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最終話 我、辺境で魔物たちと楽しく暮らしました

——さらに、三十年の時が流れた。


よく晴れた昼下がりのことだった。

アルブローゼンの屋敷。あの懐かしい庭の見える部屋で、クラウディアは静かに寝台へ横たわっていた。

齢は八十を超えている。


かつて辺境を駆け巡った規格外の女性もさすがに今は、その身を起こすことさえ難しくなっていたが、その顔は、驚くほど穏やかだった。

寝台の周りには、たくさんの人が集まっている。


娘のノクシアや孫たち、今や立派な祖母となっていたミミ。そして、変わらない姿のアーシェラ。皆が静かに、彼女を見守っていた。


「……ばあば……だいじょうぶ?」


幼い曾孫が、小さな手でクラウディアの手を握る。クラウディアは、その頭をそっと撫でた。


「……ふふ。大丈夫。ばあばはね、ずうっと、みんなのことを見てるからね」


しわがれた、けれどあたたかな声。もうあの大仰な言葉遣いは、どこにもなかった。ただ一人の優しいおばあちゃんが、そこにいた。


(……いい、人生だったなぁ)


クラウディアは、ゆっくりと目を閉じる。

走馬灯のように、様々な光景が浮かんでは消えていた――


追放されたあの夜にラナと出会った日の事。


ゴルドーが膝を折った時。


ノルンを抱きしめた瞬間。


ヴィーザルの告白。


そして、このあたたかな国の夜明け。


全部、全部...クラウディアにとってかけがえのない宝物だった。


「……ありがとう。みんな……本当に、しあわせだったよ……」


そう呟いてクラウディアは、穏やかな微笑みを浮かべたまま、静かに息を引き取った。


◇


——ふわり。

横たわる老いた体から、一つの光が立ち上った。

それは、十代の少女の姿をしていた。艶やかな髪に、生命力に満ちた瞳。かつて、たった一人で辺境の地に降り立った、あの日の若き日のクラウディアそのものだった。


「……あれ? ……わたし……」


きょとんとするクラウディアの手を、そっと握る者がいた。


「——クラウ」


優しい声に顔を上げるとそこには、一人の美しい女性が立っていた。

銀色の髪を長く伸ばしたたおやかな乙女。初めて見る姿だけれど——そのあたたかなまなざしは、クラウディアにはよく知っているものだった。


「……ノルン……? ノルン、なの? 大人に、なったんだね……」

「えへへ。ちょっとだけ、お姉さんになったんだよ」


大人の姿になったノルンが、にっこりと笑う。

そして、クラウディアの手を両手で包み込んだ。


「クラウ……お疲れ様。たくさん、たくさん、がんばったね」

「……うん」

「じゃあ——いこっか! みんな、待ってるよ!」


ノルンが明るく言う。その声に導かれるように、クラウディアも笑顔で大きく頷いた。


「……うんっ!」


二つの光は手を繋いで、あたたかな天の光の中へと昇っていった。


◇

光の満ちる場所。そこには、懐かしい顔ぶれが勢揃いして待っていた。


「——よう。遅かったじゃねえか、クラウディア」


無骨に腕を組んで笑う、ゴルドー。


「クラーウ! もー、待ちくたびれたっての!」


ぴょんと飛びついてくる、ラナ。

その隣には、ゴブじいも、マーサも、ボルクもかつて共にあの街を築いた仲間たちが、皆笑顔でクラウディアを迎えている。

そして——その中心に、一人の男が静かに立っていた。


「……待っていたぞ、クラウディア」


ヴィーザルだった。若き日の凛々しい姿で、まっすぐに手を差し伸べている。


「……ヴィル……!」


クラウディアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。もう二度と会えないと思っていた。けれど、こうしてまた、愛する人が、愛する仲間たちが、みんなここで待っていてくれた。


「——ただいま! みんなっ!」

「「「おかえりっクラウディア」」」


少女は満面の笑みで、その輪の中へと駆けていった。


◇

その賑やかな輪を、少し離れた場所から、ノルンは微笑んで見つめていた。


「……ノルン」


ふと、背後から声がした。振り向くと、そこに一人のエルフの乙女が立っていた。可憐でたおやかなその姿は、ノルンの大人になった姿と、どこか面影が重なる。


「…?!…リーリャ……!」


その瞬間―


大人の姿だったノルンの体が、きらきらと光に包まれ——小さな幼子の姿へと戻っていった。クラウディアと初めて出会った、あの日のあどけない少女の姿に...

もう、しっかり者のお姉さんでいる必要はない。もう、誰かを導く役目も終わった。大好きな人の前では、ノルンはただの甘えん坊の子供に戻れるのだ。


「リーリャぁっ……!」


ノルンは、ぽろぽろと涙をこぼしながらリーリャの胸へと飛び込んだ。

「ノルンね、ノルン、がんばったよ……! クラウたちといっしょに、せいいっぱい、がんばったんだよ……!」


ずっと言いたかった言葉。かつてリーリャを失って、独りぼっちになったあの日から。ずっとずっと抱えてきた思い。


「……うん。ぜーんぶ見てたよ」


リーリャは優しく微笑んで、ノルンの小さな頭をよしよしと撫でた。


「よくがんばったね。……ノルンは、わたしの自慢の精霊だよ」


あたたかな手のひらの感触に、ノルンは幸せそうに目を細めた。


「さぁ私達もいこっか?」

「うん!リーリャにもクラウのこといっぱいいーっぱい!知ってもらいたいんだ!」

「うふふ、それは、楽しみね」

「うんっ!クラウー!!」


失ったものは、巡り巡って、また還ってくる。長い時をかけて...ノルンの物語もまた、こうして優しく閉じていったのだった。


◇

——そして、現世。

アルブローゼンの屋敷。静まり返った部屋の中で、人々が別れを惜しみ、涙する。その傍らで、アーシェラは一人、ふと窓の外へと視線を向けた。


よく晴れた青い空。

そのどこかから、懐かしい気配が二つふわりと立ち上り空の彼方へと昇っていく。……精霊を見ることのできる彼女だけが、それを感じ取っていた。


一つは、小さな時の精霊の気配

そしてもう一つは——長い間共に歩んだ親友の魂


二つの気配は仲良く手を繋ぎ、どこまでも高く、あたたかな光の中へと昇っていく。きっとその先では、先に逝った皆が待っているのだろう。


「……ああ」


アーシェラの口元が、涙の中でそっとほころんだ。

寂しくはある。けれど——彼女には分かっていた。クラウディアは独りではない。あの優しい精霊と共に、愛する者たちの待つ場所へ、ちゃんと帰っていったのだと。


「……いってらっしゃい、クラウ」


かつて「お前の征く道の、その先までも」と誓った戦友へアーシェラは万感の思いを込めて、静かにそう呟いた。

そして、残された自分には、まだやるべきことがある。


クラウディアが愛したこの国を...差別のない、このあたたかな世界を次の世代へと繋いでいくという、大切な役目が。


アーシェラは、もう一度空を見上げる。

抜けるような青空の下。クラウディアの築いたあたたかな国は、今日も、人も魔人も分け隔てなく、笑い合いながら穏やかに続いていた。



——闇に選ばれしと謗られた一人の令嬢が、そのやさしさひとつで照らし出した世界。

その光は、これからもずっと消えることはないのだろう。




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