仕組みで動くんだ。ええ?」
「……む」
「だいたいな、こんな尖った塔ばっかり建てたら風で倒れるわ! 屋根の重さをどこで支える気だ! 柱はどうする、基礎はどうする! 考えとらんだろなんも!!」
まくし立てるダビンに、クラウディアは——ぐ、と言葉に詰まった。
(う……。かっこよさだけで描いた。中身、なんも考えてなかった……)
「……さすがは翁。慧眼である」
(ぜんぶ正しい。ぐうの音も出ない)
がっくりと肩を落とすクラウディアに、ダビンは、はぁ...と長いため息をついた。
だが——その胸の内では、奇妙な感情が芽生えていた。
(……こいつ、指摘されて怒らねえのか)
貴族というのは、間違いを指摘されれば激昂するものだ。
魔物の分際で口答えするな、とかなんとか...だがこの娘は、素直に「その通りだ」と認めた。しかも、この珍妙な設計図...技術は滅茶苦茶だが、その根っこには確かな「熱」があった。何かを作りたいというまっすぐな熱が。
それは、ダビンが若い頃に、忘れてしまった何かに少しだけ似ていた。
「……貸してみろ」
「む?」
ダビンは、クラウディアの手から羊皮紙をひったくった。作業台に広げ、炭を手に取る。
「城なんぞ、いきなり建てられるか、たわけ。まずは小さな家だ。基礎はこう、柱はこことここ、屋根はこう組む。……お前さんの言う『闇の紋章』とやらは、まあ玄関にでも彫ってやる。それでいいだろ」
さらさらと、老練な手つきで炭が走る。みるみるうちにまともな——それでいてどこかクラウディアの「理想」の面影を残した、一軒の家の図面が立ち上がっていく。
クラウディアの目が、再びきらきらと輝いた。
「おお……! おおおお! さすがは翁! これぞ我が求めし城の礎!」
(すごいすごい! ちゃんと家になってる! この人、本物の職人さんだ!)
「城じゃねえ、家だ」
「うむ、家だ!」
「素直だなぁおい」
ダビンは、ふん、と鼻を鳴らした。だが、その口元が、ほんのわずかに、ゆるんでいた。
こうして、闇に選ばれし令嬢(自称)と、偏屈な老ゴブリンの、奇妙な二人三脚が始まったのだった。
「して翁。この家、いつ建つ?」
「材料集めからだな。ひと月はみとけ」
「ひ、ひと月……」
(そんなにかかるんだ……早く住みたいのに)
「あたりまえだ! 手伝う気があるなら、お嬢様も汗かいてもらうぞ!」
「無論! 闇の眷属たる我、労を厭いはせぬ!」
(がんばる! 早く、みんなの街を作りたいから!)
その返事だけは、妙に力強かった。




