第四十七話 我が理、世界に根付く
——それから、四十年の歳月が流れた。
アルブローゼン王国の王都。かつて辺境の小さな街だったその場所は、今や大陸で最も栄え、最もあたたかな国の中心となっていた。
その日王都の大聖堂では、新たな王の戴冠式が執り行われていた。長きにわたり国を導いてきた女王クラウディアが、ついにその座を退き新たな王へと王位を託す日である。
「——新国王ゴルドリック陛下に、万歳!」
女王クラウディアの手から黄金の冠を受け玉座に就いた若き王の名はゴルドリック。
その体には、父譲りの逞しい偉丈夫の血と母譲りの聡明さが流れていた。ゴルドーとエルネリーナの間に生まれた、魔人と人間の混血の王であった。
そう...それは、クラウディアが目指していた平等な世界の一つの着地点でもあった。
そしてその隣には、王妃が寄り添っていた。漆黒の髪を持つ凛とした女性——ノクシア。建国の女王クラウディアと、王配ヴィーザルの一人娘である。
魔人の血を引く王と、建国の女王の血を引く王妃。かつて「魔物」と蔑まれ虐げられた者たちの血が今何のわだかまりもなくこの国の頂点で結ばれている。
それはもはや、この国に種族の垣根などどこにも残っていないことの、何よりの証だった。参列した人々は、人も魔人も分け隔てなく新たな王と王妃の門出を祝福した。
◇
四十年....
長いようで短いその歳月の中で、かつての仲間たちは、それぞれの道を歩んでいた。
建国の女王クラウディアは、聖女にして女王として生涯をこの国の発展に捧げた。
差別のない理想の国を現実のものとし、その思想はやがて国境を越え、周辺諸国にまで静かに浸透していった。彼女の代になって、それまで「魔物」と蔑まれていた者たちは「魔人」と呼ばれるようになった。
人と等しき尊厳を持つ隣人として。たった一文字の違いだが、その一文字に込められた意味の重さを誰もが知っていた。
そしてその傍らには、常にヴィーザルの姿があった。彼は生涯、表舞台に立つことを好まず、ただクラウディアの隣で彼女の理想を実現するために尽くし続けた。
クラウディアの描いた夢がこれほど見事に現実となったのは、このヴィーザルの絶え間ない努力があってこそだったのかもしれない。
猫獣人のラナは、アルブローゼンに孤児院を開いた。
身寄りのない子供たちを引き取るうち、彼女はあることに気づく。「この子たちには、学びが必要だ」と。やがてラナは学校を開き、それを王国中へと広げていった。種族も身分も問わず、どんな子も学べる仕組みを。「学びたくても学べない子が、一人もいない国」を。それは、かつて差別の中で何も持たせてもらえなかった魔人たちにとって、何よりの革命だった。
もっとも、その道は平坦ではなかった。古い差別思想を捨てきれぬ者たちから、襲撃を受けたことも一度や二度ではない。だが——不思議なことに、ラナは、かすり傷ひとつ負わなかった。そのそばには、いつも、一騎当千の女騎士が、静かに付き添っていたからだ。
その女騎士——アーシェラは、少し違う道を辿っていた。
クラウディアやラナ、エルネリーナが、それぞれの才で国を変えていくのを見て、彼女は自問した。「私に、何ができるのか」と。当初はクラウディアの傍で剣となるつもりでいたが、その役目はヴィーザルに譲りアルブローゼンへ戻った。そして、ラナが学校を広げていると聞きつけ「何かあってはいけない」と、その身辺を守るようになったのだ。
学校が各地に増えるにつれ、ラナの周りはきな臭さを増していった。だがアーシェラは、ただの一度も、その脅威をラナに届かせなかった。やがて学校の仕組みが完全に根付くと、彼女はラナから孤児院を引き継ぎ——数えきれぬほどの子供たちの母となった。守る者から、育む者へエルフである彼女は、四十年を経てなお、その姿をほとんど変えていなかった。
そして——ゴルドーとエルネリーナ。
オークのゴルドーは、アルブローゼンが国となると大使の任を拝命した。まだ差別の根が残る他国へと赴き魔人と人との架け橋となるべくその生涯を尽くした。そして、その傍らには、いつも美しい人族の女性が寄り添っていたという。
人と魔人の夫婦。
それは、歴史上初めてのことだった。二人の間に生まれた子が、やがてこの国の王となることを——当時の二人は、まだ知らない。
そして人と魔人が結ばれたのは、彼らだけではなかった。
ボルクは、荒れ果てた故郷グラウフェルトの復興に残りの人生のすべてを捧げた。かつて差別と飢餓に沈んでいたその町は、彼の手によって少しずつあたたかな場所へと生まれ変わっていった。そしてその隣には——マーサという名のクマの魔人がいつも寄り添っていたという。
差別に沈んだ町が、人と魔人の夫婦の手で蘇る。それもまた新しい時代の一つの形だった。
職人のゴブじいは、その卓越した技術を惜しみなく次の世代へと伝えた。彼のもとには、人も魔人も問わず数えきれぬほどの弟子が集まりやがてアルブローゼン一と謳われる大工房が生まれた。ゴブじいは、その工房の偉大な親方として——弟子たちに惜しまれながら大往生を遂げた。
——あの、ジークフリートとロルフは...
二人が立ち上げた聖女教は、今や、アルブローゼンのみならず、周辺諸国にまで、広く信仰を集めていた。
「誰にでも平等、差別は絶対に許さぬ」
その教えは、国の垣根を越えて人々の心に段々と根を下ろしていった。聖女祭をはじめとする数々の祭事を、二人は生涯、取り仕切り続けた。……そしてその顔は、いつ見ても心の底から、幸せそうに輝いていたという。
そして時は巡り...
かつて、五歳の幼子だったうさぎ耳のミミは、立派な母親となっていた。
彼女の子供たちもまた、親の背を見て分け隔てなく育っていく。そしてその子らは、今日も、一人の少女と、無邪気に、遊んでいた。
時の精霊ノルン……四十年という歳月の中でその姿は、ほんの少しだけ成長していた。かつて、五つ、六つほどに見えた幼子は、今では、少しお姉さんらしい佇まいになっている。精霊のゆるやかな時の流れの中で彼女もまた確かに生きていた。
◇
新国王ゴルドリックの戴冠から数年の後。
国を若き二人に託したクラウディアは、王配ヴィーザルと共に生まれ育ったあのアルブローゼンの地へと帰ってきた。
街の片隅にあるささやかな...けれど、あたたかな屋敷の庭。
その日、懐かしい顔ぶれが顔を揃えていた。すっかり白髪の増えたクラウディアとその隣で穏やかに微笑む老ヴィーザル。歳を重ねどこか丸くなったラナに品のよい老婦人となったエルネリーナ。
そしてただ一人、四十年前とほとんど変わらぬ姿のアーシェラ。そのアーシェラに皆は「エルフは、歳を取らないねぇ」とからかわれるのが常だった。
庭に茶の香りが、漂う。
「——ふっ。思えば、遠くへ、来たものよ」
クラウディアが、茶をすすりながらしみじみと呟いた。
「かつて、闇に選ばれし、我が、ただ一人。この辺境の地に降り立ったあの日……まさか、我が覇道がここまで世を照らすことになろうとはな」
(ほんとに、いろんなことが、あったなぁ……)
「…… クラウは、喋り方が歳取ってもぜーんぜん変わらないねぇ!」
ラナが、皺の増えた顔をくしゃくしゃにして笑う。
「むっ。……我の、崇高なる語りを、笑うでない」
「はいはい、ごめんごめん……でもね、ほんとに変わらなくて安心するよ」
アーシェラが、静かに、頷いた。
「ああ、そうだな……この賑やかさも四十年間、何一つ変わらぬ」
「ふふ。そうですわね」
エルネリーナも、たおやかに微笑む。
あの戦乱も涙も全てが遠い昔話になったけれど——
ここにいる、面々の絆だけは、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
クラウディアは、庭先を、眺めた。
遠くで、子供たちが笑いながら駆けていく。その中には、ミミの子らと——そして、ノルンの姿もあった。ノルンは、昔と変わらぬ無邪気さで新しい世代の子供たちと遊んでいる。
あたたかな、陽だまりの中でクラウディアは、そっと目を細めた。
(……これで、よかったんだ...みんなが、笑って、暮らせる……わたしの願いは、ぜんぶ、叶ったんだなぁ)
辺境で誰一人差別なくみんなと楽しく暮らす。
——かつて、追放された令嬢が強がりで口にしたその願いは、今、最も、深く、あたたかなかたちでここに、叶ったのだった。




